第378話『”命”』


 俺と現地民の男性は木の上を移動するサルを追いかけて、いつもの道をすこし外れていた。

 移動しながら彼が問いかけてくる。


’サルをおびき寄せる? いったいどうやって?’


’声を使って、です’


’声?’


 男性は不思議そうに首を傾げていた。

 ここで生きていれば、サルの鳴き声を聞く機会は多い。


 今の俺には彼らの言葉がある程度、理解できた。

 そして「わかる」ということは、俺の場合「話せる」とほぼイコールだ。


’娘、このあたりなら槍を振りやすい’


’わかりました’


 サルを追いかけていくらか移動したころ、そう男性が俺に伝えてくる。

 槍で動きの素早いサルを狩るには、場所も大事らしい。


’だが、声でおびき寄せるなんて本当にできるのか?’


’そうですね、たとえば……’


「キーキー」


 サルが鳴き声を発している。

 俺はそれを通訳した。


’今のは「どっかにエサないかなー?」です’


’……!’


 正確にいえば「リラックス状態にあって食べものを探している」ことを示している。

 そのことから、サルがまだこちらに気づいていないこともわかる。


’まさか、本当にサルの言葉がわかるのか。驚きだ……’


’といっても、全部ではないですが’


 サル語を通訳した俺に男性が目を丸くしていた。

 って、いつまでもおしゃべりしていたら、狩りやすいこの場所から移動されてしまうな。


’準備はいいですか?’


’あぁ、問題ない’


 男性が背負っていた魚の詰まったカゴを地面に下ろし、すこしだけ離れた場所へと移動する。

 彼が槍を構えたのを確認し、俺は発声した。



”――こっちへ来い! こっちへ来い!”



 俺は「キーキー」とサルそっくりに鳴いた。

 ネコのときと同じだ。


 声帯がちがうためカンペキとはいかないが、似せた声なら発せられる。

 人間の声帯はそれだけ柔軟だ。


 ピクリとサルが動きを止めた。

 それからスススーと木の幹を伝って地面に降りてくる。


”――こっちへ来い!”


 俺が繰り返すと、あたりをキョロキョロと見渡しながらこちらに近づいてくる。

 そして――ビクン! と、俺の姿に気づいて身体を震わせた。


 慌てて逃げようとするが、もう遅い。

 背後から迫っていた男性が槍を振り抜いていた。


「……ぁ」


 そのとき、俺は今さら気づいた。

 気軽に提案してしまった自分が、いったいなにをしようとしていたのかに。



”――い、痛いぃいいいッ!!!!”



 サルの悲鳴が俺の耳をつんざいた。

 男性の振るった槍は見事に命中していた。


 しかし、サルは即死しなかったようで、その場で悶えていた。

 ”彼”の声が聞こえる。


”痛い! 痛い! 痛い! 死にたくない……助けて!”


「……はぁっ、……はぁっ」


 息が苦しくなる。視界がキュウっと狭まるのを感じた。

 そんな俺に男性が喜色をにじませた声で興奮気味に話しかけてくる。


’娘、よくやった! お前はすごい! 本当にサルをおびき寄せるだなんて!’


 そうだ、このサルは俺がおびき寄せたのだ。

 俺のせいで死ぬのだ。


”痛い! 痛い! 痛い!”


 サルの声がずっと聞こえている。

 これまでだって、サルを食べたことはある。


 けれど、こうして目の前で……自分が”言葉の通じる相手”を殺す原因になるのははじめてだった。

 俺は、わかっていなかったのだ。


’娘、これはお前の獲物だ。だから、お前がトドメを刺せ’


’……わたし、が?’


 言われて思い出す。

 俺の手にも男性と同じく槍が握られていることを。


”痛い……痛い……死にたくない、殺さないで……”


 サルが懇願するように鳴いている。

 気軽に提案してしまった。けれど、俺が言ったのってこういうこと・・・・・・だったんだ。


 恐怖と罪悪感で手が震える。

 吐きそうだった。


’娘……もしかして、お前は獲物を絞めるのははじめてか?’


 異変に気づき、男性が問うてくる。

 俺はかすれた声で「……はい」と返した。


’そうか。では、ためらうな。こいつの痛みを長引かせるな’


 それは彼なりの”命”への礼儀なのだろう。

 わかっている。俺も頭じゃそうすべきだとわかっている。


 だけど、身体が動かない。

 その間もサルは「痛い」と叫び続けていた。


’はぁっ……、はぁっ……う、うぅうううっ!’


’できないか。ならば森の外へ出ることは諦めろ’


’……っ!’


 そうだ、森の中を進むというならこれは決して避けては通れない道だ。

 殺さねば食えない。食えなければ飢えて死ぬだけ。


 命を選ぶ・・なんて娯楽が許されるほど、俺は強くないのだ。

 ぽつり、と呟くように俺は言った。


’……やります’


 俺はサルに槍を突きつけた。

 ”彼”と目が合う。ケガして瀕死、自分よりも弱い相手……。


”助けて……殺さないで……お願い。痛い……痛いよぉ……”


「っ……」


 このサルはなにも悪くない。なにも悪くないのだ。

 それでも、俺は……俺はっ!


「う、う……うわぁあああっ!」


 俺はただ自分のためだけに、サルへと槍を突き出した。

 甲高い断末魔が響き……そして、その一撃で彼は死んだ。


「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 涙が止めどなく溢れた。

 俺はたぶん、今この瞬間はじめて――「命」という言葉の意味を理解した。


「もし『言語チート能力』がなかったらここまで苦しまなかったのかな」


 俺ははじめて――この能力を恨んだ。


 わからなかったことを、わかるようにはなれる。

 けれど、すでにわかることを……わからないようになることは、できない。


 できるとしたら、わからないフリをすることだけ。

 そして、そんなことにはなんの意味もない。


「お母さんが言ってたっけ……『この子の言っていることがわかったらいいのに』って」


 ペットの言葉がわかるようになったら幸せだろう、って。

 けれど、言葉が通じないからこそ幸せ……そんなこともあるのだと、俺ははじめて知った。


「帰る……生きて家に帰るんだ、絶対に。なにがあろうとも」


 俺はそのために他者の命を奪った。

 決して裏切ってはいけない。


 そう俺は己の心と、そして奪った命に誓った――。


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