第386話『そして”森の外”へ』
カバンから出てきたのは、手のひらに載るくらいの小さなケース。
パカリとケースを開くと、中には指輪が収められていた。
「そっか、忘れてた」
失くさないようにって大切に、内ポケットにしまっていたんだった。
けれど、渡すタイミングを逃してしまった。
こんなことならムリヤリにでも家に置いてくればよかったな。
もう、クリスマスなんてとっくに過ぎてしまっている。
「けど……こんなの、今はなんの役にも立たない」
持って行っても荷物になるだけだ。
俺はそれをポンっと投げ捨てた。
地面にぶつかった衝撃で、ケースから指輪が飛び出す。
指輪はコロコロと転がっていって、コツンと『要らない物』の山にぶつかって止まった。
俺はそれを横目で見ていた。
ママさんは指輪をやさしい手つきで拾いあげる。
’娘、ここにあるのは本当に全部いらないものなの? 私たちにはわからないけれど、どれもあなたにとって大切なものだったんじゃないの?’
’大切なもの
’……そんなこと、できるわけないでしょう’
ママさんはポツリと呟くように言った。
それから『要らない物』の山に手を伸ばした。
まるで宝物でも扱うみたいに丁寧に、ひとつひとつ拾いあげる。
……いらない、って言ってるのに。
彼女には使い道がわからないのだろう。
いろんな角度からそれらを見ては、俺に尋ねてくる。
’娘、この小さい輪っかは装飾品よね? これくらいならつけて行っても問題ないんじゃないかしら?’
’ジャマです’
’じゃあ、こっちの小さな板は? 頑丈そうだし、防具になると思うのだけれど’
’重いだけです’
’えーっと、それなら……’
’すいません、急いでいるので。あまり話しかけないでください’
’ごめんなさい。あっでも、これなら小さなたき火として……’
’あの、だからいい加減にっ――!’
俺はイラ立ち交じりに振り返った。
そして……。
「――え?」
と、俺は固まった。
だって、そこにあったのはありえない光景だったから。
’あの、それ……なんで?’
’えっと、どうかしたの?’
’いや、だってそれ……
’そうなの? ごめんなさい、私にはなにが正解なのかわからないわ’
ママさんが手に持っていたのは、携帯用バッテリーだった。
残量を表すランプがひとつだけ点灯していた。
彼女が『小さなたき火』と表現したのは、それのことだった。
それ自体は光源にはならない。だが……。
「ウソ、なんで? あのあと、たしかめたときは間違いなく動かなかったのに」
水没したあと、何度も充電できないかと試した。
だが、まったく反応しなかった。
それで、完全に壊れてしまったのだとばかり思い込んでいた。
だけど……。
「もしかして、あのときはまだ内部に水分が残っていたとか? 時間が経って完全に乾いて……?」
まさか、こんな……。
今さらになって……。
ママさんも俺の様子に気づいてか、携帯用バッテリーを差し出してくる。
俺は震える手でそれを受け取った。
スマートフォンとケーブルで繋いで、数分。
画面のバックライトが点った。
「あ、あぁっ……眩しい。眩しいよぉ……」
画面にロゴが表示された。
そして……。
「――う、う、うわぁあああんっ!」
涙がボロボロと溢れた。
ずいぶんとひさしぶりに見た気がする。
そこにはスマートフォンの壁紙に設定していた――”推し”の姿が映しだされていた。
VTuberの姿があった。
あんぐおーぐのスマートフォンは壁紙が”翻訳少女イロハ”だったっけ。
そして、俺の壁紙は……。
’……娘’
ママさんが泣きじゃくる俺のことを抱きしめてくれる。
俺ははじめて、己が自暴自棄になってしまっていたことに気づいた。
’ごめんなさい、ごめんなさいっ……’
’いいの、いいのよ。大丈夫だから’
ママさんはやさしく俺のことを撫でてくれた。
それから俺は涙をぬぐって、立ち上がった。
いつまでも泣いてはいられない。
スマートフォンがあるなら、俺にはまだできることがある。
’あの、ママさん。手伝ってほしいことがあります’
’任せて’
ママさんは内容すら聞かずに、強く頷いてくれた――。
* * *
「はぁ、はぁっ……くっ!」
必死にしがみついて、次の枝へと手を伸ばす。
俺は今は――集落のそばにあった中でも一番高い”木”を登っていた。
そんな俺を、何人もの集落の男たちが支え、あるいは引っ張り上げてくれていた。
みんなが協力してくれている。
ママさんが声をかけて回ってくれたおかげだ。
そして、だれもかれもが快く引き受けてくれた。
’――お前はもう私たちの家族だ。私たちは家族のための協力を惜しまない。
そう言ってくれた。
木登りなんて、ひとりじゃムリだった。でも、今はみんなの支えがあった。
’娘、オレたちはここまでだ。ここから先は自分ひとりで登るんだ’
’はぁ、はぁっ……、はい!’
枝や葉っぱが身体に擦り傷や切り傷を作る。
それでも俺は登り続けた。
先端に近づくと、ぐわんぐわんと木が揺れているのがわかった。
手のひらは擦り切れてボロボロだったが、それでも枝は離さない。
亡くなった彼がたくさん鍛えてくれたおかげだ。
それでも握力には限界が訪れる。
諦めそうになったそのとき、視界の先から光が差し込んできた。
俺は最後の力を振り絞った。
「いっけぇえええッ!」
俺は思い切り、天へと向かって手を伸ばした。
分厚かった枝葉の層を抜けて……。
スマートフォンを握った俺の手が――”森の外”へと届いていた。
アマゾンの密林はどこまでも広かった。
けれど、空は思っていたよりもずっと近くにあった――。
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