第343話『言葉の翼』

「それじゃあ、イロハちゃんとおーぐが赤ちゃんになるまでスリー、トゥー、ワン……アークト」


 あー姉ぇの合図で演技が開始する。

 やるしかない。俺とあんぐおーぐは顔を真っ赤にしながら声を出した。


「……ば、ばぶぅ~」「……バブゥ~」


>>あっ、昇天しますた

>>アカン、かわいすぎる。浄化されそう

>>なんだこの気持ち……これが母性!?


「ギャオオオン! いいい、イロハサマかわいいですイロハサマ!」


「うぐっ!?」


「おーぐもすっごくいいよ~! お姉ちゃん……じゃなくて、ママにいっぱい甘えて姉ぇ~?」


「い、イヤだー!? アネゴがママだなんテ! せめてチェンジさせてくレ~!?」


 ママ役をしているふたりはノリノリだが、対照的に赤ちゃん役の俺たちは地獄だった。

 というかあんぐおーぐ、この企画を考えたの半分はお前だろーが!?


「こ、こんなはずでハ」


 あんぐおーぐがそう、うなだれている。

 どうやら自分が赤ちゃん役をさせられることは想定外だったらしい。


「こら、おーぐちゃん。ダメでちゅよ~? 赤ちゃんはそんなに流暢に話さないでちゅもん姉ぇ~?」


「クっ、あうあウ~!」


「イロハサマ! どうかワタシのことを”イリェーナママ”と呼んでくだサイ!」


「そ、それはさすがに!?」


 中学生女子をママと呼ばわりするって、どんな羞恥プレイだ!?

 俺の中身はおっさんだし……いや、同い年の女の子同士でもNGだろそれ!?


「そ、そんな難しい言葉は赤ちゃんには発音できないし」


「イロハサマ逃げるつもりデスカ!?」


「ち、ちがうもん! 本当に赤ちゃんには言えないんだもん! 歯がないし、それに口内も仕上がってないから……口内が狭いから、物理的に出せない音があるんだもん!」


>>だれもそこまで厳密に赤ちゃんやれとは言ってないw

>>言語学の知識を言い訳に使うな!

>>逃げるな卑怯者! 戦え! お前も赤子になるのだ!


「い、今のわたしは赤ちゃんだから……視力が低くて、コメントも読めないなー」


 赤んぼうの視力は0.02ほどだ。つまり、ほとんどなにも見えない。

 それに長時間、目を開けていることも難しい。


 だから、転生してすぐ「中世レベルの文化だ」とか「異世界だ」とか「美人のママが!」とかわかったり、すぐ流暢に話せたりは……あくまでファンタジーだから成り立つ話。

 異世界人が、地球人と同じ人体構造をしてると思っちゃいけない。


 あるいは「未発達なのは目じゃなくて脳のほう」という説もないわけではないので。

 うん、きっとそちらを採用しているのだろう!


「そのワリニ、ワタシの声ははっきりと理解していらっしゃるようデスガ」


「うっ!? い、いや~、だって赤ちゃんも音はちゃんと聞こえてるから」


「そういえばイロハサマがワタシの胎内にいるトキモ、声をかけるとよく蹴り返してクレテ……」


「とんでもない記憶を捏造するなー!? ちょっと発言考えようね!? ライン越えだからそれ!」


>>イリェーナは推しから産まれたい派じゃなく、推しを産みたい派でござったか

>>↑どっちも狂気で草。めっちゃわかる

>>↑わかるのかよwww


「まぁでも、お腹の中にいるころから声が聞こえてるのは事実だし。さすがに、空気中とは音の聞こえかたがちがうみたいだけど。そのころからすでに言語学習ははじまっているともいえなくもない」


「さすがにそれは大げさではありまセンカ?」


「でも実際、赤ちゃんは産声の時点ですでに、国ごと……語によってイントネーションがちがう、ってデータがあるんだよね」


「エッ!? そうなのデスカ!? お腹の中の赤ちゃんにはいっぱい声をかけてあげるほうがイイ、とは聞きマスガ……マサカ、そういう意味だったトハ」


「きっと、言語習得は本能なんだよ」


 口は本来、言葉を発するためのものではない。

 あくまでものを食べたり、呼吸するための器官だ。


 いわゆる”前適応”。もともとはちがう機能のために作られたものが、べつの使われかたをしている。

 ゆえに、言葉は本能ではない……とは、ならない。


「わたしたちの言葉は、きっと鳥にとっての翼と同じ」


 体温調節用の毛が、飛ぶために使われるようになった。

 しかし、鳥は生まれながらにして、だれに教わらずとも飛びかたを知っている。


 それは紛れもない本能だろう。

 ならば、言葉も同じといえる気がする。


 ……そうなると、いったい本能というのはどこからやってくるのだろうな?

 そればっかりは俺にもわからない。


「ナルホド。ところでイロハサマ、赤ちゃんには物理的に出せない音があるとおっしゃられていまシタガ、では『イリェーナママ』を赤ちゃんでも言えるように発声スルト、どうなるのデスカ?」


「ええっと……」


 俺は脳内で変換してから、言葉を発した。



「――”いいうぇーあマんマぁ~”?」



「オヒョォオオオ! アっ、すいませんちょっと鼻血ガ」


「……はっ!?」


 しまったハメられた!?

 くそう、言語学の話で煙に巻く作戦だったのに!


「イロハちゃん、さっきから小難しいことばっかり考えて! それじゃあ、いつまでも経っても立派な赤ちゃんになれないでしょ~! ほら、もっと”あいきゅー?”を落として!」


「アネゴはもうちょっとIQを上げてくレ!? ワタシこんなアホなママはイヤだーっ!?」


 配信がギリギリ理性的だったのは、この瞬間までだった。

 あー姉ぇが「仕方ないな」とでもいう風にため息を吐いた。


「まったく、ふたりともまだまだ赤ちゃんの気持ちになりきれてないみたいだ姉ぇ~? こうなったら秘密兵器を出すしかないかなっ」


 まさか、アレを使う気か!?

 ここから一気に赤ちゃん企画はカオスと化していく――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る