第375話『言葉は人生の選択肢を広げる』


《はぁ、はぁ……イロハちゃん、ごめんね。苦労をかけて》


《心配しないで、今は身体を休めてください》


 シークレットサービスの女性は熱に浮かされながら、俺へと謝罪の言葉を述べる。

 彼女の容態はある程度、安定していた……が、なかなか良くもならなかった。


 ときおり、こうして目を覚ますのだが、すぐにまた意識を失ってしまう。それの繰り返し。

 そして、起きているときはずっと俺に謝り続けていた。


《ごめん、ね……ごめん……》


《大丈夫、大丈夫ですから》


 意識がもうろうとしているのだろう。

 そんな中でも彼女は……何度か目を覚ます間に、墜落時のことを教えてくれた。


 当時の俺は眠っていて知らなかったが……。

 聞けば、爆発の原因はわからないが、そのすこし前から通信に不具合が起こっていたそうだ。


 そこに俺は、あきらかな作為を感じた。

 きっと、助けが来ないのも何者かが……。


「……寝ちゃった」


 シークレットサービスの女性がいつの間にかまた、眠りに落ちていた。

 俺は日課である彼女のお世話をしながら……。


「ごめん、なさい……ごめんなさい。ちがうんです、本当に謝らなきゃいけないのは、わたしのほうなんです。あなたはわたしを守ってくれたのに」


 悔しさで涙が溢れてきた。

 彼女を早く医者に見せなきゃいけないのに、俺にはそれができない・・・・


 声が外に漏れていたのだろう。

 心配そうにだれかが家の中を覗き込んでくる。



’――おい、娘。大丈夫か? なにかあったのか?’



’いえ、大丈夫です’


 俺は現地民にそう言葉を返した。

 ”彼らの言葉”で。


 そう、俺はついに彼らの言語をおおよそ理解するところまで到達したのだ!

 にもかかわらず……。


「……ごめんなさい」


 俺たちはまだ密林から脱出できずにいた――。


   *  *  *


 今まで手こずっていた俺が、ここまで急速に彼らの言語を理解できるようになったきっかけは、彼らの文化の根底……”平等”を理解したことだろう。

 いかに文化と言語の関係が深いか、痛感させられる。


 そして、意思疎通ができるようになった俺は、すぐさま現地民の人々に訊ねた。


’――なんとかして外部との連絡が取りたい。外部との交流はないか?’


 だが、その返答は……すべて「否」だった。

 この集落は完全に孤立していたのだ。


 ほかの部族とすら関わりを持っていない。

 すくなくとも自力で移動できる距離に、この集落以外の人間は皆無だと言われた。


「本当はそんな気がしてたんだ。彼らの文化を理解してから」


 ここにある”平等”は、外敵がいないからこそ成り立つものだ。

 外との関わりがない小規模なコミュニティだからこそ成り立つものだ。


 彼らはいわゆる――”非接触部族”だった。


「けれど、まだだ……まだ、諦めてたまるかっ」


 折れそうになる心をそうやって鼓舞する。

 家の外で待っていると、目的の人物が通りがかった。


 それは以前、俺に狩りを教えてくれようとした現地民の男性だ。

 俺は彼に声をかけた。


’こんにちは’


 彼らの言語に”あいさつ”は存在しない。

 だから、実際にはそんなことは言っていない。


 だが、言語の解析が進んだ影響でだろう。

 いつしか、そのように解釈……あるいは翻訳されるようになっていた。


「いや、考えてみれば日本語だって同じか」


 「こんにちは」だって本来は「今日こんにちはお日柄もよく」の略だ。

 けれど、現代では雨の日だって使う。天気なんて意識しない。


 もちろん「今日こんにちはご機嫌もうるわしゅう」の略という可能性だってあるのだけれど。

 どのみち、体調で使い分けたりもしない。


’ダンナさん、またわたしを狩りへ連れて行ってもらえませんか?’


’狩り、って本気かい!? 前回、あんなだったのに!?’


’うぐっ!? い、いいんです! それでも行きたいんです!’


’まぁ、そこまで言うなら一緒に行こうか’


 前の悲惨っぷりを見られているせいか、ずいぶんと呆れられてしまったが……。

 それでも最後には、彼は笑って了承してくれた。


   *  *  *


 俺は現地民の男性に続くようにして、槍を片手に森へと足を踏み入れていた。

 緊張で身体が強張る。


「……ごくり」


 森を歩くのは、やはり恐い。

 なぜなら、そこら中に危険が潜んでいるから。


 けど、俺だって成長している。

 草花だって多少は見分けられるようになった。


’それ、危ないから触っちゃいけないよ’


’はい、わかってます。虫が寄って来るんですよね?’


 男性がそう注意を促したのは、いつだったか触ろうとして怒られた赤い花だった。

 あとから子どもたちに教わって、その危険性を知った。


 なんでも、この花は刺激を受けると独特の臭いを発するらしい。

 しかも、特定の虫がその臭いを非常に好んでいるとか。


 そのせいで不用意に触って身体に臭いがつくと、その虫に集られてしまうそうだ。

 さらに、興奮している虫たちはめっちゃ刺してくるらしく……。


’――おれたちみんな、1回は刺されたことあるけど……アレ、すごく痛いんだよなー’


 教えてくれた男の子は、そう言って笑っていた。

 きっとこの赤い花は、危険から身を守るためにそういう進化をしたんだろうな。


’先へ進むぞ’


’はい’


 触ってしまわないように大回りで避けて、森を進んだ。

 それからしばらく、ただただ歩き続けた。


 前回ので、最初から森の中での狩りは諦められていたのだろう。

 寄り道することなく、俺は川まで連れてこられた。


’じゃあ、魚を獲るぞ’


’……あの!’


 釣りをはじめた男性に、意を決して話しかける。

 騙して悪いが、俺の目的は……本当は、狩りを教わることではない。


’この場所に、長時間留まることはできませんか!?’


 あのときはうまく伝えられなかった。

 けれど、言語を習得した今だからこそ、取れる選択肢があった――。

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