第372話『賢さの基準』


 その日から、現地民が俺を見る目はすこし変わった。

 これまでは「おかしな人」だったのが、今は「なかなかやるヤツ」といった風。


 あるいは「ダメ人間」から「使えるヤツ」かも。

 中でもとくに変化が大きかったのは子どもたちだ。


’わたし、悪い――お前、賢い、良い――’


’すごい、すごい! ――来る、――’


 そんな風に手を引っぱって、遊びに誘ってくれるようになった。

 おそらく「今までアホだと思ってたけど、なかなかやるじゃねーか!」と言っている。


 そうなのだ。

 じつはこれまでは、集落において……俺こそが”頭の悪い人間”だったのだ!


「わからないよなー、世の中」


 子どもたちも悪気があって、俺のことをバカにしていたわけではない。

 ただ、純粋に不思議だったのだと思う。


 草花の見分けがつかなかったり、火の扱いがヘタクソだったり。

 彼らにとっては当たり前にできることが、俺は教えられてもなかなかできないから。


 え? そんなの仕方ないって? できなくても普通だって?

 そのとおりだ。けれど……。


「それは俺たちの”常識”にかぎった話」


 おそらく、彼らも数字に対してまったく同じことを思っている。

 なぜなら、生きるために最低限必要な知識や技術は場所によってちがうから。


 現代日本で生きるには算数が必須だし、ここではそれが草花の見分けかたになる。

 ところ変われば常識も変わる。「バカ」の基準も変わるのだ。


「うぅっ……そのせいで、今まで何度言われたことか」


 ’お前、全部――できる、ない――’。

 子どもたちがよく俺に言ってきたセリフだ。ようするに……。



 ――お姉ちゃんってなんにもできないんだねっ!



「ぐふっ!?」


 今思い出してもグサァっと胸にクるものが。

 悪気がない分、余計にダメージが大きかった。


「ほんと、無能ですいませんでした」


’……???’


 子どもたちは不思議そうな顔で俺を見ていた。

 なにせ、できそこないの俺に一生懸命いろいろレクチャーしてくれていたのが、この子たちだから。


 俺がよっぽどバカに見えたのだろう。

 「仕方ないなー」といった様子で、まるで妹でも扱うみたいに接してきてくれた。


 できの悪い子ほどかわいい、は世界共通なのかも。

 あるいは、年上ぶりたいお年頃だっただけか。


 といっても、厳密な年功序列があるわけではもちろんないが。

 なにせ、ここに住む人はだいたいみんな”3”歳だから。


’来る、早い――’


’すごい――、見る――!’


「う、うん、わかったから。そんなに急かさなくたって大丈夫だよ」


 「ものを数える」という物差しにおいて、俺ははじめて彼らの価値観にニアミスできた。

 それでか、一目置いてくれるように……年相応に扱い、甘えてきてくれるようになった気がする。


 まさか、数字を「5」まで数えることがこんな大事になるだなんてな。

 そういえば……と、俺は思い出した。


「あー姉ぇが言ってたっけ、”5”が好きだって」


 あれは『”賭けベット”ゲーム』配信を終えた直後だったか。

 俺は気になって彼女に問うたのだ――。



「あー姉ぇ、数字の中で『5』が1番好きって言ってたけど、どうして?」


「え~、イロハちゃん知りたいの~? どうしよっかな~! 教えよっかな~、ナイショにしよっかな~」


「あ、やっぱりいいや」


「え~~~~!? そこは『聞きたい』って言わないと~!」


「はぁ~。聞きたい聞きたい」


「そこまで言うなら、特別に教えてア・ゲ・ル」


「イラっ」


 相変わらずのあー姉ぇっぷりに俺は嘆息し……。

 そして、彼女は言ったのだ。


「だって、最近すっごくお気に入りなんだもん! お姉ちゃんでしょ? おーぐでしょ? マイでしょ? それからイリェーナちゃんに……イロハちゃん! ほら、全部で”5”人!」


「……!」


「お姉ちゃんね~、そのメンバーでなにかするの……すっごく好きななんだよね~! だから……これからも、ずっと一緒にいようねっ!」



 ……少しだけ目頭が熱くなる。

 ずびっ、と鼻が鳴った。


’お前、元気、悪い――、元気、良い’


「……ありがとうね」


 俺の顔を、子どもたちが心配そうにのぞき込んでいた。

 大丈夫? 元気出して。そう励まされた気がした。


 着実に言語習得は進んでいる。

 俺は、必ず……!


’――おい、娘! 来る!’


 と、現地民の青年に「こっち来いよ」と声をかけられる。

 子どもたちと一緒に行ってみると、なにやら若い男衆が集まり、円になって座っていた。


 みんな白く濁った液体の入った器を手に持っている。

 醗酵した甘い匂いがする。この集落で作られている酒だ。


「お酒ってほんとどこにでもあるよな」


 まぁ、糖さえあればなにからでも作れるもんなぁ。

 見た目からしてもおそらく甘酒に近いだろう。


’お前――食べる、する?’


「いえ、’悪い’……遠慮しておきます」


 ほとんど度数もないだろうが、断った。

 俺がこの身体ではじめて酒を飲むときは、推しの飲酒配信と決めているのだ。


 にしても、いったい集まってなにをしてるんだろう?

 ただの酒盛り、ではなさそうだけど。


「えっと……’なに’を’する’ですか?」


’俺たち、男――賢い、戦い――’


「うーん?」


 よくわからないな。知恵比べ、ということだろうか?

 そのとき、ちょうど円の中心……空けられていたスペースに、ひとりの青年が出てきた。


’見ろ’


 見ていればわかる、と近くにいた人が言う。

 そして、中央に立った青年は右の手首に巻いた――”腕時計”を掲げた。


「……えっ!?」


 なんで、そんなものがここにある!?

 それに――時間の概念はなかったはずだろ!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る