第365話『新たな言語の誕生』
俺が家に帰るには、ここの人たちの言語を習得することが不可欠らしい。
しかし、まいったな。これは苦戦するかもしれない。
「この言語、俺が知ってるどの言語からもかけ離れてるぞ?」
「△●?」
現地民の女性が考え込んだ俺を不思議そうな顔で見てくる。
彼女らの話す言葉は、俺がこれまで習得したいずれの言語とも体系がちがった。
「おそらくは彼らの独自言語、だな」
こういう未解明の言語は世界に多く存在する。
たとえばセンチネル語なんかは、その最たる例だろう。
センチネル島に住む人々は島外の人間との交流を好まない。
そのため民族が発見されて久しいが、解析が進まずずっと未解明のままだったりする。
「今回の場合はピジン……いや、クレオールか」
――たとえば、ジャポンという部族が存在したとする。
この部族では”火”のことを「ほむら」と呼称した。
ある日、彼らの住む場所にアメルカという部族がやってきた。
その部族では”火”のことを「ファイア」と呼称した。
両者の使う言語は相手に通じない。
それでも共同生活するためには意思疎通が必須。
そんなときだれかが火のことを「ボウボウ」と表現しだした。
しかも、それが相手に伝わったとしよう。
次第に両者は”火”と伝えたいときは「ボウボウ」と言うようになって……。
やがて、その言葉は共通認識――すなわち”単語”となる。
それこそが新たな言語誕生の瞬間であり――。
まぁ、今のは当然フィクションだし、大きな語弊も孕んでいる。
だが、わかりやすくいえばそんな感じ。
母語ではない人同士でしゃべりはじめられる言語――それが”ピジン”。
そして、それが世代を超えて定着したのが――”クレオール”。
「言語はつねに生まれ続ける、か」
上記のようなことは世界中で無数に起こっている。
それこそ最小単位なら”ふたり”から。
具体的には、幼い双子の間で互いにだけ伝わる言葉がいつの間にか作られていたり、だ。
人間には――生まれながらにして新たな言語を作る能力が備わっている。
「だからこそ、困ったな」
そんなわけで、ひと口にクレオールって言ってもそれぞれまるっきりちがう言語なのだ。
可能性は無限大とさえいえるだろう。
「とはいえ、人が扱っている以上はどこかしらに共通点はあるはずなんだけど」
それをとっかかりに解析を進めたいのだが……。
今だまだ、見つかりそうにない。
「せめて文字が存在してくれたら、文法の理解がしやすくなったんだけど」
言語を有しない部族、民族は存在しない。
しかし文字を持たない者たちは存在する。
家の中を見渡すが、どこにも文字らしきものは見当たらなかった。
さすがに”文法自体が存在しない”なんてことはないと思いたいが。
「これじゃあ、どれだけの時間がかかるかわからない」
俺には『言語チート能力』がある。
だから、このまま聞くに任せるだけでもいずれはここの言語を習得できるだろう。
だが、それじゃあいったいいつになるかわからない。
あいにく、俺に悠長に待っている時間はない。
「すこしでも早く帰らないと」
シークレットサービスの女性に高度な治療を受けさせてあげたい。
俺も国際イベントの収録も全然終わってないし、なにより……。
「推しのアーカイブがたくさん溜まっちゃってる!」
あと……みんなに会いたい。
いっぱい心配をかけてしまったし、早く帰って安心させてあげたい。
こういう風に考えられるようになったのも、生き残ったからこそだな。
余裕が出てきた証拠。いい兆候だ。
「よし、そうと決まれば」
『言語チート能力』による解析と並行して、自発的にも言語を調べていくとしよう。
まず俺は皿に使われていた”バナナの葉”を指さして、現地民の女性に問うた。
「これはなんですか?」
俺が最初にすべきは「
赤ちゃん先生に倣った”なになに攻撃”……質問攻めで単語を収集するのだ!
「▲○×」
「”▲○×”……なるほど」
現地民の女性が言った単語を繰り返す。
といっても今はまだ正しい発音ができているかは怪しいし、なにより……。
――その言葉が
え? ”バナナの葉”じゃないのかって?
いやいや、それはまだわからないのだ。
俺は続いて、屋根に使われている”バナナの葉”を指さした。
それから、もう一度同じ質問をする。
「これはなんですか?」
「▲○×」
返ってきたのは同じ言葉だった。
今度こそ”バナナの葉”を示す単語は「▲○×」で確定?
まだまだ。その判断は早計だ。
俺は最後に、自分が食べ終わった”バナナの皮”を指さして同じ質問を行った。
「これはなんですか?」
「▲○×」
それでも返ってきた言葉は同じだった。
これで決まりだろう。
「▲○×」が示すのは”バナナの葉”ではなかった。
この言葉が示すのは――”バナナ”そのものだった。
「ここまでやってようやくひとつ、か」
なんとも気の遠くなる作業。
だが、この調子で語彙を増やしていけばいずれは……。
「なんだ、この違和感は?」
『言語チート能力』がなにかを伝えようとしている気がした。
俺はなにか致命的なミスをしている?
しかし、現状ほかに方法も思いつかない。
俺は今度は、空になった”器”を指さして「これはなんですか?」と問う。返ってきたのは……。
「▲○×」
そ――そんな”バナナ”!?
いや、オヤジギャグじゃなくて!?
もしかして彼女は”器”じゃなく、さっきまで入っていた中身のほうを答えてくれたのだろうか?
あの青臭い薬はバナナの葉をすりつぶしたものだった?
「……」
それならば問題ないが……。
イヤな予感とともに、俺は地面を指さした。
これならば間違えようがない。確実に”バナナ”ではない。
だが、もしこれでも同じ言葉が返ってくるようなら……。
「これはなんですか?」
俺は恐る恐ると問うた。
そして、返ってきたのは……。
「▲○×」
同じ言葉、だった。
そういうことか。ようやくわかった。
どうやら俺は大きな勘違いをしていたらしい。
今さら気づいたが、彼女の視線は……。
――俺の指先を追ってすらいなかった。
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