第367話『”子ども”がいない世界』


●●▽たべる?」


「ありがとうございます。●●▽いただきます


 アマゾンの奥地で現地の部族に助けられて数日。

 俺はカタコトだが言葉を話せるようになっていた。


△△ママは? ▲△○げんきですか?」


△☆みっつ●●▽たべる


 言って、彼女は家にあるたき火で魚を焼きはじめる。

 微妙に会話がかみ合っていない気がするが、ここではこれが普通だ。


 基本的に彼らの言語には相槌が存在しないからだろう。

 行間を埋めるなら「元気よ。だから今日はいっぱい食べちゃおっかな」といった具合。


「ようやく、すこしだけど彼らの生活にも慣れてきたな」


 まぁ正直、まだ違和感も多いが。

 彼らにはあいさつする文化もない。だから、なにかを話すことがあいさつの代わりになる。


 さっきの「●●▽たべる」もじつは「おはよう」の代わりだ。

 と、家の外からも似たような会話が聞こえてくる。ざっくり訳すと……。



『ご飯食べた?』


『寒い』


『雨がたくさん降った』


『私の父は待つ』


『コーヒー飲む?』


『良い』



 うん、意味がわからない! とても会話が繋がっているとは思えないな!

 そこで、解説を入れると……こんな感じになる。



『調子はどう?』


『今日は寒いから微妙』


『昨晩はたくさん雨、降ってたもんね』


『うちの父さんも、今日は寒いから家にいてるってさ』


『じゃあ、コーヒーでも飲んで温まってく?』


『そうするよ』



 言語を習得しきっていないからおおよそになるが、こんな感じ。

 うん、俺が苦労している理由を察してくれたと思う!


 これは語彙の数が少ないことが原因だろうか?

 逆にいえば、ひとつの単語が複数の意味を示していることが多いわけで。


「ほんと厄介だな」


 俺には『言語チート能力』がある。だから、一度聞いた単語は忘れない。

 しかし、今回求められているのは記憶力よりも”文脈や行間を読む能力”だ。


 そして、それらを読むには共通認識――すなわち”文化”の理解が必須。

 そればかりはチートだけではどうにもならず……。


「苦戦するとは思ってたけど、まさかここまでとは」

 

 チートの補正がまったく乗ってない、わけじゃないはずなんだけどなぁ。

 数日かけてもまだ、カタコトにしかしゃべれないだなんて。


「……ん?」


 あれ? 感覚バグってたけどそれって十分早いのでは。

 いや、でもやっぱり今までに比べると遅いし……。


△↓↓むすめ●●▽たべろ


 考え込んでいると、現地民の女性……”ママ”が、焼けた魚をバナナの葉に載せて渡してくれる。

 いつの間にか、家の中は魚の焼けたいい匂いで満たされていた。


「ありがとうございます」


 あれから俺はママにお世話になっていた。

 今の俺は彼女の”家族”らしい。


 そして、ここでは家族とは”家”……正確には”たき火”を共有する集団を指すようだ。

 ここのみんなは基本的に家族単位で生活をしている。


 また、あまり個人の名前を呼ぶことはなく「~家の娘」とか「~家の母」と呼び合っていた。

 彼女も俺のことを「娘」と呼び、俺も自然と彼女のことを「ママ」と呼ぶようになっていた。


「翻訳が進めば、いずれは名前で呼ばれているように感じるのかな」


 そんなことを考えながら「いただきます」と言って焼き魚を頬張る。

 なんの魚かはわからないし塩気も足りないが、十分なたんぱく質のうまみが感じられた。


「火ってすごいな」


 温かい食事はそれだけで満足感がある。殺菌もできるし、なにより虫除けになる。

 火がなければ人間的な生活は成り立たない。


 俺はケガであまり動けないこともあって、火の番を任されることが多かった。

 仕事をもらえたのは、正直助かる。


「働いてないから、って追い出されることはなさそうだけど」


 ここの人たちはかなり”自由”な生活をしているから。

 けれど、もらってばかりじゃ居心地が悪かっただろう。


 ……え? 子どもだから気にすることはないんじゃないかって?

 いや、それはちがう。そもそも、ここには……。



 ――「大人」も「子ども」も存在しない。



 まぁ、当然といえば当然か。

 考えてみれば「子ども」なんて概念が生まれたのは、ほんのここ300年の話だ。


 産業革命後に生まれた新しい概念。

 それまでは大人子ども問わず、みんな働いていたのだから。


「やっぱり若いな」


 人間が、ではなく言語が。

 彼らは「毒」も「薬」も同じ言語で表していた。「食べる」と「飲む」なんかもそうだ。


 まだ語彙が細分化されていない。

 おそらく、この言語は俺がこれまで学んだ中でもっとも”原始的”な言語だ。


「だからといって、劣っているわけじゃない」


 すでに彼らの言語には高度な文法があるようだった。

 あるいは、じつは文法のない言語など存在しないのかもしれない。


 文法は非常に重要だ。

 たとえば「オレサマ」「オマエ」「マルカジリ」という文章があったとしよう。


 これをもし「オマエ」「オレサマ」「マルカジリ」と語順を入れ替えたら、どうなる?

 そう、意味が真逆になってしまう。


 仮に意味を変えずに入れ替えようとすれば、助詞などが必要になる。

 「オマエ」”を”「オレサマ」”が”「マルカジリ」、など。


「なんだか、近づいている気がする。言語の本質に――”あの言語”に」


 じつは『言語チート能力』の働きが鈍いのも、そちらの解析にリソースを割かれているからだったりして?

 だとしたら、この言語の習得が完了したとき、俺は……。


「……いや。それは今、考えることじゃないか」


 そう思考を打ち切って、残りの魚を全部、口に放り込んだ。

 直後、家の中に現地民の男性がやってくる。


「■↑→△▼、●×」


×☆↓よい


 ママとふたり、いくらかの言葉を交わす。

 そして、現地民の男性は俺に言った。


☆※こい


「えっ」


 ……え???

 わけもわからぬまま、俺はいきなり連れ出され……。


   *  *  *


「な、なんじゃこりゃぁあああ~っ!?」


 その数十分後。

 俺は森の中で槍を持って立たされていた――!


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