第380話『命がけの対話』
俺は自ら1歩、ジャガーたちへと近づいた。
彼らはもしかして、俺に撃たれてからずっとこのような生活をしていたのだろうか?
それではほとんど食料も獲れなったはずだ。
痩せているのも納得。
’獲物、すこし多すぎたって言ってましたよね?’
俺はそう現地民の男性に問うた。
彼は「正気か?」という風に目を丸くしてこちらを見ていた。
’いったいなにを考えている’
’余った分の魚をもらえませんか? 彼らに渡します’
’お前まで喰われるぞ!?’
’きっと大丈夫。それに、わたしはそうあなたから教わりました。人間も動物も『平等』なんだって。自分たちに必要ない分は自然のもの――つまり、これは彼らの分です’
べつに多く獲れたなら次の食事に回せばいいだけかもしれない。
けれど、それは”今”必要な分ではない。
いつかも言ったが、ここに住む人たちは余分に食料を獲ることをしない。
そして、今回もそうするだけだ。
ジャガーを特別扱いしているわけではない。
ただ自分たちの「明日」と彼らの「今」ならば、「今」が優先されるべきだと思った。
’だが、そんなの彼らには伝わらないぞ’
’いいえ、伝わります。必ず、わたしが伝えます’
’そんなこと……いや、そうか。たしかにお前なら……だが’
現地民の男性は、俺がサルを声でおびき寄せたことを思い出したのだろう。
わずかに悩むそぶりを見せた。
俺は不思議とジャガーたちに、襲われ……そして殺されかけたことの恨みはなかった。
もちろん、恐怖はあるけれど。
だって、今の俺ならわかるから。
彼らもまた、この森で生きているだけなのだと。
先ほど、サルを狩った俺と同じ。
そこにはなんのちがいもない。
’お願いします’
’……’
俺は現地民の男性から、いくらかの魚を取り出してもらった。
それを抱えながら彼に告げる。
’じゃあ、先にこの場を離れてください。もし失敗してしまったとき、巻き込まるかもしれないので’
’お前はっ! ……はぁぁぁ~’
現地民の男性は大きく嘆息した。
いや、覚悟を決めるために息を整えた、といったほうが正しいか。
’わかった。私も残ろう’
’い、いいんですか!?’
’だが、条件がある。決して私の槍が届く範囲よりは前に出るな。そして――いざというときは、私が喰われている間にお前ひとりで逃げろ’
’なっ!? そんなことできるわけっ’
’絶対だ。わかったな?’
その強いまなざしに俺はなにも言えなくなる。
俺はふたり分の命を背負いながら、ジャガーと向き合うことになった。
1歩、また1歩と俺は近づいていく。
ついにガマンの限界に達したのか、ジャガーたちが地面を蹴ろうし……。
”――待て!”
俺は吠えた。
ジャガーたちの言葉で「敵意はない」と必死に伝える。
”待て。待て”
子ジャガーたちは困惑した様子で動きを止めていた。
と、そこで母ジャガーがスンスンと鼻を鳴らした。
”お前は……”
グルルルと喉を鳴らして言う。
俺があのときの相手だと気づいたのかもしれない。
頼むからまだ襲わないでくれよ。
そう願いながら、俺は抱えていた魚をそぉっと地面に置き、彼らに伝えた。
”やる。食え”
これには子ジャガーだけでなく、母ジャガーも困惑した様子だった。
彼らは動かない。
あるいは俺が近くにいるから食べないのだろうか?
俺は彼らからすこし離れて、もう一度繰り返した。
”食え”
子ジャガーたちが判断を仰ぐように母ジャガーを見ていた。
彼女はしばらく俺と魚を見つめたあと……のそり、と身体を起こした。
ケガが痛むのかゆっくりとした動作で魚に近づき、スンスンと念入りに匂いを嗅ぐ。
そして……ガツっ! と魚に口をつけた。
子ジャガーたちもそれに続くように、我先にと魚へ飛びついた。
魚をむさぼり食らうジャガーたちを見て、俺は「はぁ~~~~」と長い息を吐いた。
’よ、よかったぁ~! 信じてくれてぇ~!’
’まさか、本当にこんなことが起こるなんて……!’
現地民の男性は「信じられない」という風に、その光景と俺を交互に見ていた。
しばらくそうやって呆然としていた彼だが、ハッと我に返って俺の背を押して促す。
’娘、そろそろ行こう’
’そうですね’
魚を食べているうちはいいが、食べ終わったあとは俺たちの番かもしれない。
なんて無粋なこと、男性は言わなかった。
あるいは、ジャガーはもう俺たちを襲わない、と彼も感じていたのかも。
俺たちが立ち去る間際、母ジャガーがチラリともう一度だけ俺に視線を向けた。
’……’
礼はなかった。
彼女はすぐに食事へと戻った。
だがそれでいい。
彼らの言語に「ありがとう」を示す言葉はないのだから。
「じゃあね」
俺は小さく別れの言葉を口にした。
もしかしたら次に会ったとき、彼らにとって俺はただのエサかもしれない。
けれど、容赦なく食い殺されることになったとしても……。
今この瞬間にかぎっては、自分の行動は間違っていないと思えた。
’あの、ありがとうございました’
命がけの対話に付き合ってくれた現地民の男性に礼を述べる。
彼は「いや」とすこし震えた声で答えた。
’こちらこそありがとう。すばらしいものを見せてもらった……本当にすごかった’
’そんな’
’もしかして、お前は神の使いなのか?’
’あはは。もしそうなら、空を飛んでとっくに脱出してますよ’
俺たちはそんなやり取りをしながら集落へと帰った。
そして……俺ははじめて自分の手で肉を捌いた。
自分が仕留めたサルの肉だ。
途中で何度も泣いた。吐きそうにもなった。それでも最後までやりきった。
はじめて食べた自分で捌いた肉の味はすこしだけ、しょっぱく感じた――。
* * *
それから数日後、俺は知ることとなる。
大切な人との別れは突然やってくるのだ、と――。
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