第290話『永遠の1秒』


《シテンノーくん、言語処理に興味があったの?》


《逆に、なんで興味がないと思うんだ? ボクは幼少から多数の言語が飛び交う環境で生活してきたんだぞ。それにいったい何ヶ国語を習得して、何度お前に語学で勝負を挑んだと思っている》


《あ~》


 言われてみると、そんなこともあったような?

 俺がそう記憶を探っていると……。


《これは将来の勉強のため。だから、決してイロハに頼まれたからといって信念を曲げたわけではなく……》


 シテンノーがぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟いていた。

 そうか、勉強のためか! それなら遠慮なくお願いできるな!


 じつは言語処理と語学は似てるようで全然ちがうのだが……。

 まぁ、大丈夫だろう!


《えへへっ。ありがとっ、シテンノーくん。すっごく助かるっ》


 無事に問題が解決して、ひと安心。

 そう自然と笑みがこぼれ……。


《〜〜〜〜っ!?》


 なぜかシテンノーの顔が真っ赤に染まった。

 彼は机におでこをぶつけはじめた。


《し、シテンノーくん!?》


《ぬぐぉおおお!? なにをよろこんでいるんだボクはぁ!? 決して、そんなことのために引き受けたわけではっ……!》


 えーっと、よくわからないが大変そうだな。

 まぁ、思春期ってときどき意味がわからない行動取っちゃうもんだし、そっとしておいてやろう。


 そう俺がシテンノーからこっそり距離を取っていると、「イロハちゃん!」と女子が声を張ってくる。

 なにやら決意のこもった眼差し。


《アタシにもそのバイト紹介して! アタシもシテンノーと一緒に働くわ!》


《え? あなたも言語処理に興味あったの?》


《んぐっ!? あーいやー、それはー》


 女子が言葉を濁す。

 と、そこでムクリとシテンノーが身体を起こした。


《おい、お前はまず自分の勉強だろ。そういうのは学校のテストをなんとかしてから言え》


 どうやら復活したらしい。

 おでこが真っ赤になっているのは、見なかったことにしてやろう。


《うっ!? で、でも……イロハちゃん! そのお手伝いって定員1名なの?》


《どうだろう? 聞いてみないとわかんないなぁ。でも、人手はあればあるだけよろこばれそうだけど》


 なにせ、俺にまで話が回ってくるくらいだ。

 よっぽど手が足りていないんだと思う。


《じゃあ、ほら! 勉強も大切だけど、困ってる友だちを助けるのも大事だし! いいでしょ、シテンノー?》


《なんでボクに許可を求めるんだよ。……まぁ、イロハがいいならボクは構わないけど》


《よしっ!》


《……成績、落ちても知らないからな。まぁ、お前の人生だし、ボクには関係ないけどさ》


《むっ!? か、関係あるもん! シテンノーには……そう! 今まで以上にアタシの勉強を見てもらわないといけないし!》


《はぁ!? なんでだよ!?》


《な、なんでもよ! べつにいいでしょ!?》


《……はぁ~。もう勝手にしろ》


 シテンノーが女子に押し切られていた。

 にしても、すごいな彼女。手伝いも勉強もこんなにモチベーションが高いだなんて。


 俺は勉強が嫌いなわけではないが、特別好きなタイプでもない。

 だから、必要性に駆られないとなかなかできなかったりするのに。


 あるいは”好きな人が教えてくれる”でもないかぎり。

 ふ、ふふふ……! バンチョーとの勉強会、楽しみだな~!


《あ~。で、イロハ。言語処理って具体的になにを研究してるんだ?》


《そういえば、まだ言ってなかったっけ?》


 ひと口に”自然言語処理”といってもその内容は多岐に渡る。

 チャットボットに文章校正、SNS分析など。


 その中でも俺が協力している研究所が手掛けているもの。

 それは……。



《――新時代の”翻訳”システムだよ》



《……! なるほど》


 聞いた瞬間、シテンノーが「得心がいった」という風に頷いた。

 普段「推しを見る時間が減る!」と言ってはばからない俺が、なぜわざわざ研究協力なんてしているのか。その理由を察したらしい。


 そう、もちろん――すべてはVTuberのためだ!


《現代の”自動翻訳”は、まだまだ足りてない部分が多いと思う》


 近年、AIの発展とともに”機械翻訳”の精度が大幅に向上してきている。

 だが、それをもってしてもなお言語の壁は厚い。


 ちょうど先日も、こんなチン・・事件があった。

 ”ネットフレックス”を俺に断られたバンチョーが「かわりに」とこんなトゥイートをしたのだ。


『イロハネキ、今度ワタシと一緒に”オサンポ”しようぞ♡』


 なんでも「インドアがダメならアウトドア」という意図だったらしい。

 しかし、なぜか英語に自動翻訳したその文章は……。


『イロハネキ、今度わたしと一緒に”オチ○ポセッ○ス”しましょう♡』


 と出力されてしまっていた。

 当然、それを見た海外ファンはすさまじく困惑……というか、大興奮? だった。


 このように現代の機械翻訳はまだまだ精度に難がある。

 こういう誤訳は現在、主流になっている”統計”を主とした機械翻訳の性質上、仕方のない部分でもあるのだが……やはり、これでは十全とはいいがたい。


《あとはやっぱり、自動翻訳にかかる時間だよね》


 ただ翻訳だけすればいいわけではなく、音声を解析して、翻訳して、そして出力までしなければならない。

 まだまだ、ノータイム――本当のリアルタイムにはほど遠い。


 これは以前も似たことを語っているが……。

 仮にたった1秒のラグだとしても、ノリが重要になってくる配信上の会話においては致命的なのだ。


 リアクションが間に合わず、話題は次へと移り……。

 現在の翻訳機では、国際コラボをしても必ずどちらか片方が置いてけぼりを食らう。



 ――会話における1秒は、永遠だ。



 まぁそのあたりは、マイクの品質や周囲の環境音ノイズ、マシンの処理能力や通信速度なんかも関わってくるので、一概にソフトがよければどうにかなるものでもないのだが……。

 だからこそ、俺たちは全部ひっくるめて新しい翻訳の”システム”を作ろうとしているわけだ。


《まぁ、わたしがどこまで研究の役に立ててるかはわかんないけどね……ここまで語っておいてなんだけど。……はぁ~。どっかにノータイムで翻訳・・・・・・・・ができるような、そんな方法が転がっていればなぁ》


《えっ!?》


 シテンノーがなぜか、困惑と驚愕が混ざったような目で俺を見ていた――。

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