第351話『旅立ち、再会の約束』

《イロハ、電話終わったかー?》


《うん、お待たせ》


 母親との通話を切った俺は、振り返ってあんぐおーぐに答えた。

 彼女が「はい、これ」とまとめてくれた荷物を渡してくる。


《ん、ありがと》


《けど……なんで、こんなに早く家を出るんだ? たしか飛行機の時間はもう少しあとだろ?》


《あー、ごめんね。ちょっと寄るところがあって》


《ん、どこだ? ワタシもお見送りしたいし、一緒に行くぞ》


《そ、それはちょっと困るかなー!?》


 だって、用事というのはできあがった指輪を受け取りに行くことだから。

 スケジュール的に帰ってからだと間に合わず、今日しかなかったのだ。


《というか、お見送りはできないって話だったでしょ? 立ち入りが制限されてるらしいし》


《むぅ~! ママのバカー!》


 あんぐおーぐがそう叫んでスネていた。

 やつあたりでもするように、ぎゅ~っと俺に抱き着いてくる。


《ひゃうんっ!? ちょ、ちょっと……まさか、また吸う・・気じゃ!?》


《ししし、しないぞ!? さすがに、こんな朝っぱらから!?》


《朝じゃなかったらするつもりだったの!?》


《い、いやっ!? そういうわけじゃないが!?》


 あのあと、部屋から追い出されてさすがにあんぐおーぐも反省したらしい。

 だから、もう二度とあんなことは起こらない。


 はず、たぶん、おそらく。

 すくなくとも俺が「いいよ」だなんて言ったり、誘ったりしないかぎりは。


《……はぁ》


 本当はべつに襲ってくれたって……。

 って、いやいや!? なにを考えてるんだ俺は!?


 そんなちょっと気持ちよかったとか、期待してるとか。

 そんなこと、絶対にないから! ないったら、ないから!


《イロハとしばらくお別れだから、それに備えて充電しておかないと》


《いや、「しばらく」て。ほとんど、日帰りみたいなもんなんだけど》


《ほら! 丸1日近くも会えないじゃないか!》


《お、おう……ちなみに、わたしキスマーク残ってたりしないよね? 大丈夫だよね?》


《だ、大丈夫。だと思う。たぶん》


《たぶんじゃ困るんだけど!? だってもし、そんなのおーぐママに見られたら!?》


《わわわ、わかってるし! だから昨日もガマンしただろ!》


《それは、そうだけど》


 わかっていても心配なんだ。

 あーでも、だからか。あんぐおーぐがいつもより寂しがっている気がするのは。


《はぁ~。まぁ、好きにしなよ》


《じゃあ、お言葉に甘えて。ぎゅぅ~~~~っ!》


《……》


 俺もこっそりとあんぐおーぐを抱き返した。

 と、ポツリと彼女がつぶやく。


《……ママとウワキしちゃダメだからな》


《するかーっ!?》


《でもでも、ママとふたりきりだなんて。イロハのことだし……》


《全然ふたりきりじゃないし!? というかおーぐはいったい、わたしをどんな節操なしだと思ってるの!?》


《ん? 数えたほうがいいか? ひとり、ふたり、さんにん、よにん……》


《い、いや。やっぱりいいです》


 その後も、あんぐおーぐはぶつぶつと「ママだけズルい」「職権乱用だ」と不満を垂れていた。

 そうこうしているうちに出発の時間になる。


《それじゃあ、行ってくるね》


 俺はあんぐおーぐから身体を離し、背を向けて……。

 しかし、グイっと後ろから引っ張られてつんのめった。


《あの~、おーぐ? 離してくれないと、行けないんだけど》


《へ? えっ、あれ……?》


 あんぐおーぐは「自分でもなんでそんなことをしたのかわからない」という風に首をかしげていた。

 しかし、手は服の裾を握ったままだった。


《えっと、そろそろ時間が》


《そ、そうだよな。でも、なんか……その、うまく言えないんだが》


《……?》


《い、いや……スマン》


 スルリと俺の服の裾から、あんぐおーぐの手がようやく離れる。

 急がないと指輪を受け取る時間がなくなってしまう。


《じゃあ、今度こそもう行くからね》


《……い、イロハ! 気をつけるんだぞ! 絶対に帰って来いよ!?》


《あはは、変なおーぐ。帰ってくるに決まってるでしょ? だって、ここがわたしの家なんだから》


 そう言って部屋を出る。

 すこしだけ、俺を見送るあんぐおーぐのまなざしが心に引っかかったが……それもすぐに霧散した。


 だって、このときの俺は指輪や親善大使としての仕事のことで頭がいっぱいだったから。

 けれど、彼女の……そして、己の直感を信じなかったことを、俺は心底から後悔することになる――。


   *  *  *


 できあがった指輪をジュエリーショップで受け取ったあと、俺は車に揺られていた。

 指輪は……うん。大満足の出来だ。


《イロハちゃん、ずいぶんと顔がニヤけてるじゃない?》


《う、うるさいです! こっち見てないで、ちゃんと前見て運転してください!》


《はいはい》


 バックミラー越しにこちらを見てくるシークレットサービスの女性に、抗議するも軽く流される。

 けれど、無事に指輪を用意できて本当によかった。


《ふふっ、それを受け取る子はきっと幸せだろうね》


《そう、ですかね》


《もちろんでしょ。だって、そんなに真剣に選んだんだから》


 そうだろうか? よろこんでくれるだろうか?

 だとしたら……うれしい、かも。


《確認だけど、このまま空港に向かっちゃっていいんだよね?》


《はい。というか、もう家に戻ったりしてる時間はないですよね?》


《たしかに、ちょっと厳しいかもねー。プライベートジェットだから時間に融通もきくんだけど、そうはいってもお仕事だし。それに万が一、遅れたときに待たせる相手が相手だからねー》


《ひぇっ!? すぐ行きましょう! 急ぎましょう!》


 大統領の時間を1分、1秒でもムダにするだなんて……考えるだけで恐ろしい。

 二重の意味で、怖い。


 そうなると、指輪はこのままカバンにしまって持っていくしかない。

 そんな、やむを得ずの判断だったのだが……これなら家に置いて行ってうっかりあんぐおーぐに見つかる心配もないし、もしかしたら結果オーライだったかも。



 そんなことを考えながら、数時間後。

 シークレットサービスの女性が告げる。


《イロハちゃん、見えてきたよ》


 いよいよ空港が進行方向に現れていた――。

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