第356話『遭難2日目』


「……日の光。そっか、朝か……ようやく」


 俺は木々の合間から差し込んできたわずかな光を見て、思わず泣きだしそうになった。

 それほどまでに夜は恐ろしく、死ととなり合わせだった。


 完全な暗闇というものを、俺はおよそ人生ではじめて経験したのだと思う。

 人工物もなく、月明かりも届かないこの場所では、スマートフォンだけが唯一の光源で……。


「怖かった、ツラかった、疲れた……」


 弱音が口をついて出る。

 膝を抱え、小さくなって俺は肩を震わせた。


 慣れぬ環境、つねに緊張を強いられる状況。

 満足に休むこともできず、たった1日で俺は疲労困憊になっていた。


「いつ殺されても、おかしくなかった」


 身体に染みついた恐怖がなかなか取れない。

 闇とともに野生動物の気配もどこかへ消えてくれていた。


 けれど、夜になればきっとまた……。

 彼らが、いつまで”待て”をしてくれるかわからない。


「人間はなんて弱いんだろう?」


 弱肉強食。それこそが、この大自然における絶対にして唯一のルールだった。

 そして、俺たちは間違いなく弱者だった。


 力を込めると、手の中でカチャリと小さな金属音が鳴る。

 そこには拳銃が握られていた。


「せめて大ケガしたのが彼女じゃなくて、俺のほうだったら」


 シークレットサービスの女性が身に着けていた拳銃を、おまもり代わりに借りていた。

 だが、俺じゃあこれを使いこなせないことは実体験で知っている。


 相手が人間であれば、持っているだけでも威嚇くらいにはなっただろう。

 だが、自然界じゃそうもいかない。


 もっとも恐ろしい存在は人間、なんてジョークがある。

 けれど、この状況ではそれ以上に恐ろしいものなんていくらでもあるのだと、俺は思い知る――。


   *  *  *


「……熱い」


 真昼の熱帯雨林はまるでサウナのようだった。

 過酷すぎる気温が容赦なく俺たちの体力を奪っていく。


 昨日、墜落したときはすでにピークを過ぎていたのだろう。

 比べものにならない、地獄のような暑さだった。


「けほっ、こほっ……のど、乾いた」


 それにズキズキと頭が痛む。

 額の傷ではなく、もっと奥の部分が。


 もしかしたら、脱水症の初期症状かもしれない。

 ふと、デデカミンのボトルが視界に入った。


「っ!」


 気づくと俺はガバっとそれにしがみついていた。

 震える手でキャップを回そうとし、しかしうまく力が入らない。


「くそっ、くそっ! なんで開かないんだ!? このっ!」


 そのとき「うぅっ」とシークレットサービスの女性のうめき声が聞こえて、俺は動きを止めた。

 投げ捨てるような勢いで、慌ててボトルから手を離す。


「な、なにやってるんだ俺は!? しっかりしろ!」


 思考だけでなく、理性もきかなくなってきていた。

 俺でこれなら彼女はもっとツラいはずだ。


 貴重な水分を俺が使うわけにはいかない。

 それに、どのみちデデカミンだってもうほとんど……。


「……このままじゃジリ貧だ」


 俺は弱った身体にムチを打ち、フラフラと立ち上がった。

 なにか水分が摂れるものを見つけないと。


 もうろうとする頭でそう判断する。

 木にもたれかかりながら、森をさまよいはじめる。


「あぁでも、あー姉ぇたちに言われて運動しておいてよかったかもな」


 なんだかんだ、俺はフィットネスゲームをきちんと続けていた。

 というより、あんぐおーぐたちに監視されていてサボれなかったというか。


 おかげで、ほんの少しだが体力がついていたのかも。

 それがなければきっと、もっと早くにギブアップしていただろう。


 あー姉ぇたちのおかげで、俺の命をギリギリ繋ぎとめられている。

 そんな気がした。


「まったく、あのときのみんなは強引で」


 そんな、取り留めもないことを考え続ける。

 だが、残念ながらそれは根本的な解決にはなっておらず……。


 そもそも、そのような思考はただ……疲労で考えがまとまらなくなっていただけだと、気づいたのは何時間もあとのことだった――。


   *  *  *


「……」


 俺は結局、もとの場所へと戻ってきていた。

 もはや、言葉を発する気力もなくなっていた。


 たしかに、声に出せば思考を整理しやすい。

 普段なら有効な手段だが、今はもう口から蒸発していく水分すら惜しくなっていた。


(まぁ、どのみちこんな状況じゃまともな思考なんてできないし同じか)


 あたりを見て回ったが結局、果実や、切れば水が出そうなツタは見つからなかった。

 あるいはそれは、俺に知識がないから見えていないだけなのかもしれないが。


 それに長時間、シークレットサービスの女性から離れるわけにもいかない。

 定期的に手当てしないといけないし。なにより……。


(……危なかった)


 頭が回らない状況で森を歩き回るのは本当に危険だった。

 転んでさらにケガをしかけたのもそうだが……。


 あやうく、途中で迷ってもとの場所に帰ってこられないところだった。

 冷静な判断ができなくなっている。


(そんな苦労をして、見つかったのはこんな石ころだけか)


 木の幹を背もたれにしながら、拾ってきたそれをぼうっと見つめる。

 どこで聞いたんだったか……覚えていないということは、少なくともVTuber関連ではないな。


 なんでも、舐めていれば唾液が出てすこしだがのどの渇きを誤魔化せるとか。

 まぁ、ただの気休めだ。


(……もう、限界だ)


 俺はズルズルとずり落ちるようにして、地面に横たわった。

 歩き回って余計に体力を消耗した。もう身体を起こしているのもツラい。


 地面が近づいたことで、むせ返りそうなほど濃密な草と土の香りが肺を満たしてくる。

 ほんと、もうイヤになる臭いだった。


(いったい、いつになったら救助は来るんだ?)


 あまりにも遅すぎる。

 ごそごそとスマートフォンを取り出し、時刻を確認する。


 すでに俺が森の中で目を覚ましてから、丸1日以上が経過していた――。

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