第306話『プリーズ or フリーズ』

 それは俺がスクールバスで、いつもの座席に座ったのと同時に起きた。

 いつもとなりに座っている女子が、笑いながら俺のマフラーに手をかけたのだ。


《もう、イロハちゃんたら。車内でそれは暑いでしょー。アタシが脱がせてあげるよー》


《あっ、ちょっ!?》


 止めようとしたが、時すでに遅し。

 マフラーがはだけて、俺の首元があらわになっていた。


 それを見て、女子は一瞬でなにかを察したらしい。

 顔を真っ赤に染まて、パクパクと口を動かして……。


《~~~~!? ま、まさかこの痕って!? イロハちゃん、もしかしてハロウィンの夜に……!?》


《あっ、やっ、これは!?》


《おい。お前ら、どうかしたのか?》


《《っ!》》


 ビクゥっ、と俺たちふたりの肩が揃って跳ねた。

 通路を挟んで向かいに座っているシテンノーが、こちらを訝し気な目で見ていた。


《あ、あわわわっ!?》


 女子は俺とシテンノーとの間で、アタフタと視線を行き来させている。

 彼はしびれを切らしたように、こちらに身を乗り出させ……。


《な、なんでもなーい!? ほらっ!》


《ぐえっ!?》


 女子は大慌てで、俺の首にマフラーを巻き直した……んだけど、ちょっと待って!?

 首! めっちゃ首、締まってるから!?


《ふぅん? まぁ、それならいいが》


 シテンノーが首を傾げながらも、自分の席に戻って行く。

 無事に俺の秘密が広がるのは防がれた。


 それはいいのだが、その……もう。

 俺は女子の腕を必死にタップした。


《~~~~っ! ぎ、ギブ……た、助けて。じぬぅ~!》


《え? ぎゃーっ、イロハちゃんが白目剥いてるーっ!?》


 女子が慌てて手を離し、マフラーを緩めてくれる。

 や、やっと気づいてくれた。


《げほっ、ごほっ!?》


《ゴメンね!? アタシ、ビックリして思わず……!》


《あ~、危なかった……。三途の川とステュクス川が同時に見えた》


《本当にゴメーン!?》


 まったく勘弁して欲しい。こんなアホなことで死にたくないぞ、俺は。

 たかが、キスのひとつや100つで命の危機なんてバカバカしい……。


《……》


 一瞬、マイの顔が頭に浮かんだのはなかったことにしよう。

 というか、さっきから……。


《……じぃ~》


 女子がものすごく、俺を見てきているんだが。

 俺が「ええっと」と怯んでいると、彼女は呟くように言葉をこぼした。


《でもそっか~……。イロハちゃんってこんなに身体がちっちゃいのに、もう経験者・・・なんだ。アタシはまだ、なんにもしたことないのに》


《ちっがーう!? これは、そういうんじゃなくて……そう! 女友だちに”イタズラ”で痕をつけられただけで!》


 う、ウソは言ってないぞ!?

 しばしの間、女子とにらみ合いになり……彼女はニコっと笑った。


《……な~んだ、脅かさないでよもぉ~!》


《ご、ごめんごめん。よかった、信じてく――》


《隙あり! ていっ!》


《ひゃうっ!?》


 いきなり女子に、ペロンっと服の裾をまくられた。

 足の付け根やお腹の素肌が一瞬、晒されて……。


 俺は慌てて裾を押さえた。

 いろんな羞恥で、プルプルと震えながら問うた。


《も、もしかして……見えちゃった?》


《……よ、予想の100倍スゴかった。なんていうかこう、エッチ――》


《言わないで!?》


《けど……やっぱり! だって首の痕の数、絶対にイタズラって規模じゃなかったし! しかも、あんなところにまで……! アタシ、イロハちゃんをそんな子に育てた覚えはありません!》


《育てられた覚えないからね!》


《けど、そっか。イロハちゃん……いや、イロハ師匠センセイ!》


《”センセイ”!?》


《それで師匠! 片思いクラッシュしている相手をオトすにはどうすればいいですか!?》


《ふぇえっ!?》


《恋愛の先達として、どうかアタシにご教授を!》


《そ、そんなのわたしに聞かれても!?》


 女子の中では、俺にはすでに恋人がいることになってるらしい。

 俺だってまだ告白する勇気も、受け入れる準備もできてないのに……!?


《おい、お前ら。さっきからヒソヒソなにを話してるんだ? ”片思いクラッシュ”とか”師匠センセイ”とか》


《いや、これはそのっ!?》


 シテンノーが今度こそ、不審に思ったのか尋ねてくる。

 俺は全力で頭を回転させ……。


《き、聞き間違いだよ? わたしたちは”授業クラス”や”教師ティーチャー”の話をしてただけで》


《……》


 沈黙が空気を支配した。スクールバスのエンジン音や、周囲の雑談の声がどこか遠い。

 1秒が無限にも感じられ……。


《なんだ、そういうことか。悪かったな、また勉強をサボって変な話をしてるのかと思って》


《や、やだなー、あはは》


《ほんと、聞き間違いには気をつけないとな》


《……》


 そういえば、あの痛ましい事件が起こったのもハロウィンの夜だったか。

 それはとある日本人の留学生が、仮装してハロウィンパーティーへ出かけたときの話だ。


 彼らは土地に不慣れで訪問先を間違えてしまった。

 家主は彼らを不審者だと思い、銃を持ち出してこう言った。


 ――止まれフリーズ


 しかし、留学生は聞き間違えた。

 それも最悪の方向に……。


 ――どうぞプリーズ


 と。

 そして、銃を持った相手に近づいてしまい……。


 この話の真相は俺にはわからない。

 家主には元々、殺意があったとも聞くし。


 しかし、もし言われた言葉が「止まれストップ」であれば、結果は変わっていたのかもしれない。

 そう、考えてしまう。


《わたしも気をつけないと》


 聞く側だけでなく、言う側としても。

 上記の話と並べるのもなんだが、かくいう俺も聞き間違えで非常に困ったことがあった。


 これは実体験なのだが……。

 恐ろしいことに、その定食屋さんでは――絶対に「小盛り」が注文できないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る