第364話『君の知らない言語』
どうやら、この女性はアマゾンの密林に住む現地民のようだ。
腰に蓑を巻いた彼女が笑顔で話しかけてくる。
「○○▲□※?」
おそらくは心配してくれているのだろう。
ペタペタと身体を触られる。傷の具合を見てくれているようだ。
おそらく手当てしてくれたのも、この女性だろう。
と、触診されながら家の中を観察していると、隅に転がされていたそれが目に留まった。
「あっ!?」
それはスマートフォンと俺のカバンだった。
手を伸ばそうとし、ピキっと腕に痛みが走る。仕方なくもう片方の手で拾う。
電源ボタンを押すが反応しなかった。すでに充電が切れていた。
いったい、俺が気を失ってからどれだけの時間が経過したのか……。
「そ、そうだ! 彼女は無事ですか!? わたしと一緒にいた女性で……けほっ、こほっ!?」
急にしゃべろうとしたせいで、むせてしまう。
のどがカラカラに乾いていた。
現地民の女性は……果物の殻だろうか? 器に水を注いで手渡してくれる。
茶色く濁っていたが、俺は気にせずゴクゴクと飲み干した。
「ぷはっ。あの、それで……」
「○○×■、▲△」
どうやら俺の必死な様子から、なにを言いたいのか察してくれたらしい。
安心させるかのように、笑みを浮かべる。
言葉は通じずとも心は伝わる。
あー姉ぇが教えてくれたことだ。
「☆※」
彼女は背中を向けて家を出ていく。
なにか合図があったわけじゃないが「ついて来い」と言われた気がした。
「うっ」
外に出ると同時、好機の視線が俺に集まった。
男に女に、大人に子どもに……全部で十数名。
服装は意外にもみんなバラバラだった。
全員が全員、腰蓑というわけではないらしい。
「○○▲!」「○○▲?」「▲△□、□※!」「●●×~!」
「ごめんなさい。言葉わからないんです」
一斉に声をかけられる。なにを言われているのか今の俺には理解できない。
ただ、幸いみんな敵対的な様子ではなかった。
そこからすぐ近くの家の前で、女性は足を止めた。
促されて、内部を覗き込む。そこにはシークレットサービスの女性が横たわっていた。
「っ!」
慌てて駆け寄ろうとして、べちゃっと転んだ。
まだ足も本調子ではなかった。
決して、俺の運動神経が悪いせいでは……まぁ、それもちょっとはあるかもだけど。
這いずるように彼女に身体を寄せ、呼吸をたしかめる。
《……すぅ、……はぁ》
ゆるやかに胸が上下していた。規則的な寝息が聞こえた。
ヘニャヘニャと全身から力が抜ける。
「よかった……生きてる、生きてるよぉ」
彼女の身体にしがみつき、俺は肩を震わせた。
必死に助けようとしたことはムダじゃなかった! 見捨てない選択をしたのは間違いじゃなかった!
「ケガの具合もよくなってるみたいだし」
彼女も俺と同じように傷口に葉っぱを貼られていた。
いまだツラそうではあるが、それでも今までと比べたらずっとマシな表情をしている。
「そっか、俺たち助かったんだ」
急に実感が湧いてくる。
現地民の女性に向き直り、頭を下げた。
土下座なんて文化が相手にあるかはわからない。
それでも誠意は伝わると思った。
「助けてくださって、本当にありがとうございます」
「▲▼○×」
「どういたしまして」あるいは「気にするな」。
そんな風に言われた気がした。
「○●、▼▽!」
それから現地民の女性がなにかを思いついたかのように笑顔になって、部屋を出ていく。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、葉っぱの小包が載っていた。
俺の前にそれが置かれ、開かれる。
中から現れたのはまだ動いている幼虫、焼かれた昆虫、それから小さなバナナだった。
「●●▽」
モグモグと口を動かすジェスチャーをされる。
「食べろ」と言っているらしい。
きっと日本にいたころならためらっただろう。
けれど、今の俺にとってそれはどんなごちそうよりも上等な食事に見えた。
「いただきます」
両手を合わせて、深く拝む。
『命をいただく』ことを強く意識させられた。それはきっとジャガーとの一件があったから。
「……ふぅ。よしっ」
すこしだけ深呼吸してから、まだ蠢いている幼虫をパクッと口に含んだ。
現地民の女性はじぃっと俺の反応を観察していた。
「うっ……まい、かも」
ぐにっとゴムでも噛んだような触感の奥から、ナッツのようなクリーミーさが溢れてくる。
それから、ほのかな甘さを感じた。
――ぐきゅるるるぅ。
今さらお腹が鳴った。まるで今になって身体が「お腹が空いていたことを思い出した」みたいに。
そんな俺を見て、現地民の女性が笑っていた。
「●●▽! ●●▽!」
「もっと食え」と言っているようだ。
俺は次々に料理を口へ運んだ。
昆虫はエビっぽい……けど絶対にエビではない味。
歯触りは悪いし苦みもある。だが、見た目ほどマズくはない。
それとバナナはバナナだった。ただし甘味はかなり薄い。
おそらく品種がちがうのだろう。
あと、今わかったが……皿や家の屋根に使われていた葉っぱは、バナナだったようだ。
皿に顔を近づけると、それ自体からうっすらとバナナの香りがした。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
慣れない食べもので、「うっ」と胃がひっくり返りかけるが、ゴクリと飲み込んだ。
食べものを――命を絶対にムダにしたくなかった。
「そういえば……全部食べちゃったけど、彼女の分は」
俺はシークレットサービスの女性と空に皿を交互に見た。
現地民の女性は「わかっている」とでも言いたげに、家を出ていった。
「※▽△」
しばらくして現地民の女性が戻ってくる。
手に持ってきたのはひとつの器。中にはすさまじく青臭い、緑色の液体が入っていた。
草をすりつぶしたもののようだ。
おそらく、彼らにとっての薬なのだろう。
「※☆、●●▽」
それをシークレットサービスの女性に飲ませていく。
彼女は何度も「けほっ、こほっ」とむせながらも、最後まで飲みきった。
よかった、大丈夫そうだ。
ひと心地ついて……俺は現地民の女性に問うた。
「あの、わたしたちこの森を出たいんです。どうにか外部と連絡を取ることはできませんか?」
「▲■……○△?」
現地民の女性は困ったように眉を八の字にしていた。
ジェスチャーを駆使しても、さすがにここまで高度な文章を伝えるのは難しい。
文化がちがえば言語が異なる。
言語がちがえばジェスチャーも異なる。
「やっぱり、俺はあー姉ぇのようにはなれないや」
俺は理解した。
どうやら密林を脱出するにはまず――ここの言語を覚えるしかないらしい。
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