第383話『生と死と』


「……ふふっ」


 俺はアマゾン上空にかかる虹を眺めながら、つい笑ってしまう。

 その声を聞いて、一緒に釣りに来ていた子どもが俺の顔を覗き込んできた。


’どうしたんだ? そんなに虹がおもしろかったのか?’


’あ、いや。そういうわけじゃないんだけどね’


 ただ「虹が何色か?」なんて、そんな思考自体がおもしろいなと思っただけだ。

 だって不思議じゃないか。虹は本来、無限色なのだから。


 けれど、ほぼすべての国において虹は何色か……その数が決まっている。

 色と色との間に境界線が引かれている。


「言語には共通点がある、か」


 あるいは、それは人間という種族の共通点というべきなのかもしれない。

 脳の構造上、おこりうる必然。


 ちがう地域で生まれたはずの言語が似通ってしまうことは、たびたび起こる。

 それは、まるで収斂進化のように。


「もしかしたら、いつか人類が最後に辿りつく言語も同じなのかもしれないな」


 はじまりの言語がひとつだとしたら、終わりの言語もまた一意に定まるのかもしれない。

 あるいは、それこそが”完成された言語”なのかも。


「……そういえば」


 虹で思い出すことがもうひとつあった。

 いつだったか、俺がクイズ配信で『虹』に関して答えたことがあったな。


 そして今では、その配信で俺は解説役としてレギュラー参加している。

 開催は月イチの予定なのだが……。


「もうとっくに時期がすぎちゃってるよなぁ」


 現在の正確な日付はわからないが、おそらくそうだ。

 配信に穴を空け、みんなに迷惑かけてしまった。


 彼らに会いたい。

 彼らの配信が見たい。


「って、あ~ダメだダメだ!」


 思考がネガティブな方向へばかりいってしまっている。

 俺は「よし!」と気合を入れなおして、立ち上がった。


’今日はいっぱい釣るぞー!’


’気合入れるのはいいけど、また川に落ちそうになるなよー’


’そうだよー。お姉ちゃん、どんくさいんだから―’


’うっ、気をつけます’


 意気揚々と釣り竿を構えるやいなや、子どもたちに注意されてしまう。

 俺はみんなより1歩だけ多めに岸から離れて、釣り糸を垂らそうとして……。


’うおぉおおお~っ!’


 すこし離れた場所から、子どもたちの盛り上がっている声が聞こえてきた。

 俺も気になって、近づいてみる。


’どうかしたの?’


’ほら、見ろよこれ!’


’これは……ナイフ?’


 どこからどう見ても、それにしか思えなかった。

 しかも、ここで使われているような雑な作りのものではない。


 がっしりとした、いわゆるミリタリーナイフだった。

 シューティングレンジの店員さんが、こんなのを持っていた気がする。


’こんなものが、どうしてここに?’


’知らないのか? 川岸にはときどき、こうやって物が打ちあげられることがあるんだぜ!’


’そうそう!’


’なんでも、川に沿ってずぅぅぅぅ~っと遠くまで行ったら、おれたち以外にも人間がいるんだってさ!’


 子どもたちが教えてくれる。

 なるほど、じゃあこれは川上から流れてきたものなのか。


 おそらく、これまで集落の中で見かけた金属類もそうやって手に入れたのだろう。

 鍋や腕時計など……だから、壊れても直せずそのまま。


’でも……、あれ?’


’どうかしたのか?’


’いや、そのナイフ……やけにきれい・・・だなと思って’


 彼らの話をまとめると、これはだれかが落っことして流れ着いたもののはずだ。

 そして、そのだれかとはずっと遠くに住むほかの部族。


 長距離を流されてきたにしては、そのナイフはまったく錆びていなかった。

 それに部族のだれかが落としたにしては、あまりにもナイフの種類が攻撃的すぎるというか……。


’きれいならいいことじゃん! いっぱい使えるってことだろ!’


’それは、まぁ’


’よーし! 釣りが終わったら、持って帰ってみんなにも見せようぜー!’


 子どもたちが「さんせー!」と釣りに集中しはじめる。

 俺はツンツンと脇腹を突っつかれた。


’お前がいつも、一番釣るの遅いんだからなー! 早く手を動かせよなー’


’あっ、はい~……’


 言われて、俺は「今は考えても仕方ないな」と思考を打ち切った。

 それに、子どもたちの話には希望もあったし。


 川を沿って進めば、いつかはほかの部族の場所へ辿りつける。

 そして、そこでは金属製品を使っている。すなわち……。


 ――現代文明との交流がある。


 そこまでさえ、行ければいいのだ。

 また言語が異なるだろうが、それは覚えればいい話。


 そして、そういった部族を順番に伝っていけば……帰れる!

 この森からの脱出が一気に現実味を帯びてくる。


 まぁ、でも……。


’お前、相変わらず釣りヘタクソだなー’


’さ、サーセン……’


 その前に、もうちょっと狩りの腕をなんとかしないとなぁ。

 結局、その日も釣り終わったのは俺が最後だった――。


   *  *  *


 子どもたちのあとについて歩く。

 いつも、俺が最後尾だった。


 集落が近づいてくる。

 俺は「あー疲れたー」と背伸びしようとして、違和感に気づいた。


「……ん? なんだ?」


 いつもとなにか雰囲気がちがった。

 集落の真ん中に、部族のみんなが集まっている。


 そして、ナニカを見下ろしていた。

 ざわり、と冷たいものが背筋を撫でたような錯覚がした。


「……え?」


 人垣の隙間からチラリとそれは見えた。

 それは人の足だった。


 みんなが見下ろしていたのは……。

 真ん中に寝かされていた、そのナニカとは……。



 ――人間、だった。



「そんな、ウソ……だって、ありえない……」


 フラフラとそこへと歩み寄る。

 キーンと耳鳴りがして、視界が狭まる。


 間違いなかった。

 認めたくない。けれど、イヤでもわかってしまう。


 だって、俺はその足に見覚えがあったから――。

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