第371話『「10」まで数えられない人々』


「えっと……’大丈夫’ですか?」


’悪い。鍋、――壊れた――困る’


 近くにいた現地民のひとりに話しかける。

 彼らはみんな困った顔で穴の開いた鍋と、山盛りになった魚を見ていた。


 この数日で俺はまたすこし、言語の解析を進めていた。

 カタコトだが、ようやく彼らと言葉での意思疎通ができはじめていた。


「’鍋’を修理……えっと、’良い’は’できる’?」


’できるしない。――、――だから’


 まだ、ところどころわからない部分はあるが、どうやら鍋は直せないらしい。

 そうなると、この魚の山は大鍋ではなく、それぞれの家に持ち帰って調理することになりそうだが……。


’――分ける、する――?’


’困った’


’困った、できない、――いっぱい――’


 彼らは顔を見合わせていた。

 いつも感情に従っている……即、行動な彼らにしては珍しい。


’みんな、3――、分ける――’


’良い、できる’


’悪い、ない’


「えっ!?」


 言うと、彼らは全員が3匹ずつ魚を持ち帰ろうとする。

 いや、それじゃあ絶対に魚が余るぞ!?


 なにせ、ひとりあたり5匹はあるだろう大釣果だ。

 いてもたってもいられず、つい俺は口を挟んだ。


「一度に'全部'を'分ける'。’なぜ’それを’する’、’ない’?」


’……? できる、ない’


’できる、ない’


 魚を持ち帰ろうとしていた彼らが、俺の話に足を止める。

 できない、とはどういうことだろうか?


’分ける、する――、できる――?’


「おわっと!?」


 背中を押されて、積み上げられた魚の前へと出てしまう。

 できるもんならやってみろ、と言われた気がした。


「よ、よくわかんないけど……じゃあ、」


 言って、俺は魚を取り分けはじめた。

 とりあえず5匹ずつでいいだろうか?


「1、2、3、4、5……。1、2、3、4、5……」


 同じ数ずつに魚をまとめて置いていく。

 と、周囲が異様にざわついていた。


「え?」


 と思って振り返る。

 彼らはなにか、衝撃的なものでも見たかのような顔をしていた。


 俺は困惑しつつも手を動かした。

 すると「1、2、3」までは普通なのだが……。


「4」


 で「ざわっ!」と空気が揺らいだ。

 そして……。


「5」


 で「なぁあああ!?」と悲鳴に近い歓声が上がっていた。

 い、いったいなにがどうしたっていうんだ!?


「あの、そんなリアクションをされると分けづらいっていうか……」


’お前、すごい、すごい、すごいぃいいい~~~~!’


’すごい!’


’すごい!’


「え、えぇえええーーーー!?」


 なぜか現地民の人たちから立て続けに賞賛されてしまう。

 本当にわけがわからずにいると、ひとりの青年が前に出てきた。


’オレ、できる、たくさん、分ける――、――’


 オレだってそのくらいできるぜ! といった様子。

 俺はその青年に場所を譲った。


 彼は意気揚々と魚の前に立つ。

 1匹ずつ魚を手に取りながら数えはじめた。


’1、2……、3……’


 だが、3まで数えたところで青年の手が止まった。

 俺が首を傾げていると……。


’……手!’


 時間がかかってようやくでてきたのは、なぜか「手」の単語だった。

 周囲の人たちは「そりゃそうだ」とでもいう風に、大口を開けて笑っていた。


「ま、まさか!?」


 俺はこれまでの、ここでの生活を思い返す。

 もしかして……いや、間違いない。彼らには……。



 ――ほとんど”数字”が存在しない!?



 完全にないわけじゃない。

 だが、数字の概念がかなりあいまいだ。


「……どうりで」


 思えば、俺を助けてくれたママさんも魚を盛りつける量が毎回、テキトーだった。

 「3、食べる」と言っておきながら、4匹だったり5匹だったり。


 彼らの言語では「3」と「たくさん」は同じ単語で表される。

 それが理由だと思っていた。けれど、それだけじゃなかった。


「生まれたばかりの言語、か」


 いつだったか赤んぼうの話をしたことがあったな。

 生まれた時点で人間は「3」までの数字を認識できる。


 ほかにも、ものが増えたり減ったり……。

 すなわち、足し算と引き算の概念までは最初から存在している。


「けど、そこまでなんだ」


 彼らにとって多くの場合、「3」が最大の数字となる。

 おもしろいのは……さっきの青年たちの様子からして「4」以上の数字も存在はしているらしいこと。


 そして、青年が言った「手」とは、数字の「5」のことだったのだろう。

 おそらく、ここでは「5」と「手」は同じ単語で表されるのだ。


 多くの言語において、数字は人間の指が基準となっている。すなわち片手5や、両手10だ。

 ここの言語もその例から漏れていないのだと思う。


「そうすると、いろいろ納得できるな」


 彼らに時間の概念がないことは先日、話したとおり。

 その理由は……実体験から、ある程度の推測が立っていた。


 アマゾンの密林は1年を通して気温がおおよそ一定。

 ゆえに、季節の移ろいを意識する必要性が薄い。


 それでいて枝葉で日光が遮られ、つねに薄暗い。

 昼も夜も関係ないことが多々あり、好きな時間に寝起きしがち。


「でも、それだけじゃなかった」


 数字の概念が薄いから……日付を数えない・・・・から、時間感覚がないのだ。

 時間と数字の関係は、当然だが非常に深い。


 数字は農耕において収穫時期を把握するために必要だから生まれた、という説があるくらいだ。

 しかし、彼らは狩猟採集民族……数字は必要にならない。


 言語は繋がっている。

 ひとつちがえば、ほかの部分にもその変化は波及していくのだ。


’すごい! すごい!’


 結局、俺はそう讃えられながら魚を同数ずつに分けた。

 しかし、決して勘違いしてはいけない。


 もしかすると「10」すら数えられない彼らを「バカ」だと思った人がいるかもしれない。

 だが、それは――大きな”間違い”だ。

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