第357話『人生最後の日』


 すでに遭難から丸1日以上。

 しかし、いまだ救助の来る気配はなかった。


「ま、まさか!?」


 俺はガバッと身体を起こした。

 気力も体力も尽きかけていたが、それ以上の恐怖と焦りでいてもたってもいられなくなる。


(まさか本当に俺たちを見失っているのか!? 俺たちがここにいると気づいていないのか!?)


 いや、もはやそうとしか考えられなかった。

 そして、もしもこのまま今日も助けが来ず夜になったら……。


「っ……! ハァっ、ハァっ!」


 このままジッとしていたら死ぬ。

 俺はスマートフォンをポケットにしまい、背もたれにしていた木へとしがみついた。


 息を切らしながら、すこしでも高いところへと登ろうとする。

 せめて緊急SOSを送ることができれば……。


「うっ!?」


 じわぁっと、機体の残骸を探索していたときに切った手に血がにじんだ。

 痛みで力が抜け、ポテンっとしりもちをつくように落っこちた。


 手足は木の幹でこすれ、細かな傷でいっぱいになっていた。

 俺は地面に「大」の字に寝っ転がったまま、起き上がれなくなってしまう。


「なんで、こんな……」


 腕で両目を覆う。

 そうしなければ涙がこぼれてしまいそうだったから。


 自分たちが普段、いかに安全に配慮された世界で生活しているのか思い知る。

 残骸も、自然も、ここにあるものはどれもトゲトゲとしていて、触れるだけで俺たちは傷ついていく。


「だれか……」


 その声はだれにも届かない。

 俺は心がポッキリと折れてしまっていた。


 言語学チートは会話する相手がいなければ、なんの役にも立たない。

 今の俺はあまりにも無力だった。



 そして――また、恐ろしい夜がやってくる。


   *  *  *


(日が落ちて、何時間が過ぎた?)


 俺は地面に倒れたままスマートフォンに触れ、時計を表示させた。

 先ほど確認してから、まだ5分しか経過していなかった。


 時間感覚がおかしくなっている。

 そもそも30分おきのアラームがあるから、いちいち確かめる必要もないはずだった。


(スマートフォンのバッテリーだって無限じゃないのに)


 発見した俺のカバンにはモバイルバッテリーが入っていた。

 しかし、夜中にライトをつけていると想像以上に充電を消費する。余裕はまったくなかった。


(あぁ、でも北極や南極じゃないだけマシかもな)


 暑いからといってバッテリーの消耗が早くなるとかはない。

 けれど、寒いとバッテリーの消耗は早くなると聞いたことがある。


 まぁ、そんな環境じゃバッテリーの心配をするヒマもなく俺たち自身が凍え死んでるだろうけど。

 いや、極寒地帯じゃなくたって……。


(そうだ、どうせ死ぬなら)


 ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 甘い誘惑が脳内にこだまする。


 どのみち、このままじゃあバッテリーが尽きるよりも先に俺たちの命が尽きるんじゃないか?

 だったら、べつにもう温存しておく必要もないんじゃないか?


(VTuberが見たい。推しの配信や動画で癒されたい)


 俺は気づくと、力の入らない腕でスマートフォンを操作していた。

 MyTubeアプリを起動し、ダウンロードしていた動画を再生してしまっていた。


「あは、あはは……やっぱり、おもしろいなぁ」


 暗闇の中、画面の向こうの景色は本当にまぶしかった。

 ついに、堪えきれなくなって貴重な水分が涙となって目からこぼれていく。


 のどの渇きはガマンできた。

 けれど、心の渇きだけはガマンできなかった。


「あは……は、はは……」


 本当は充電を余計に消耗すべきでないとはわかっている。

 けれど、そのままじゃあ精神がおかしくなりそうだった。心のよりどころが必要だった。


 その晩、幸いにも野生動物に襲われることはなかった。

 けれど、彼らの足音は確実に昨日よりも近づいてきていた――。


   *  *  *


「……」


 夜が明け、遭難3日目の朝がやってきた。

 だが、俺は地面に横たわったままだった。


 身体に力が入らない。もう起き上がることもできない。

 30分に1度、シークレットサービスの女性を手当てしているはずだが、ここ数回分の記憶がない。


(眠い、しんどい、疲れた……)


 まだ、たった2夜を乗り越えただけ。

 しかし、もう意識を保っているだけで精一杯だった。


(世の中の”ママ”ってすごいなぁ)


 母親は1~2時間おきに赤んぼうの夜泣きで目を覚ますんだっけ。

 もちろん、これとは状況が随分とちがうだろうが。


 それでも、こんなのを何ヶ月もだなんて身体がもつわけない。

 けれど、実際にそうやって母親は自分をここまで育ててくれたわけで……感謝と尊敬の念が湧いてくる。


(どうして、それを今まで伝えてこなかったんだろう?)


 俺は日ごろから「推しは推せるときに推せ」と口を酸っぱくして言っていた。

 なのに、なぜ母親への感謝の言葉は同様に考えなかったのだろう?


 突然、二度と言えなくなる日が来ることだって全然ありえたのに。

 いつでも会える、いるのが当たり前みたいになっていた。


「お母さん……会い、たい」


 ダメだ、弱気になっちゃ。

 きっと疲れているからそんな思考になるのだ。


 伝えたい言葉があるなら、帰ってから好きなだけ伝えればいいんだ。

 そう思うのに、身体はいうことをきいてくれなかった。


(のど、乾いたな……)


 脱水症の症状は、もはや頭痛と呼べる段階を超えていた。

 頭は割れそうで、ずっとヒドい吐き気にも苛まれている。


 人間が水分を摂らずに生きていられるのは3日だったっけ?

 であれば、もしこのままなにも起こらなければ……。



 ――今日が、人生最後の日か。



 死ぬときは推しの声を聴いていたい。

 俺はそうVTuberの動画を再生する。


 それに死んじゃったら、残ってる未視聴アーカイブがもったいないもんな……。

 けれど、もう目を開けているのもしんどいかった。


「ごめんね、みんな……国際ライブ、出られなくって」


 ゆっくりとまぶたが下りていく。

 俺は推しの声に包まれながら深い眠りへと落ちていき……。
















『イロハ!』『イロハちゃん!』『イロハサマ!』


「……えっ?」


 俺は聞こえてきた彼女たちの声に振り返った――。


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