第377話『言葉のワナ』


’私がお前を森の外まで連れて行く’


’い、いいんですか!?’


 現地民の男性の言葉に驚く。

 その発想はなかった……いや、不可能だと思っていたのだ。


 なのに、まさかそこまでしてくれるだなんて。

 彼らにとっては森の外なんて異世界だろうに。


’みんなはここを離れたがらない。でも、私は一度でいいから……外を見てみたい’


 それはきっと半分は方便で、半分は本心だろう。

 彼は、俺のためにそんなことを言ってくれている。


 願ってもない提案だった。

 外に辿りつけたら、集落の場所を伝えてシークレットサービスの女性を救助してもらうことが可能だろう。


 それに、彼もそのとき一緒にこの故郷へと帰してあげることができるはずだ。

 帰り道の心配はいらない。


 あるいは、もし彼が望むのなら……大統領に掛け合ってでも、現代社会で生きる選択肢を与えてあげたい。

 大きな恩義だ。どれだけ礼を尽くしても足りないほどの。


’だが、今のお前じゃムリだ。お前は弱すぎる’


’うっ……!’


’私たちは船を作らない。だから森の外へは歩いて行く’


 「作らない」……正確には「作るつもりがない」か。

 それは彼らの信念ゆえだろう。


 「船」はこの世界においてあまりにも大きすぎる存在だ。

 彼らの”平等”を簡単に壊せるほどに。


’森を進むには体力がいる。それに自分で獲物を狩れないとダメだ’


’そう、ですね’


 現地民の男性が言うことはもっともだった。

 今のままじゃ俺はただの足手まとい。


 アマゾンの密林は”おもり”をしながら進めるほどやさしくない。たとえ、彼であっても。

 その過酷さは十分に知っている。


 それに集落の外は安全が確保されていない。

 必然的に、眠るときも交代で見張りをする必要があるだろう。


 ほかにも、もし途中で彼が倒れたらどうする?

 ひとりじゃなにもできないから死にました、じゃあ笑い話にもならない。


’わかりました。わたし……強くなります!’


 強くなる。俺はそう決意した。

 正直、今まではどこか……草花も狩りも『体験』させてもらっているみたいな感覚だった。


 けれど、これからはちがう。

 本気でこの場所で生きられるだけの知識と力を身につけるのだ。


’まずはひとりで魚を釣れるようになれ’


’はい!’


 俺は槍から伸びる糸を……釣り糸を川へと垂らした。

 すぐさま、すさまじい手ごたえ。


「こ、これは大物にちがいない! ぬぎぎぎぃ~~~~!?」


 水面を挟んだ綱引きがはじまった。

 相手も命がかかっているから必死だ。全力で抵抗してくる。


「ぬぐーっ! ぬぎーっ! ぬわぁあああっ!」


 それから、体感1時間後ぐらい経っただろうか?

 悪戦苦闘の末、俺はついに……。


「ぜぇ、ぜぇっ……! ぬ、う……とっりゃぁあああっ!」


 その魚を釣り上げることに成功する。

 水面から姿を現したそれは、なんと……!


’……小魚、だな’


’な、なんでぇえええ!?’


 指の先ほどの、ちっっっちゃい魚だった。

 ウソぉん!? 俺、こんなのと死闘を演じてたの!?


 俺は汗だくのまま、うなだれた。

 しかし、現地民の男性がにっこりと笑いかけてくる。


’気にするな。大事なのはお前が自分で魚を釣りあげたことだ’


’……! は、はいっ!’


 そうだ、どれだけ小さくとも魚は魚。

 俺はこの人生ではじめて、自力で獲物を捕ったのだ!


’じゃあ、帰るぞ。もう魚は十分だ’


’あっ、はい……’


 見れば、男性の脇にはいつの間にか魚の山ができあがっていた。

 な、なんという差……。


 彼は魚をバナナの葉で編んだカゴに入れると、ひょいと背負って歩き出す。

 まるでなにも持っていないかのよう。俺は普通に歩いて行き来するだけでも大変なのに……。


「……がんばらないと!」


 一歩でも彼に近づけるように。

 そう、俺はあとを追って足を踏み出した――。


   *  *  *


 と、その帰り道のことだった。

 ふと男性が足を止めて木を見上げた。


’――サルがいる’


’えっと、どこですか?’


 全然、わからない。

 相変わらず、森で生活する彼らの五感の鋭さには驚かされてばかりだ。


 男性の視線の先を追い、じっと目を凝らしてようやく見つける。

 サルはまだ、こちらには気づいていない様子だった。


’弓も吹き矢も持ってきていないから、捕まえられない。本当に残念だ、せっかくの――ごちそう・・・・なのに’


 男性は全身で悲しみを表現していた。

 ここの集落に住む人たちはみんな、いろんなものを食べる。


 虫やバナナ、エイだけでなく、ときには――イルカまで。


 「川にもイルカっているの!?」とか「食べちゃうの!?」とか、いろいろ衝撃が大きかった。

 が、知ったのはすでに俺も食べてしまったあとだったので、もうどうにもならなかった。


「まぁ、俺たちもクジラ食べてるわけだけど」


 きっと外国人から見た日本人もそんな感じなのだろう。

 文化として受け入れよう。


 そして、そんな彼らがもっとも好んで食べるのがサルなのだ。

 彼らは口をそろえて「サルの肉が一番おいしい」と言う。


 ここで生きる以上、俺も食べることがあるのだが……。

 マズくはないけれど……正直、そこまでおいしくもないって感想だった。


 ぶっちゃけ魚のほうが好みだった。

 おそらく味覚がちがうんだろう。


’はぁ、残念だ……残念だ……’


 男性は悲しそうにそう何度も何度も繰り返す。

 それで、俺はつい口を開いてしまった。


’あ、あのぉ~’


’なんだ?’



’――わたしなら、あのサルをおびき寄せることができます……たぶん’



 命まで懸けて森の外へと送り届けんとしてくれる彼に、なにか礼がしたくなったのだ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る