第352話『メキシコ湾に吹く風』


 シークレットサービスの運転する車が、空港の前に停まる……。

 と、見せかけて通りすぎていった。


 なんでもプライベートジェットの場合、空港のロビーすら利用する必要がないらしい。

 そのまま直接、発着場へと向かっていく。


《こうも特別扱いだと、ちょっと落ち着かないですね》


《あら、いいじゃない。実際、特別なんだから。こういう経験は楽しんだもん勝ちよ?》


《そういうものですか》


 見えてきた滑走路の脇には、ずらりと数十の小型~中型ジェット機が並んでいた。

 軽くチェックを受けたあと、車ごと敷地内へと入っていく。


 そして、とあるジェット機の前で停車した。

 外側から扉が、空港の制服……じゃない!? 軍服を着た大柄な男性の手で開かれる。


《ミス・イロハ、お待ちしておりました》


《あ、あう……どうもです》


 差し出された手を掴み、支えれながら後部座席から降りる。

 な、なんだこのVIP待遇は!? いや、今の俺は本当にVIPなんだった。


 あんぐおーぐが「実家は居心地が悪い」と言っていたが、ちょっとわかるかも。

 俺でこれなら、普段のファーストファミリーはどんな扱いを受けているのか。


《なんていうか、すごい出迎えですね》


《そんなによろこんでくださるなら、もっと盛大にもてなすべきでしたな》


《勘弁してください!?》


 軍人の男性が緊張を和らげようとしてか、冗談っぽく言ってくる。

 ありがたいけど逆効果なんですが、それ!?


 軍人は全部で10人以上もいた。

 各々が役割をまっとうするように、配置について周囲を警戒してくれている。


 彼ら全員が俺ひとりのために働いてくれているのか。

 いや、それをいうならこのジェット機も俺のためだけに飛ぶわけで。


《わたし、プライベートジェットってはじめてなんですが、こんな感じなんですね》


 借りものチャーター機ですらない、アメリカ政府が所有している政府専用機。

 俺が今回乗るそれは、ニューヨーク観光のために乗った飛行機よりも、さらにひと回り以上小型だった。


《ははは、物足りませんか? 小さいですが、こいつもなかなか悪くないですよ。快適な空の旅をお約束しましょう》


《あ、いや!? 貶したわけじゃなくて!?》


《帰りは大統領と同じと聞いていますから、大きな飛行機はそちらを楽しみにしていてください》


《!?!?!?》


 待って!? そんな話、俺が聞いてないんだけど!?

 じゃあ、復路は逃げ場のない空の上で何時間もあんぐおーぐのママとふたりきりってこと!?


 ひぃいいい!? イヤぁあああ~!?

 助けて、あんぐおーぐぅー!?


《おっと、自己紹介がまだでしたね。私は今回のフライトで機長パイロットを務める――》


 そう軍人の男性……パイロットがあいさつしてくれる。

 聞けば、ほかにも副操縦士コパイロット客室係フライトアテンダントが同乗するとのこと。


 しかも、全員がただの乗務員ではないらしい。

 特別な訓練を受けた軍人だとか。


《さ、さすが政府専用機》


《それではミス・イロハ。機内へどうぞ》


 エアステアを登って内部へと足を踏み入れる。

 小柄な外観からは想像できないほど内部は広々としていた。


 しかも、めっちゃ豪華。

 もはや飛行機の機内というより高級ホテルの一室にさえ思えた。


《あはは、そんな固くならなくても大丈夫。アタシも一緒に行くからね》


 言って、シークレットサービスの女性がやさしく俺の背中を押してくれる。

 こんなに広いのに乗客は俺と彼女だけだ。


 フライトアテンダントに座席へと案内され、軽く注意事項など説明を受ける。

 それからシートベルトを締めて5分もしないうちに……。


『当機はまもなく離陸いたします』


《えっ、もう!?》


 パイロットの声で機内にアナウンスが流れる。

 なるほど、ほかのお客さんがいないから待ち時間もないのか。


 エンジンの音が響き、飛行機が動き出す。

 しかし、滑走路まで出たところでなぜか停止した。


《どうしたんだろう?》


 周囲が慌ただしくなっていた。

 俺が首を傾げていると、再び機内にアナウンスが響く。


『滑走路内に侵入者アリ。一時、離陸を中止いたします』


 声につられて窓の外へ視線を向ける。

 見れば、軍人がだれかを取り押さえている様子が見えた。


 なるほど、どうりでみんなに緊張感が走っていたわけだ。

 だが、こうまでガチガチ護衛されてると安心感がちがうな!


《イロハちゃん、心配しなくても大丈夫……そうね》


《えぇ、頼もしい軍人のかた大勢いらっしゃるので》


 最初は「多すぎる」と思ったが、実際にトラブルが起こってみると納得だ。

 対処するときの余裕がちがう。


 不審者はそのまま軍人に連行されていった。

 それを眺めていると、ちょんちょんとシークレットサービスの女性に肩を突かれて振り向く。


《イロハちゃん、よかったわね。チェックが済んだらすぐに離陸できるって》


 どうやら俺が窓の外を見ている間に、フライトアテンダントに状況を確認してくれたらしい。

 というか、そうか。これが原因で遅刻する可能性もあったのか!


 本当に、時間どおりに来ておいて正解だったな。

 旅にトラブルはつきものというが、勘弁してほしいもんだ。


『お待たせしました』


 パイロットの声が聞こえ、改めて飛行機が動き出す。

 けれど、さっきのはいったいなんだったんだろう?


 どこか幸先の悪さを感じる。

 俺を見送ったあんぐおーぐの、不安げな表情が脳裏に浮かんでいた――。

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