第291話『言語チートのいらない世界』
《……「え」?》
驚いているシテンノーを見て、俺は首を傾げていた。
なにか変なことでも言っただろうか?
《お前、”ノータイムの翻訳”ってあのときの》
《あのとき?》
《……いや、なんでもない》
《そう? それならいいけど》
シテンノーは言葉を濁した。
いったい、なにを言おうとしたんだろうか?
にしても……あーあ。いっそ全人類に言語チートを与えられたら手っ取り早いんだけどなぁ。
まぁでも、そんなことできるわけないよなー。
《けれど、いつかは……》
いつかは、必ず訪れるはずだ。
だれもが言語チートと同等の力を気軽に使える時代が。
これまでも人類はチートや超能力にも等しい力を、科学で現実へと変えてきたのだから。
――言語チートが無意味になった世界。
それこそが俺の理想だ。
俺の人生の第1目標が配信を見ること。そして第2目標がこれだ。
すべてのVTuberから言語の壁をなくす。
そして、それが完遂されるときは――”翻訳少女”引退のときでもある。
といっても、今はまだ何年、何十年先になるかはわからないけれど。
たとえ技術が実現したとしても、すべての言語に対応するには途方もない時間がかかるだろうし。
《……》
シテンノーは無言で、なにかを考え込んでいた。
彼がなにを思っているのかはわからない。
けれど、案外こういった何気ない会話や身近な場所から、解決の糸口や発想が生まれたりしてな。
セロハンテープと鉛筆から、ノーベル物理学賞が生まれることだってあるのだから……。
* * *
《――でね、でねっ! バンチョーに勉強を教えてもらったんだけど、説明がすっごく上手で!》
《フーン?》
《あとやっぱり、推しの声だからかな~? もう、一言一句漏らさず記憶に刻まれたっていうか!》
《フゥ~~~~ン?》
食事中、俺はあんぐおーぐにバンチョーとした勉強会の様子を語っていた。
あぁっ、本当になんという至福の時間だったことか!
でも悲しいことにバンチョーも忙しい身の上だから、あんまり予定が合わないんだよなぁ。
次回はかなり先になりそうで……。
《はぁ~。もし毎日バンチョーに教えてもらえたら、あっという間に成績も上がるんだけどなぁ~。……って、あれ? おーぐ、どうかしたの?》
《べっつにぃ~~~~?》
《もしかして、なんかイヤなことでもあった?》
《そうだなぁ!? あったかもなぁ!?》
えーっと? これはどういうリアクションだろう?
いや、待てよ? このパターンは……。
《もしかして、なにかわたしに怒ってたりする?》
《ハハハ。今日のイロハは気づくのがずいぶんと早いなー》
《そう!? いや~、わたしもついにおーぐの心の機微がわかるようになっちゃったかー!》
《なにも褒めてないが!? 今のは皮肉だ!》
《あっれぇー!?》
にしても、怒らせるようなことをした覚えがないんだけどなぁ。
地雷を踏むような話題はなかったはず。だって、ずっとバンチョーの話しかしてないし。
《かといって、バンチョーのことで怒るわけもないし》
《怒るが!? 逆にバンチョー以外になにがあると思ったんだ!?》
《えぇーっ!? それだったの!? でも、わたしが推しについて語るなんていつものことでしょ?》
《それとこれとはべつだろうが!?》
《……む、難しいな》
なにがどう違うのかよくわからない。なんでバンチョーがダメなんだ?
彼女を特別扱いしたわけでもなし。だって、俺にとっての”トクベツ”はあんぐおーぐたちだけで……。
いや、もちろん推しは全員オンリーワンで特別だけどね!?
そういう意味ではなく。
《だ、だいたい! 推しの声で教わりたいってだけなら、べつにバンチョーじゃなくたっていいだろ!? それこそ、教育系VTuberとか……》
《それはもう全部見た》
《うっ!? じゃあ。ワタシがオマエに勉強を教えて……》
《教えられるの?》
《うぐっ!? で、でも教科書を読み上げるくらいならワタシでもできるし!》
それは、正直めちゃくちゃうれしいが。
というか、もしそんなことしてもらえたら教科書丸暗記できる自信すらある。だが……。
《おーぐのどこにそんな時間があるの? ただでさえすっごく忙しい身なのに》
《うぐぐっ!? あーいえばこーゆー!》
そう言われても、ただ事実を伝えただけなのに。
そんな不満が表情に出ていたのだろうか。あんぐおーぐが叫ぶように言い放った。
《うがぁ~!? あーもう知るか! じゃあ、いっそイロハは……」
《――”ゆったりボイス”にでも教科書を読ませろよ!》
《……え!?》
《な、なんだよ》
突然、固まった俺にあんぐおーぐのほうが困惑していた。
俺はそんな彼女の両手をガシっと握りしめた。
《はぇっ!? い、イロハ!?》
《おーぐ、それ……天才だよ! 本当、最高すぎるアイデア!》
俺はあんぐおーぐの両手を握ったまま立ち上がり、くるくると回った。
いや~、なんで今までそれを思いつかなかったんだ! 俺のバカ!
そうだった。今の時代にはVTuberの声を再現した読み上げソフトがあるんだった!
やっぱり、解決の糸口や発想って、意外なところに転がってるもんなんだな~!
《おーぐ最高! おーぐ大好き! ありがとう、おーぐ!》
テンションが上がって。そんなことまで叫んでしまう。
しかし、それが効果テキメンだったらしい。
《そ、そうか? ムフーっ! そうだろ、そうだろ! もっと褒めても……ちょっと待て、イロハ。今、ワタシのことを「大好き」って!?》
あんぐおーぐの機嫌が回復する。
そうと決まればやることが盛りだくさん。俺はパソコンへと向き合い……。
* * *
翌週、俺の成績は一変していた。
満点。満点。満点のオンパレード。
俺は難しい小テストでも、バンバンと高得点を叩き出すようになっていた――。
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