第379話『昨日の敵は、明日の友』


 サルを狩ったあと、俺たちは帰路についていた。

 現地民の男性がいまだ興奮冷めやらぬ様子で俺に話しかけてくる。


’まさか本当にサルを仕留められるとは! お前は本当にすごい!’


 褒められるのはうれしい。けれど……。

 しばらく語っていた男性だったが、ふと視線を自身が背負うカゴへと向ける。


’しかし、本当にできるとは思っていなかったから……すこし多く獲れすぎたかもしれない’


 あっ、信じたから一緒にサルを追いかけてくれたわけじゃなかったのね。

 けれど、これで俺が森でできることがひとつ見つかったわけで……。


’……’


’大丈夫か?’


’えっ、あっ……はい’


’お前はやるべきことをしただけだ。気に病むことはない’


’……ありがとうございます’


 励ましてくれたのだろう。俺は素直に礼を述べた。

 ただ今日は……今日だけは、集落に帰ったらすこし眠りたい。


 そんなことを考えながら歩いていたときだ。

 俺は気づいた。


’あれ? このあたり……’


’どうかしたのか?’


 ここに来た当初は森の見分けなんてつかなかった。

 だが長く生活していると、俺でも多少はちがいがわかるようになるらしい。


 この景色には見覚えがある。

 ここは……。


’わたしが最初に、倒れていた場所の近くだ’


 墜落した飛行機があるあたり。

 サルを追いかけているうちに、いつの間にかずいぶんと移動していたようだ。


’そうだったのか。私たちもこちらへはあまり来ないからな。なぜなら、――動くなっ!’


’っ!?’


 現地民の男性が息をひそめ、そして鋭い声で俺に告げた。

 いったい、なにかあったのだろう?


 いつものように彼がなにを見ているのか、確認するためその顔へと視線を向けると……。

 彼は、今までに見たことがないほどの焦りと緊張、そして――恐怖で表情を強張らせていた。


’マズい……マズい、マズい。絶対に動くな。刺激するな’


’あの、いったいなにが’



’――ジャガーだ’



’なっ――、んぐっ!?’


 思わず声がこぼれかけ慌てて口を手で塞いだ。が、遅かった。

 現地民の男性が言う。


’こちらに気づかれた’


 俺も遅れてジャガーを視認した。

 予想以上に彼らは近くにいた。


 全部で4頭。

 彼らが次々と身体を起こし、臨戦態勢へと移行していく。


’ご、ごめんなさい’


’いや、お前は悪くない。襲われたことがあるのだろう? 怯えるのもムリはない’


 そう、ジャガーと聞いた瞬間に記憶が蘇ってしまったのだ。

 たったひとりでシークレットサービスの女性を守りながら過ごした夜のことを。


 彼らに襲われて……そして、殺されかけたときの恐怖が呼び起こされていた。

 身体の震えが止まらない。


 今なら、現地民の男性が「なぜなら」のあとに続けようとした言葉がわかる。

 彼はきっとこう言おうとしたのだ。


 なぜなら――このあたりにはジャガーが出るから。

 だから近づかない、と。


’彼らは森で最強の存在だ。1対1ではまず勝てない。だが、そんな彼らにもひとつ弱点はある’


’な、なんですか?’


’それは彼らが『群れを作らない』ことだ。だから、こちらがふたり以上なら向こうも手出ししてこない’


’え? で、でも’


’そうだ。だから非常にマズい’


 視線の先にいるジャガーは4頭。

 俺がはじめて見たのも群れだったから、そういうものなのだと思ってしまっていた。


’真ん中のに比べて、ほかの3頭はすこし小さい。おそらく産まれたばかりだ’


 産まれたばかり、といっても生後しばらくは経っているのだろう。

 俺からすれば成体だと言われても信じてしまうくらい、十分に大きく恐ろしかった。


 そして、真ん中のジャガーが母親なわけか。

 まだ子育ての最中だから、一緒に行動しているのだろう。


’……ん?’


 と、そこで俺は気づいた。

 子ジャガーは臨戦態勢を取っているが、母ジャガーは起き上がろうとしないことに。


 いや、ちがう。

 起き上がれないのだ。


 彼女は負傷していた。

 そして、俺は彼女の傷に覚えがあった。


’ま、まさか……いや、間違いない!’


’どうした?’


’このジャガーたち、わたしを襲ったのと同じジャガーです!’


’……! そうだったのか’


 考えてみれば、そうそうジャガーの群れがあるはずもない。

 生まれたときからずっとこの森に住んでいる彼ですら、珍しいと言うのだから。


’とことん運が悪いな。かなり痩せている――飢えている。こちらが武器を持っているのがわかっているから、いきなりは襲ってこないが……娘、刺激しないようにゆっくりと後ろに下がれ。逃げるぞ’


’は、はい。わかりまし――’



”――来るな!”



 そのとき子ジャガーが吠えた。

 俺はその声でつい足を止めていた。


 『言語チート能力』によってジャガーの言葉がわかった。

 だが、俺は引っかかりを覚えていた。


 なぜ「来るな」なんだ?

 なぜ――「殺す」じゃないんだ?


’おい、娘。早く逃げないと……!’


 現地民の男性が急かす。

 わかっている。けれど、もしかして……。



”――なにをしている、お前たち! 行け! 行け!”


”――イヤだ!”



 母ジャガーが子ジャガーたちに吠えていた。

 それに対し、子ジャガーたちは悲しそうな鳴き声を返している。


 俺はてっきり、彼らが俺たちを襲うために臨戦態勢を取っていると思っていた。

 だが、ちがったのだ。


 あれは……ただ、警戒しているだけ。

 傷ついた母ジャガーを守っているだけだ。


 実際、彼らは一定以上は母ジャガーのそばを離れようとしなかった。

 負傷して動けなくなっている母ジャガーに寄り添い続けていた。


”このバカどもがぁあああっ!”


 母ジャガーがまた吠えた。

 語彙が少ないからそう聞こえただけで、実際には……きっと彼女はこう言っている。


 ――私のことなど見捨てて、旅立て!


 ……と。

 そして、子ジャガーたちは「見捨てられない!」と拒否し続けている。


「あぁ、ほんと……バカなことしようとしてる。そんなの自分でもわかってる。でも……」


’む、娘!? いったいなにをしてる!? 戻れぇえええ!’


 俺は足を踏み出していた。

 自分から1歩、ジャガーたちへと近づいた――。

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