第370話『もしも、この世界に”時間”が存在しなかったら』

 川の近くで待っていれば、いずれ船が通りかかるかも!

 そう思い、俺はその場に居座ろうとした。


 ここまで連れてきてくれた現地民の男性はそんな俺を見て……。

 納得したように、ひとりで帰りはじめた。


「えっ!? ちょちょちょ、ちょっと待った~!?」


「……?」


「いや、そんな不思議そうな顔されても!?」


 もしかして「ひとりで待ってればいいんじゃ?」とか思われてる!?

 そ、それは困る!?


「帰り道もわからないし、なにより……」


 物音が聞こえ、俺は振り返った。

 すこし先の川岸で、その巨大な生物は日向ぼっこをしていた。


 バッチリと目が合ってしまう。

 それは――ワニだった。


「ひぃいいい!? いやいやいや、ひとりでこんなところに残ったら絶対に死ぬ!?」


 自然の中で孤立することの恐ろしさはもう、イヤになるほど学んだ。

 だから、一緒に……。


「って、帰りはじめてるー!? ま、待って……置いてかないでぇ~!?」


 そんな俺の思いなど知らぬ存ぜぬといった様子で、現地民の男性はまた歩き出していた。

 俺は悩んだあげく、結局は彼の後ろについて行った。


「……▲○○◆。×◆○」


 なんだ、やっぱり帰るのか? と言われた気がした。

 ちがわい!? 帰らざるをえなかったんだよ!


 けど、彼からしたら当たり前の行動を取っただけなのだろう。

 俺は”子ども”ではないし、なにより早く食べないと魚の鮮度が落ちるから。


「今は諦めるしかない、か」


 俺は後ろ髪を引かれながら、その場をあとにした――。


   *  *  *


 集落に戻ると、すぐに現地民の男性は調理を開始した。

 その方法は非常にシンプル。


 村にある一番大きな鍋に、ぶつ切りにした魚やエイを放り込む。

 ほかにもバナナやなにかの葉っぱも雑に投げ入れる。


 最後にちょっとだけ水を入れて、煮る。

 以上。


「おぉ~、あっという間」


 この部族でもポピュラーな料理だ。

 完成したそれを、彼は器で掬って持っていく。適当なところに座って食べはじめた。


 俺もマネをして、器でそれを掬い取った。

 バナナが溶けたせいか、ドロドロとしたスープになっていた。


「いただきます」


 正直、見た目がかなり悪いそれをすすってみる。

 塩気は足りないが……うん。なかなか悪くない。


 スープに沈んでいるエイの身を火傷しそうになりながら摘み上げる。

 口へと放り込むと……。


「はふっ、はふっ! ……あっ、でもおいしい。それに思ってたより臭くない」


 エイといえばアンモニア臭がキツいイメージだったのに。

 釣ったばかりだからか、それとも淡水エイだからか。


 現地民の男性はほかにももう一品、料理を作っていた。

 どうやらエイの内臓のうち、肝臓だけは持って帰っていたらしい。


 焼いたそれを食べていた。

 俺もひとかけらもらって、かじってみる。


「あっ、これもおいしい」


 といっても、俺たちが日常生活で言う「おいしい」ではないけれど。食べられる。

 手と口を動かしているうちに、鍋はあっという間に空になっていた。


 俺たちふたりで食べつくしたわけではない。

 匂いにつられてやってきた集落のみんなが、なにも言わずに勝手に持っていったのだ。


「今までもらうばっかりだったから、分ける側になったのははじめてかも」


 大きな獲物は分けて食べる。

 それは彼らにとって当たり前のことのようだ。


 この集落には食料を長期保存する技術がないから、だろう。

 食べものをムダにしない、とても合理的な文化だと思う。


 一方で、彼らは余分に獲物を狩ってきたりもしないわけで……。

 ときどき食べるものがなかったりすることもあるのだが。


「はぁ~、コンビニが恋しい」


 味の濃いものが食べたい。

 いつでもどこでも食料が手に入る環境が懐かしい。


 と同時に、毎日廃棄されていく大量のお弁当のイメージが頭をよぎった。

 ……どうやら、ここでの生活は俺の価値観を大きく変えつつあるらしい。


「けど本当に、何日も獲物が見つからなかったらどうするつもりなんだろう?」


 俺はそう心配してしまうが、彼らがそういった不安を覚えているところを見たことがない。

 どころか獲物が見つからなかったのに、のんびりお昼寝しはじめることさえあった。


「豪胆……とは、ちょっとちがうんだろうな」


 彼らの言語をすこしずつ解析していく中で、わかったことがある。

 それは……。



 ――彼らには”時間”の概念が存在しない。



 ということ。

 それは驚くべきことだ。


「ほんと知れば知るほど、俺が習得してきた言語とはかけ離れてるよなぁ」


 過去・現在・未来、といった言葉が存在しない。

 あるのは、経験したことがあるかないか、だけ。


 朝・昼・夜、を示す言葉もない。

 あるのは、暗いか明るいか、だけ。


 春・夏・秋・冬、がない。

 あるのは、熱気が多いか少ないか、だけ。


「日本とは真逆だな」


 毎日、時間に追われながら生活していた日々が、今は遠い。

 目覚ましに起こされ、電車のダイヤに合わせて家を出て、仕事を長く感じ、休憩を短く思い、退勤を待ち望み、タイムセールに飛びついて、そろそろ寝ないとと目を閉じる。


 けれど、悪いことばかりでもなかったと思う。

 推しのイベント日を心待ちにしたり、配信時間に待機しながらワクワクしたり。


「未来を想像するのは、悪いことばかりじゃない。けど……」


 いったい、いつになったら俺は帰れるんだろう?

 だんだんと、ここに来てから何日経ったのかもわからなくなってきていた。


 ――そんなある日のことだった。その事件が起こったのは。


   *  *  *


「……え? 鍋が壊れた?」


 長年酷使されてきたのだろう、オンボロ鍋に穴が開いていた。

 そして、そのかたわらにはタイミング悪く大量に獲れてしまったらしい、手のひらサイズの魚が山のように積み上げられていた――。


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