第350話『ふたりはママ友』

「あうー! きゃっきゃっ! ママぁ~、ママぁ~!」


 ちゅぱっ、ちゅぱっと音を立てながら電話越しにマイへと甘えた声を出す。

 そんな俺の態度に、彼女は大よろこびだった。


『はうううぅ~ん! い、いつもはそっけないのにイロハちゃんがこんな態度をとってくれるだなんてぇ~! やっぱりイロハちゃんはマイのこと好きすぎぃ~!』


「えへへ~! うんっ! わたしね、ママのことだいしゅきなの~!」


『おほぉおおおぉ~んっ! こ、こんなにも素直に”本心”を言ってくれるだなんてぇ~! ほら、イロハちゃんぅ~! ママのおっぱいいっぱい飲んでいいでちゅからねぇ~!』


「わぁ~い! ちゅぱっ、ちゅぱっ……」


『うぇひひひぃ~! ほぉ~らっ――おっぱいじょうず♪ おっぱいじょうず♪』


「ごほっ、ごほっ!?」


『ん? どうかしたのイロハちゃんぅ~?』


「な、なんでもないよ~? ま、ママのおっぱいおいちいな~!」


 そんなおままごと・・・・・をしばらくして、ようやくマイは満足したらしい。

 というか、サービスしすぎたらしい。


「あの、マイ~?」


『あびゃびゃびゃ……、ふひっ、ふひひひぃ~イロハちゃんぅ~。マイ、いつも不憫な目にあってばっかりなのに今日は幸せがいっぱいぃ~』


「ダメだこりゃ」


 マイがトリップしてしまい、声をかけても反応しなくなっていた。

 あ~、たまには甘やかしてもいいかと思ったのだが、刺激が強すぎたらしい。


「あーもう、電話切るよ? いい? 切るからね?」


『おひょひょひょぉ~、イロハちゃんぅ~』


「……」


 あ、もう切っていいなこれ。

 当分は戻りそうにないし。


「じゃあね、ばいば~い」


 スマートフォンの画面をタップして通話を終了する。

 静かになった自室で、俺は「ふぅ~」と余韻? に息を吐いた。


 やりすぎた感はあるが、これで当分はマイの”イロハ欲”も抑えられることだろう。

 そんなことを考えながら俺は……。


「ちゅぱっ、ちゅぱっ……って、ハっ!? な、なんでまた吸ってるんだ!?」


 無意識にしゃぶっていたことに気づいて、慌てて吐き出した。

 こ、こんなのがクセになったら大変だ!? こんな……。


「――親指・・をしゃぶってるところ、だれかに見られたら人生が終わる!?」


 じつはさっきの通話中も、咥えていたのはおしゃぶりではなく親指だった。

 だって、もう配信で使った赤ちゃんグッズは洗って片づけてしまっていたし。


 なにより、おしゃぶりを持ち出そうとするとリビングにいるあんぐおーぐに見られる。

 そうなると、いろいろと説明がめんどうくさい。


「けど、マイにバレなくてよかった」


 おしゃぶりを咥えていなかったということは、シラフだったわけで。

 つまり、さっきマイに伝えていた言葉もすべて……。


「なーんて、ね」


 イリェーナに”いちばん”好きと伝えて。

 あー姉ぇに”だけ”は自然体で接して。

 あんぐおーぐと”あんなこと”をしちゃって。

 マイへと伝えた言葉は”本心”で。


「まったく、いつの間に俺は――わたしは……」


 みんなのことを考えると、自然と顔がほころんでしまう。

 VTuberだけじゃなく、言語学や彼女たち……気づけば自分の中に大切なものが増えていた。


 ずっとこんな日々が続けばいい。

 そう、思ってしまうくらいに満たされた日常だった――。


   *  *  *


「あ、もしもし? お母さん? うん、そうそう。出発、今日の予定で……うん、うん」


 あっという間に時間は過ぎ、クリスマスの直前。

 すなわち俺がアメリカを発つ日が訪れていた。


 事前に報告はしていたが、俺は改めて母親に電話していた。

 あまり心配をかけすぎてもよくない、という配慮のもとだったのだが……。


「にしても、はじめて名前を聞く国だけど――そんな場所でもVTuberのライブ・・・ってあるのね~』


「あるかーっ!? めっちゃくちゃ残念だけど、まだそこまではVTuberも浸透してなくって……って、あれ!? もしかしてお母さん、わたしが遊びに行くと思ってる!?」


『え? ちがうの?』


「ちがわーいっ!? あくまで親善大使として、お仕事をしに行くんだよ!? お母さん、いったいわたしをなんだと思ってるの!?」


『VTuberバカ?』


「わーい、誉められた! うれしい! けど今回はちがうから!? なんでそんな勘違いを……」


『いや、だってあんた、留学にかこつけてアメリカのイベントを見に行ったくらいだし』


「それはそうだけど……って、んんんっ!? ななな、なぜそれを!?」


 VTuberのほうがメインだ、なんてバレたら留学を許可してくれないと思っていた。

 だから、徹底して隠していたはずなのに!?


『いや、逆になんでアレで隠せてると思ってるのよ。それに……お母さんをだれだと思ってるの? あんたの母親よ? そのくらいお見通しだわ』


「じゃ……じゃあ、もっと早く言ってよー!? それならこんなに神経をすり減らして、隠しごとする必要もなかったのに!?」


『でも、勘違いさせたままのほうが、あんたもマジメに勉強したでしょ?』


「うっ!? それは、まぁ」


 くそう! まんまとしてやられた!

 ほんと、母親には勝てないな……本物のママはやっぱりレベルがちがう。


「で、その国って安全なの?」


『あれ? 言ってなかったっけ? 国……がどうかはわからないけど、わたし向こうではアメリカ合衆国の大統領と一緒に行動する予定だから』


「ごほっげほっ!? だだだ、大統領!? って、あああ、あのお母さま・・・・!?」


「え、うん? まぁ、そうだけど……?」


 え、なにそのリアクションは。

 それに、呼びかたも。


 もしかして、俺の知らないところでふたりは交流でもあるのだろうか?

 だとしたら、この態度も納得。あの人、威圧感すごいもんな……。


「そんなわけで、たくさんのボディーガードも一緒だし。むしろ、世界中のどこよりも安全だと思うよ」


『そそそ、そう! それなら安心ね!』


 それから母親は息を整え、すこしだけマジメに言った。

 やさしくて力強い、俺の背を押すような声だった。


『それじゃあ、気をつけていってきなさい。そして、あんたのやるべきことを、やりたいようにやりなさい』


「うん。――いってきます」

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