第320話『切ない夜に』

「オーイ、オマエらー。オハヨー、朝だゾー。早く起キ……ギャーーーー!?」


 早朝、あんぐおーぐの悲鳴が部屋に轟いた。

 なにせ、彼女の視線の先にあったのは……。


「ぐ、るじ……だず、げ……、ブクブクブク……」


「イロハが泡吹いて死にかけてルー!?」


 寝ぼけたあー姉ぇにチョークスリーパーをキメられている俺の姿だったのだから。

 慌ててあんぐおーぐが駆け寄ってきて、ぐいぐいとあー姉ぇの腕を引っ張る。


「ビ、ビクともしなイ!? オイ、バカアネゴ! さっさと目を覚まセー!」


「ぐーすかぴー、イロハちゃん……好き……むにゃむにゃ」


「ぁっ、お母さん……わたしも今、そっちへ行くよ……」


「落ち着けイロハー!? というかオマエのママはまだ存命だろーガ!? 起きろアネゴー!」


 あんぐおーぐがあー姉ぇの頬を往復ビンタする。

 ようやく「むにゃ?」と彼女が目を覚まし、寝ぼけまなこでキョロキョロとあたりを見回した。


「ふわぁ~あ。……あれ、もう朝? なんだかいい夢を見ていたような」


「アネゴ、そんなことより早く腕ヲ!」


「もう、げんか、い……ガクっ」


「イロハぁ~~~~!?」


「……えーっと、あれ~? もしかして、あたしやっちゃった?」


 俺は意識を失いながら誓った。

 あー姉ぇ、お前は絶対に許さん! あと俺を生贄に差し出したあんぐおーぐも同罪だーっ!


   *  *  *


「ナぁナぁ、イロハー。機嫌、直せっテー」


「ご、ごめんね~イロハちゃん」


 俺たちは3人はリビングで朝ご飯を食べていた。

 まぁ、朝……というか正確には、いろいろあってもうお昼に近いけど。


「……フーンだっ」


 俺はそっぽを向いて、もくもくと食事を口へと運ぶ。

 いつもはあんぐおーぐのとなりに座るが、イスも今日はひとりだけ離した場所に置いていた。


 本当に、昨晩から今朝にかけて散々だった。

 悶々として寝つけず、”気分転換”してようやくウトウトしていたところに、あー姉ぇの寝相アレだ。


 おかげで俺は一睡もできなかった。

 ……まぁ、代わりに気絶はできたけどね!?


「ムッスゥ~! 全部、ふたりのせいだから!」


「そんなこと言うなヨー。ごちそうさまイロハ、今日のご飯もすっごくおいしかったゾ!」


「だよねー! いつの間にイロハちゃん、こんなにも料理上手になっちゃったの~? 毎日こんなの食べてるなんて、おーぐズルい! あたしおかわりー!」


「そ、そんなお世辞で許されると思ったら、大間違いだし」


 けど、そう言ってもらえると作りがいが……って、ちっがーう!?

 褒めたってなんにも出ないぞ! 本当だぞ!


「エぇ~? じゃあこうダっ、ギュぅ~っ!」


 食事を終えたあんぐおーぐが、俺の後ろに回りこんで抱きしめてくる。

 瞬間、俺は「ぴぎぃいいい!?」と悲鳴を上げた。


「ど、どうしたイロハ!?」


「あがががっ!? き、昨日の筋肉痛がぁっ!?」


「お、おおウ……なんかスマン」


 あんぐおーぐが身体を離そうとし、しかし「ん?」と動きを止めた。

 彼女は俺の首元に顔をうずめると、スンスンと鼻を鳴らす。


「ンンっ? イロハ、なんかオマエ……いつもよリ、スッゴイ甘い匂いがしないカ?」


 ビクぅうううっ! と肩が跳ねた。

 ガクガクと挙動不審になりながら、俺は答える。


「ききき、気のせいじゃないかな!?」


「うーン? そうカ? それならいいんだガ。アっ、そういえバ。今朝、生命の危機でそれどころじゃなかったガ……思い返すト、オマエのベッドまわりが一番甘い匂いがしたようナ」


「それも気のせい! 絶対に気のせいだからーっ!?」


「そ、そうカ。なんダ、変なヤツだナ」


 俺はあんぐおーぐに不審がられながらも、なんとか誤魔化す。

 昨日のことは今、思い出しても……ううっ。


「……全部、あー姉ぇとおーぐのせいだもん」


 夜中、あー姉ぇに生殺しにされた俺は、切なさが抑えられずあんぐおーぐの部屋を訪れた。

 いや正確には、訪れようとした。


 だが、彼女はカギをきっちりかけ爆睡していたようで、扉はビクともしなかった。

 か、肝心なときにかぎってー!?


 結局、俺は自分のベッドに戻ることになった。

 なんとか耐えようとがんばったのだが、限界がきてしまい……そして、最終的にその、はじめて……しかも、あー姉ぇが眠っている横で……ゴニョゴニョ。


「~~~~っ」


 カァ~っと顔が熱くなる。

 羞恥と後悔と、それから罪悪感みたいな気持ちでいっぱいになる。


「そ、それはともかく! 今日どうする? ほら、あー姉ぇが予定よりも早くアメリカに来ちゃったから。今日は丸1日、空いてるわけだけど」


「もむもむ、むむーむ、もっちゃもっちゃもー!」


「ちゃんと飲み込んでからしゃべってねー」


「もぐもぐ……ゴクン! ごちそうさま!」


 あー姉ぇはあっという間に残っていたごはんを食べ終え、手を合わせた。

 そして、俺にとっての地獄行きを宣言する。



「今日やること、それは――あたしたち3人での”オフコラボ運動配信”だよ!」



 こういうとき、どうすればいいか俺は知っている。

 なので、即座に逃亡を選択した。


「ぜ、絶対にイヤだー!」


 が、あー姉ぇの手がまるで蛇みたいに伸びてきて、俺の後ろ襟をガシィっと掴む。

 俺はまるで親猫に運ばれる子猫のようにブラーンと宙に浮いた。


 ……うん、これも知ってた。

 どうしたってムダなことも、これからどうなるのかも。


「ううぅ~! なんでぇ~!? 昨日もう、散々ダンスしたばっかりなのに~!?」


「だからこそ、だよ! お姉ちゃんは思いました。イロハちゃんのダンスは……あまりにもヒドすぎる、と! こんな状態のまま放って日本には帰れない、と!」


「うぐっ!? ……お、おーぐぅ~! おーぐだって昨日の今日なんてしんどいよね? ねっ?」


「……イヤ、よく言ったアネゴ!」


「おーぐぅ!?」


 よく見ればあんぐおーぐのヤツ、普通に肌ツヤがいいぞ?

 そうか! 彼女は一晩ぐっすり休んだから……!


「イロハちゃん、今回コラボ曲の収録はたしかに終わったよ。けど、まだソロ曲のほうが残ってるでしょ?」


「そ、それはぁー、そうだけどぉ……」


「というわけで! 収録に向けて体力クソザコのイロハちゃんのために、強化訓練……という名の”フィットネスゲーム配信”を行いたいと思います!」


「ひぃいいいん!?」


 地獄を乗り越えた先に待っていたのは、どうやらべつの地獄だったらしい――。

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