第369話『言葉の価値はおいくら?』

 海と見まごうほどの巨大な川。

 背の低い俺では対岸がほとんど見えなかった。


「そっか、これが……アマゾン川」


 普段、飲んでいる水もおそらくここから汲まれてきているのだろう。

 それから食事に出てくる魚も。


「○△▽、☆●」


 現地民の男性は川へと近づいていく。

 と同時に、槍に巻いていた糸をほどいた。


 糸がブランと槍の先端から垂れ下がっている。

 その先には骨でできた針がついていた。


「●○、△××」


 なにかを説明しながら、彼は近くに落ちていた果物を手に取った。

 自然に木から落ちただけあって、熟しすぎている。もはや発酵にも近い強烈な甘い臭いがする。


 それをぐにゅぐにゅと手で練った。

 ますます臭いが強くなったそれをちょうどいいサイズにちぎって針につけ、川へと放り込む。


「……××☆!」


 すぐに槍がしなった。

 魚が食いついていた。


 ググっと槍を引っ張る。ばしゃんばしゃんと水面でしぶきがあがった。

 彼はあっさりとそれを釣り上げた。


「すっごい牙……たぶん、ピラニアだよな?」


 イメージよりもずっと大きいが、そう見えた。

 しかし、ピラニアといえば肉食のイメージがあったのだがちがったのだろうか?


 もしかしたら、果実を食べる種類もいるのかもしれないな。

 あるいは、水中に落ちてきたものはなんでもお構いなしに噛みついてくるのか。


「●●△、○×」


 彼はなにかを説明しながら、何度か魚の頭を地面にぶつけて気絶させた。

 それから、もはや釣り竿と化した槍を俺へと手渡してくる。


「▽☆△」


 やってみろ、と言われた気がした。

 どうやら森で獲物を狩るのは俺にはムリだと判断して、釣りに切り替えてくれたらしい。


 まぁ正直、助かるけど……ちょっと悔しい。

 俺は彼のマネをしてエサをつけると、糸を川へと投げ入れた。


「……」


 時間がすぎる。


「……」


 まだ釣れない。


「……あ、あのー?」


 俺は現地民の男性を振り返った。

 全然、魚がかからないんですけど!? さっきはあんなに一瞬だったのに!?


「……?」


 彼も不思議そうに水面から伸びる糸を見ていた。

 えぇ? さすがに運動神経が悪いと魚まで釣れない、なんてことはないよな?


「うーん」


 いい加減、なにも釣れないと集中力も切れてくる。

 俺が「ふわぁあ」とあくびをした、次の瞬間だった。


「え? ……んなぁあああ!?」


 突然、槍が真っ二つに折れそうなほどにたわんだ。

 すさまじい力で糸が引っ張られ、身体が宙を舞っていた。


「おっ……落ちるぅううう~!?」


 水面がバシャバシャと無数の水しぶきを上げていた。

 まるでエサが落ちてくることを知っていたみたいに、大量のピラニアがガチンガチンと牙を開閉させていた。


「し、死ぬぅううう~~~~!?」


 こんなところに浸かったら、俺のやわらかい肉体なんてあっという間に食い荒らされるだろう。

 死を覚悟した瞬間、グイっと身体が支えられた。


▲△○げんき!?」


「~~~~っ! あ、ありがとうございます!」


 現地民の男性が俺の身体を抱きとめてくれていた。

 同時にしっかりと槍もホールドしている。


 謎の巨大魚との引っ張り合いがはじまった。

 すぐに切れてしまうんじゃないか、と思っていたが糸は意外にも頑丈だった。


「○●☆☆! ☆※※!」


 言っていることはわからないが、俺も地面に立って、一緒に槍を引っ張った。

 非力な俺がどれだけ役に立てたかはわからないが、やがて……。


「み、見えてきた! えっ、これってまさか……エイ!?」


 その特徴的な平べったいフォルムは、間違いなくエイだった。

 俺たちはそのままズルズルと、それを陸まで引っ張り揚げた。


「ふーむ」


 やっぱり、どこからどう見てもエイだ。

 けど、ここって川だよな? 知らなかった、淡水に住むエイもいるのか。


「●■。※☆どく、×××」


 現地民の男性が槍の先端でエイのしっぽの付け根にある針を突っつく。

 これは俺も知っていた。毒バリだ。


 彼は距離を保ちつつ、槍でエイを絞めた。

 それから、なにかを説明しながらその場で捌きはじめる。


「■■○、×▲▲▲、■×■……」


 切り落とした尾や毒針、内臓の大部分を川へと投げ捨てていく。

 おそらく不要な部位について話しているのだろう。


 なぜわかるのかというと、彼らの言語には”濁音減価”の傾向が見られるから。

 音が濁ると――「゛」がつくと、言葉の価値が下がるのだ。あるいは悪い意味になる。


 日本語にも同じ傾向がみられる。

 例えば……様とザマ、殻とガラ、カニとガニ、垂れるとダレる、しとしととジトジトなどだ。


「○×××。□◆☆※、●●▽たべる


 どうやら捌き終わったらしい。

 「持って帰って食べるぞ」と言っている風に聞こえた。


 彼は釣った魚とエイを手に持つと踵を返した。

 だが、それは困る! 俺は彼の背に向かって叫んだ。


「ま、待ってくれ!」


「……?」


 今はまだきちんと伝えられる言葉を俺は持ち合わせていない。

 だから、ただ繰り返した。


▼▽まつ! ▼▽まつ! ▼▽まつ!」


 そして俺は、その場に座った。

 ここから動きたくない、とアピールする。


 彼は困惑していた。だが俺にも事情があった。

 じつは俺にとって、この狩りでの一番の収穫は……アマゾン川を見つけたことだった。


「もしかしたら、俺たち……帰れるかもしれない!」


 このまま川の周辺にいれば、いずれ船が通りがかるかもしれない。

 冒険者や観光客……あるいは、外部と交流のあるほかの部族に出会えるかもしれない。


 俺はただ川を見つけたわけではない。

 帰還の――最大の可能性を見つけたのだ!

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