第393話『不可視の目』
《どうしても、この足じゃ早くは動けない。それに痕跡も多く残ってしまうから、アタシたちはいくらかまっすぐに進んだあと偽装工作をして身を隠すわ。だから、イロハちゃんはべつの方向へ逃げて》
《……っ》
泣きそうになる俺の頭を、シークレットサービスの女性はポンポンとやさしく撫でた。
それから、柔らかい笑みを浮かべる。
《大丈夫だから。うまくいけば、ふたりとも見つからずに逃げ切れるわよ》
それは暗に「最悪でも俺だけは逃がしてみせる」と言っていた。
「敵の追跡は自分たちが引き受けるから」と。
そんな、ここまで来て!?
シークレットサービスの女性を囮にするだなんてっ……。
《そんなこと、できるわけないじゃないですか!?》
《じゃあ、イロハちゃんはほかになにか策が思いつく?》
《そ、それは……》
《ほら、ないでしょう? それに……安心して。アタシだって自分の命を諦めたわけじゃない。あくまでこの作戦が、ふたりとも生き残れる可能性が一番高いと思って提案してるのよ》
《本当ですか? 本当なんですね!?》
《本当よ》
《……わかりました》
彼女はとてもウソが上手だった。
だから、俺は信じることしかできなかった。
《そうと決まれば時間がないわね。イロハちゃんとはここでお別れ。ただその前に、彼らにアタシと一緒に来るように伝えてくれる? 工作に人手がいるの》
シークレットサービスの女性はそう言って、自身に肩を貸してくれている現地民ふたりへと視線を向けた。
俺はコクリと頷いて、その旨を彼らに伝えた。
《イロハちゃん、ここからはひとりになっちゃうけど大丈夫よね? だって、あなたにはこれまでこの森で過ごしてきたたくさんの経験があるんだから》
《……はいっ!》
《じゃあ、行って。振り返ってはダメよ》
《っ……、どうかご武運を》
《えぇ、イロハちゃんも。必ず、またどこかで会いましょう》
俺はこぼれそうになる涙を堪え、走り出した。
約束どおり後ろは振り返らなかった。
きっと自分でも、一度でもそうしてしまったら足が止まって動けなくなるのがわかっていたのだと思う。
彼女のためにも、なんとしてでも逃げおおせるのだ。
そして、生きて帰るのだ――!
* * *
そう決意に燃えながら必死に足を動かして、しばし。
後ろから声が聞こえてきた。
’おい、娘! よかった、まだ全然進んでいなくて!’
’ぜぇっ、はぁっ……あ、あれ? どうしてここに?’
俺を追いかけてきたのは、現地民の青年だった。
シークレットサービスの女性に肩を貸してくれていたひとりだった。
というか、俺なりに全力で走ってたんですけど。
全然進んでない……全然進んでないかぁ、そっかぁ……。
’向こうはもう大丈夫だからこちらを頼む、と言われてね。森の中ひとりじゃ心細いだろう? それに近くに身を隠せる場所があるのを知ってる。そこまでオレが先導しよう’
’……そうなんですか! 助かります! じつはもう体力の限界で。これ以上、走り続けるのは厳しいと思っていたんです’
’わかった。ついてこい’
そう言って青年は走り出す。
一方で、俺は――足を止めていた。
なぜなら、あることに気づいてしまったから。
彼は困惑した様子で振り返る。
’どうした娘? なぜ動かない? 急がないと、追手が……’
《――危ないっ! そこにヘビがぁあああっ!》
俺は蒼褪めた顔でそこを
進行方向にある木の幹から、大きなヘビが垂れ下がっていた。
毒ヘビの恐ろしさはみんなも、俺も知っている。
噛まれれば、どんなに身体が頑丈な人でも……”彼”でもイチコロだ。
’うわぁぁあっ!?’
現地民の青年は振り返り、すぐ近くにいたヘビに驚いて飛び退った。
それから「ホっ」と息を吐く。
’あ、ありがとう……危ないところだった。おかげで助かったよ。すこし迂回して進もう。来い、娘’
そう伸ばされた青年の手を――俺はスッと身を引いて躱した。
そのまま、ジリジリと後ずさって距離を取っていく。
’娘? いったいどうしたんだ? そんな警戒した表情をして’
’……あなた、だったんですね’
俺は鋭い目を青年へと向けていた。
だが、彼は困惑の表情を崩さない。
’いったいなんのことだ? すまないが、言っている意味がわからない。この状況で混乱してしまったのか?’
’……腕時計’
’ん?’
’アレって、いつから集落にあったんでしたっけ’
’どうして、今そんな話をする必要があるんだ?’
’いいから、答えてください’
’……アレは『良い人』が私たちにくれたものだ。さぁ、そんなことはどうでもいいだろう。それよりも、今は安全な場所へ行くことが先決だ’
’『良い人』がくれた? ――いいえ、ちがいますよね?’
’オレがウソを吐いているとでも?’
’はい’
’なら、ここを乗り越えたあとでほかのやつに聞いてみろ。みんな同じことを言うはずだ’
’そうじゃありません。あなたがウソを吐いたのは今じゃなく、
’……いったいなにが言いたい?’
’あなたがわたしに言ったんですよ’
’――『アレはずっと昔から集落にあった』って’
その言葉は、ほかの現地民たちの証言と食いちがっていた。
しかし、なぜそんなウソを吐く必要があった?
決まっている。
『良い人』の存在を――外部の人間がここに来る可能性を、俺に知られたくなかったのだ。
そして、そんなことをしてメリットのある人間はかぎられている。
すなわち……。
’――あなたが『協力者』だったんですね’
俺たちの監視に協力していた人物。
隠しカメラであり、盗聴器。しかも、すぐ目の前にあってもそうとはわからないもの。
’……そうか。気づいていたのか’
現地民の青年は観念したように、そう呟いた――。
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