第263話『危険のシグナル』
俺は尻もちをついて、その学生を見上げていた。
巨漢にタトゥー、ギョロリとした目……。
《ご、ごめんなさい》
慌てて謝罪する。
今のは完全に俺が悪かった。
あのガチャ配信以降ソーシャルゲームにハマり、今も移動しながらプレイしていた。
それでちゃんと前を見ていなかった。
《それじゃあ……》
《オイ、待てやァ!》
そのまま立ち去ろうとしたのだが、絡まれてしまった。
クチャクチャと音を立てながら顔を近づけてくる。
ガム……いや、噛みタバコだろうか。
ハァ~、と吐きかけられた息はとんでもなくヤニ臭かった。
《なーんでこんなところに黄色いサルがいるんだァ? いったいいつからこの学校は動物園になったんだァ、あァん!?》
俺が絡まれていることに気づいたのだろう。
周囲の学生たちがこちらを見て、ザワつきはじめていた。
しかし、遠巻きにするだけでだれかが助けに入ってくるわけではない。
そういうところは日本と変わらないんだなぁ、と思っていたら……。
《ままま、待てっ!》
震える声で割り込んできた人物がいた。
それは……えーっと。
《よよよ、弱い者イジメなんて、恥ずかしくないのか!》
あ、そうだ! シテンノーだ。
……いや、今の間は決して名前を忘れていたわけでは。
不良がなにかを言おうとしたとき、さらに援護射撃が飛んでくる。
続いて現れたのは……。
《そ、そーだし! 大の男が女の子ひとりに絡んでんじゃねーよ!》
《そ、そういうのマジでないから!》
バスの中などで、いつも俺に絡んでくる女子たちだった。
しかし、さすがに彼女らも怖いらしく声が震えていた。
《テメェら、オレをナメてんだろ?》
ざわり、とイヤな予感がした。
不良が拳を振り上げていた。
《っ!?》
タトゥーの刻まれた丸太のような腕が、女子たちへと……到達する直前。
遠くのほうから怒声が飛んできた。
《お前ら、いったいなにをやっている!》
不良は握っていた拳をパッと開いた。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、やってきた先生に手を振っている。
《見てのとおり。なんもしてーねェよ?》
《黙れ! ちょっとこっちへ来い!》
《ヘイヘイ。ん? オマエら……あァ、なるほど》
不良が先生にムリヤリ連れていかれる。
彼は最後、意味深に俺たちを見ていた。
《――これで済んだと思うなよ》
不良の後ろ姿が見えなくなったところで、ヘナヘナと女子が廊下に座り込んだ。
タフでパワフルなアメリカ人女性でも、今のは怖かったらしい。
《よ、よかった……助かって》
《えっと、大丈夫?》
《あ、あはは。アタシは平気だよ。それよりイロハちゃんは大丈夫だった? 怖くなかった?》
《いや、わたしは……》
正直いって、俺は全然平気だった。
不良だって銃を持った強盗に比べればかわいいもんだし、なにより俺には護衛がいる。
面倒くさいことに絡まれたな~。
ソシャゲがプレイ途中だったんだけど再開しちゃダメかな? とか考えてた。
「大丈夫か、イロハ! オマエ、なにやってんだ!? こっちの不良は日本の不良とはワケがちがうんだぞ!? 相手に絡んでくるきっかけなんて与えて……」
「えっと……、ごめん?」
シテンノーに叱られる。
たしかに、俺も驚いた。まさか、あんなにすぐ手を出そうとするだなんて思っていなかった。
《けど、やるじゃんシテンノー。あの状況でアイツに立ち向かうだなんて。愛の力ってやつ?》
《バっ!? た、たしかにボクはイロハに……ごにょごにょ。けど、それとこれとは!》
《はいはい。けど、イロハちゃん……気をつけてね。アイツ、暴力沙汰を起こして何度も停学を食らってるようなヤツだから。見つかりそうになったら、なるべく隠れたほうがいいよ》
《あとは絶対にひとりにならないことね~。集団監視の中でアレなのに、もし人目がなかったら》
《……わかった。気をつけるね》
といっても、俺が本当にひとりになることはない。
むしろ、心配なのは巻き込んでしまった彼女らのほうだった。
《あとはアイツだけじゃなく、基本的にタトゥーをしてるような人には近づかないように。普通、18歳未満は親の同意がないと入れられないのに、してるってことは……》
言われてみると、アメリカでもタトゥーをしている学生はほとんどいない。
ピアスについては宗教上などの理由で、赤ちゃんのときから開けている人もちょくちょくいるが。
人の内面は外見に出るというが……。
どうやら危険な人間というのは、どんな国でも”目印”があるらしい――。
* * *
帰宅した俺は、リビングのソファでソシャゲをしていた。
すると、あんぐおーぐが背後から抱き着いてきて、画面を覗き込んでくる。
《オマエ、この前のガチャ配信……イロハ至上、時間あたりのスパチャ最高額を記録してたらしいぞ》
《……え~?》
今までいろんな記念配信や大型コラボだってあった。
世界を救ったことまであったのに、この配信が1位って……。
正直、複雑な思いがあるが、まぁこういうもんだよな。
エンタメってのは。
《またやってほしいってコメントもほら、たくさん。切り抜きの数だって》
《いやいや、もう勘弁だって》
ある意味、伝説になってしまっているらしい。
……はぁ。
《なんかオマエ、元気ないな。どうかしたのか?》
《え? なんでわかったの?》
《だってイロハ、せっかく大好きなVTuberのソシャゲをしてるのに……笑顔じゃないから》
《……! じつは、ね》
俺はあんぐおーぐに事情を説明した。
彼女の言うとおりだ。これじゃあ俺は、心置きなくVTuberを堪能できない。
《このまま、なにごともなく済めばそれでいいんだけど》
しかし、あの不良の最後のセリフ……とてもそんな、都合よくはいかない気がした。
そして案の定、悪い予想というのは当たるもので――。
* * *
《奇遇だなァ? オレも今日からバス通学することにしたんだわァ》
翌朝、あの不良が俺たちのスクールバスに乗り込んでいた――。
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