第395話『獣の咆哮』
《けれど、どうして今さらになって……》
俺はそう監視者――フライトアテンダントに尋ねる。
もし俺を始末したり捕まえたりするつもりなら、もっと早くにしてしまえばよかったのに。
そんな疑問に彼女はポツリとつぶやくように言った。
《叶うことなら、このままでいたかった》
《え?》
俺にはその言葉の意味がわからない。
首を傾げていると、彼女の代わりに協力者であった現地民の青年が答えた。
《……君のためだった》
《わたしのため? それはどういう意味ですか?》
きっと青年はフライトアテンダントからすべての事情を聞いていたのだろう。
俺に教えてくれる。
《本来なら彼女もキミも死ぬはずだった。しかし、生き残った。そして彼女はキミを見つけた。本来ならすぐに始末するべきだっただろう。だが、なんの因果か……》
《――キミは外部との連絡手段を失っていた》
《……!》
《それならば世間的には死んでいるのと同じだ、と。それで彼女はただキミの監視だけを続けることを選んだ。キミがこの場所で幸せに一生を過ごすことを願いながら》
《そんなことって》
フライトアテンダントはそんなことに残りの人生すべてを費やすつもりだったのか?
罪悪感と使命感の板挟みになりながら?
それはあまりに
軍人にとっての命令とはそれほどまでに重いのだろうか。
あるいは、彼女が語っていないだけでもっとほかに理由があるのかもしれない。
俺にはその本心を知る術はないが……。
《だから、このままであればなんの問題もなかったのです》
フライトアテンダントがそう口を開いた。
心から悲しそうな声だった。
《……そういうことだったんですね。わたしが衛星通信に成功したから》
一瞬とはいえ通信が繋がった。
それでフライトアテンダントも動かざるを得なくなってしまったのだろう。
さらにいえばシークレットサービスの女性の言葉もそのあと押しになってしまったのかも。
「データは送り損ねたが、一瞬でも繋がったなら向こうから見つけてくれるかもしれない」と。
《それで、あなたはどうして協力を?》
俺はそう青年に尋ねる。
彼女はともかく、彼のほうの動機はいまだにわからないままだ。
《半分は偶然。そしてもう半分は……彼ら自身を守るためですよ》
《……?》
《彼には協力を引き換えに……もし
そのとき、か。
それはすなわち『今』のことだ。
《つまり脅したわけですね》
《そうです》
《ちがうっ。オレはただこの人に……!》
――パァンッ!
と、そのとき乾いた破裂音が響いた。
銃弾が青年の足元へと撃ち込まれていた。
フライトアテンダントの手には拳銃が握られていた。
その銃口から硝煙が立ち上っていた。
《あなたはもう用済みです。これ以上はなにもしゃべらなくてよろしい》
《あんたは……》
それきり青年は黙りこくった。
俺には彼がフライトアテンダントにどこか惹かれていたように見えた。
昔はこんな他人の心の機微なんてわからなかったのにな。
ハイスクールでの経験などが、知らぬ間に俺の心を豊かにしていた。
今の俺なら……その気持ちがすこしだけど理解できる。
そう、ポケットに入った小物ケースを握りしめながら思った。
《イロハさん、あなたには私と一緒に来ていただきます》
《殺す、ではなくて?》
《いえ、
《信じられません》
《そうでしょうね。ですが……私も先ほど知ったばかりですが、この森の奥地で過ごしている間に当時とは世界の状況が大きく変わったのです。それで交渉ができるようになりました》
《どういうことですか?》
《詳しくは言えません。ですが、あなたのことは暗殺よりも保護したほうがいいと判断されました》
《監禁、の間違いですね》
《好きな表現を選んでもらって結構です》
《……言葉遊びをしたいんじゃありません。それらはちがうものです》
《そうかもしれませんね》
ひどくそっけない返答だった。
取りつく島もないとはこのこと。
にもかかわらず、フライトアテンダントは俺を説得させるみたいに言葉を重ねる。
俺には拒否権なんてないはずなのに。
《可能な範囲であなたの願いは叶えます。もとの場所に帰すことや、外部との連絡を取ることはできませんが……それはここと同じです。命の保証がある分、ここよりも良いとさえ言えるでしょう》
《「今は」の話ですよね》
《そうです。それに……VTuberの配信もそこで見られるようにしましょう》
《えっ!?》
つまり、3食昼寝つきで永遠にVTuberだけ観てすごしていいってこと!?
ご、ゴクリ……それはちょっと魅力的かも。
《コメントはさせてあげられませんが》
《じゃあ、ダメですね。推しへのコメントとスパチャはわたしの生活の一部なので。それに今の条件じゃライブにもいけませんしね》
会いたい人に会えなくなるのは、もうイヤだ。
俺は自分の足で推しに会いに行ける人生が欲しい。
《……そうですか。残念です》
フライトアテンダントが俺に銃を向ける。
と同時に、周囲からゾロゾロと人が現れる。
〖――よくやった、犬。ここから先は我々の仕事だ〗
「隊長」と呼ばれていた男が、彼女にロシア語でそう言葉を投げていた。
あるいは、フライトアテンダントはアメリカ軍に送り込まれていたロシア側の……いわゆるエージェント、というやつだったのかもしれない。
逃げ場はどこにもなかった。
いや、もとより逃げ切れるとは思っていなかった。
たとえ、相手が監視者と協力者のふたりだけだったとしても。
だから会話でギリギリまで時間を稼いでみたりもしたのだが……。
〖ほら、ようやく捕まえたぞ〗
「ぐっ!?」
《ちょっと、約束がちがう! 彼女に乱暴しないって言ったでしょ!?》
腕を乱暴に掴まれる。
体格もよく、屈強な軍人であるらしい彼の握力は強く……ミシリ、と腕から音が聞こえてきそうだった。
どうやら、ここが俺の限界らしい。
ロシア側の動きを察知して、アメリカ側の部隊もここへ向かっているはずだ……とシークレットサービスの女性は言っていたが、どうやら間に合わなかったらしい。
助けはだれも来なかった。
そう諦めかけた、そのときだった。
――どこからともなく、獣の咆哮が轟いた。
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