第382話『虹は本当に7色なのか?』

《考えごとに熱中するのもいいけど、気をつけてね。今日もこれから狩りに行くんでしょう?》


《もちろん》


《にしても、まさか……あの、よわよわなイロハちゃんがねぇ~》


《い、言わないでください》


 シークレットサービスの女性がイタズラっぽく笑う。

 俺だって似合わないことをしている自覚はある。


 向いてないとも思う。

 けれど、俺がやるしかないから。


《ごめんね、アタシが助けを呼んでこれたらいいんだけど。まだ・・足が動かなくって》


《っ……》


 彼女はそう、自身の足へと視線を落とす。

 俺は思わずこみあげかけたものを必死に堪えて、冗談めかした表情を作った。


《もうっ、謝るのはナシって言ってじゃないですか!》


《ご、ごめん! って、アタシったらまた!》


《まったく~! アメリカ人は謝らない……わたしはそう学んでたんですけどね~?》


《あはは。イロハちゃん……ありがとうね》


《どういたしまして》


 礼を述べながら、彼女は心配げな表情になる。

 あるいは、それは……罪悪感の滲んだ顔、というべきなのかもしれない。


《イロハちゃん、アタシは本当に大丈夫。だから、ムリしなくてもいいからね》


《……そうですね》


 ここ数日、彼女はすっごく元気だし……もう治るまで待って全部、彼女に任せてしまえばいいのでは?

 そんな思考が頭をよぎったこともある。


 だが、俺は気づいた。

 気づいてしまった。


 彼女は自身の傷をここ数日分しか知らない。

 けれど、俺は毎日診てきたから……。


 「”まだ”足が動かない」と彼女は言った。

 でも、おそらく彼女の足はもう……。


 俺にもっと適切な処置ができていれば。

 あるいはもっと早く……いや今からでも、一刻も早く助けを呼ぶことができれば、あるいは……!


《イロハちゃん?》


《え!? あっ……その、ほら! わたし、ほかにやることもないし。なにより協力すると言ってくれた人への恩義もありますから! 今はまだ狩りを続けようかなって!》


《そう? わかったわ》


 べつに、その努力がムダになったならそれでいい。

 それが1番、幸せなことだから……。


《あ、もう行かないと》


《イロハちゃん、本当に気をつけてね。アタシも訓練で何度か森で生活したことがあるけれど……いつ、だれが死んでも不思議じゃない危険な場所だから》


《はい、わかりました》


《それに今は雨上がりで足がぬかるんでいるし》


《あはは、心配性ですね。ここじゃ雨なんていつものことですよ》


《……そう、だったわね》


《それじゃあ、そろそろ……》


《イロハちゃん!》


《……?》


《あ、いや……本当に、気をつけて》


 シークレットサービスの女性はなにかを言おうとして、やめた。

 俺は首を傾げながらも、家をあとにする……間際、ふと振り返った。


 なぜ、そうしたのかはわからない。

 だが今の元気な彼女の姿が、まるで燃え尽きる寸前のロウソクの炎のように思えて。


「……いや」


 こんなのはただの悪い想像だ。

 俺はそう頭を振って、良くないイメージを頭から追い出した。


《いってきます》


《いってらっしゃい》


 そうして、俺は槍を……というか、釣り竿を持って集落を出た。

 今日はいつもの男性ではなく、ほかの子どもたちと一緒だった。


 最近はこうやって、子どもグループに交じって森へ出ることも多い。

 正直、大人が一緒だったときと比べるとめちゃくちゃ心細いが、これも練習だ。


 それに、あくまでアマゾン川と集落の間……比較的、安全なその道だけ。

 人も多い(密林基準)し、なにかあっても大声で叫べばだれかが助けてくれる……はず。


「俺も早く、陸でも狩りができるようになれるといいんだけど」


 声でおびき寄せられるといっても、さすがに陸の生きものはまだ自力じゃムリだった。

 だから、釣り一択。


 まっすぐ川まで向かって、視界が開けたそのとき……。


’あっ! おい、アレ見ろよ! 知ってるか? 『虹』って言うんだぜ!’


 子どものひとりが腕を引っ張って、俺に教えてきてくれる。

 あぁ、そっか雨上がりだから……。


 空に橋がかかっていた。

 まぶしい。ずいぶんとひさしぶりに見た気がする。


 さっきまで”色”のことをを考えていたから、だろうか?

 ちょっとだけ気になった。



「――この子たちに、あの虹はどんな風に見ているんだろう?」



 いつだったかも話したっけ。

 言語的相対論――サピアウォーフの仮説。あるいはクオリアの話。


 言語によってものの見えかたも変わる。

 そしてもちろん、それは虹も例外ではない。


「まぁ、虹の色に関してはそれがすべてじゃないけれど」


 たとえば英語にも藍色(indigoインディゴ)は存在するが、虹の色には含まれない。

 虹は全部で6色だ。


 フランス語にも橙色(orangeオロンジュ)は存在するし、なんなら農業が盛んでよく使う単語。

 なのに含まれず、虹は5色。


「俺も今、こうして実際に見ながら数えてみると……正直、あまり7色には見えないかも」


 まぁ、日本で虹が7色扱いされてるのってニュートンの影響だしなぁ。

 彼が音階に合わせて7つに設定し……それがそのまま、日本にやってきて定着しただけ。


 だから言語や、実際の見えかたで決まっているわけじゃないのだ。

 言ってしまえば、思い込み。


「でも……」


 逆にいえば、俺たちはそれだけ自由にものの見かたを変えることができるのだ。

 自分たちで想像しているよりもずっと。


「あるいは、それこそが人間の……」


 そんなことを俺は思ったのだった――。

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