第250話『ズボらな彼女』
《ちょっと、おーぐ。起きて。起きなさい。今すぐ起きろ!》
たった1週間ばかし家を空けただけで、なにがどうなったらこうなる!?
俺はガクガクと、俺のパンツ類に埋もれているあんぐおーぐを揺さぶった。
収録で疲れているとか、もはやそんなことはどうでもいい。
この状況を説明してもう必要がある。
《うぅ~ん、イロハ……あと5分》
《そんなに待ってられるかっ!》
《うぇへへへ~。わかってるって~。今日”も”イロハはワタシのことが好きすぎるな~》
《おいバカ、なにを寝ぼけてるんだ》
と、アラーム機能が働いたらしくスマートフォンが震えはじめる。
どうやら俺を迎えに来る気概はあったらしいが……。
《って、んんんっ!?》
『――朝だよ~、おーぐー』
『――ほら。はーやーく、起きて』
『――起きなきゃイタズラ、しちゃうよ?』
『――ここが気持ちいいの?』
『――だ、ダメっ。これ以上は!』
『――おーぐ、大好きだよ……ちゅっ』。
聞こえてきたのは目覚ましベルの音ではなかった。
切り貼り編集された、俺が配信上で言わされた恥ずかしセリフだった。
《い、いい加減に……起きろぉおおおおおお~ッ!》
《ほがっ!?》
ジャーキングするようにあんぐおーぐがビクリと身体を震わせた。
寝ぼけまなこをこすりながら、キョロキョロとあたりを見渡し……ようやく俺へと焦点が合った。
《ん? あ、あれ? イロハ? ……
《そうだね。本物、だね》
《……ハッ!?》
あんぐおーぐがガバッとスマートフォンを掴み取り、画面をタップする。
ずっと聞こえていた、俺のボイス? がようやく止まる。
シーンと、あたりは嵐の前のような静けさが支配していた。
彼女はダラダラと汗を流し、目を泳がせ……それから、ひきつった笑みを浮かべた。
《ぴ、ピザあるけど……食べるか?》
《誤魔化すのヘタか!?》
《ちがうんだイロハ! この目覚まし音源を作ったのはワタシじゃなくて、ファンの人で!?》
《音声のことだけじゃない! なーんで、わたしの下着に埋もれてるのかな?》
《……あうっ!? し、しまった!? いや、これは……そ、そう。洗濯の途中で》
《へ~。わたしの下着ばっかり? わたしは家にいなかったのに?》
《そ、それは……そうだ! 洗濯をサボってたらワタシのがなくなったから、イロハのを借りたんだ!》
《借りたの? 他人の下着を?》
《え、えぇーっと!?》
《たった1週間でこの数を? 下着ばっかり?》
《そ、そのぉ~》
《そして、なにより……》
ヘタクソな言い訳を並べるあんぐおーぐにトドメを刺してやる。
じつはずっと、指摘したかったのだが……。
《――おーぐって”裸で”わたしの下着に包まれるのが、シュミなんだ?》
《……ほぇ?》
一応、あんまり見ないようにしながら指摘する。
のそりと下着の山から身体を起こしたあんぐおーぐは、なぜか一糸まとわぬ姿だった。
《キャァアアア!? イロハのヘンタイーーーー!》
《どっちのセリフだ!?》
あんぐおーぐが悲鳴をあげて”翻訳少女イロハ”の抱き枕で身体を隠した。
どうやら、それを抱きしめて寝ていたらしい
本物、ねぇ?
いやまぁ、抱き枕カバーは俺も持っているし……複雑な気分だが、そこは許そう。
《ていうか裸なんて、一緒にお風呂にも入ってるのに今さらでしょ》
《それとこれとはべつだ! イロハはデリカシーがない!》
《どっちがだ! デリカシーの意味を一度、調べ直せ!》
ちなみにだが、デリカシーとは本来「珍味」のことだ。
これは言語チート能力の、翻訳の都合だな。
《まったく、なんでこんなことを。なに、寂しかったりでもしたの?》
《な、なななっ!? ち、ちがうし。そんなこと……ない、し》
あんぐおーぐが真っ赤に染まった顔をボフンっとぬいぐるみに埋めて隠した。
え、もしかして図星?
《たった1週間だよ? 今までだって、ずっとひとり暮らししてたんじゃないの?》
《うるさいうるさい! イロハが悪いんだからな! オマエと一緒にいるのが、もう当たり前になってたから》
《……ふ、ふーん?》
なんだか俺も気恥ずかしさを感じて、顔を逸らした。
はぁ……コイツ、わかっているんだろうか?
半年後には、俺は日本に帰るんだが。
そうしたら当然、実家に戻るわけで……一緒に暮らせなくなる。
《……あ~。遅くなってけど、おーぐ。ただいま》
《……うん。おかえり》
俺たちは顔を見合わせて、笑った。
まぁでも……。
《イイ話っぽくなったからといって、許すかどうかはべつだけどね?》
《イロハの鬼! 悪魔!
《最後のはむしろ褒め言葉でしょ》
一般的にはともかく、VTuber的にはある種「カワイイ」の代名詞に近い。
おてんばとか、クソガキとか……って、俺よりむしろあんぐおーぐじゃねーか。
《とりあえず服着て。部屋を片づけるよ》
室内を見渡すと、ずいぶんと散らかっていた。
というより、ズボラと言ったほうが正確か。
実家では母親にお世話になりっぱなしだったから、家事はひさしぶりだ。
いやほんと、実家のありがたみを再確認する。
《おーぐ、ピザばっかり食べてたでしょ!? というかこれ、何日前の? カピカピになってるんだけど!?》
《お、一昨日くらい?》
《もしかして、お風呂に入りながらピザ食べた!? なんかヌメヌメするし、ピザの匂いが!?》
《う、うっかり浴室に
《お説教、追加だから》
《うがー!?》
自分で汚した分はあんぐおーぐ自身に掃除させ……。
そして――。
* * *
《それじゃあ、おーぐ……行ってきます!》
アメリカでのハイスクール生活が、いよいよはじまった――!
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