第249話『山盛りの幸福』

「よしっ! じゃあ、お姉ちゃんもその事務所に参加しちゃおっかな~?」


「なんであー姉ぇまで!? もう自分の事務所があるでしょ!?」


「でも、お姉ちゃんだけ仲間ハズレで寂しい~っ! みんなだけズルいっ! 両方入っちゃダメなの~?」


「えっ!? ど、どうなんだろう?」


 さすがに、その発想はなかった。

 あいかわらず、あー姉ぇはとんでもない発想をする。


 モデルの使用権や、商標など……契約上の問題点はいくらでも考えられる。

 だが、実際に不可能なのかを試した人はいないのではなかろうか。移籍ならいざ知らず。


「こ、この話はいったん保留で! どうせ事務所の立ち上げは、マイが卒業してからのつもりだし!」


「えぇ~!?」「エ~!?」「え~!?」


 べつに未成年でも起業そのものはできる。

 というか、でなきゃ俺も”翻訳少女イロハ”を法人化できてないし。


 しかし、事務所を立ち上げれば今以上にマイの負担が増えてしまうのは明白だ。

 そうなると……。


「マイ、まーたおばさんに怒られるよ? 『学業が最優先だ』って」


「うぐぅ~っ!? そ、それはぁ~」


「というわけで、この話の続きはまた今度。なにより今は時間がないし」


 マイが怯んでいるあいだに、話を打ち切る。

 ちょうど空港内にアナウンスが響いた。


「あ、わたしの乗る便だ。そろそろ行くね」


 これで当分は会えなくなる。

 次はおそらく、ずっと先になるだろう……。


「びぇえええ~ん! イロハちゃんぅ~!」


「離れたくないデス~、イロハサマ~!」


「イロハちゃん、ばっいば~い! 元気でね~!」


 マイとイリェーナが俺にしがみついて、引き留めようとしてくる。

 逆に、あー姉ぇはめちゃくちゃ軽いな!? べつにいいけど……。


「ふたりともそろそろ離れて!? このままだと、本当に飛行機に乗り遅れるから! べつに今生の別れでもないんだし、あー姉ぇみたくもっと気軽に……」


「まぁ、あたしはふたりとちがって、ちょくちょくアメリカ行く予定だからね~」


「「!?」」


 マイとイリェーナが揃って驚愕の表情をしていた。

 俺も知らなかった。


「ほら、今ってアメリカでのイベントが盛んでしょ? それで、あっちで収録する機会も増えてて」


「お姉ちゃん、抜け駆けだぁ~!? そ、そんなのズルいよぉ~!?」


「イロハサマ、待っていてくだサイ! ワタシもスグ、アメリカの仕事を取ってきますノデ!」


「あの、ちょっと落ち着いてふたりとも……あうあうあう!?」


 ふたりにそれぞれ腕を引っ張られ、ますます激しく身体が揺さぶられる。

 俺はあー姉ぇに恨みがましい目を向けて、抗議した。


「ちょっと、あー姉ぇのせいだからね? このふたりなんとかして!」


「え~? 仕方ないな~。ほら、ふたりとも~」


「あうっ!?」「うヒャイっ!?」


 あー姉ぇがぽぽーんとふたりを放り投げる。

 それから、ふたりが離れた一瞬のスキに俺の耳元でささやいた。


「マイたちも来られないし、おーぐも最近は忙しいみたいだし……イロハちゃんとふたりきりの時間、きっといっぱい作れるねっ」


「え」


 あー姉ぇはすぐに身体を離し、「えへへ」とはにかんだ。

 その笑顔にちょっとドキリと……って、ちょっと待って。それってどういう意味!?


「さぁ、イロハちゃん! あたしがふたりを抑えているうちに、早く~!」


「どいて、お姉ちゃんぅ~! マイのイロハちゃんが逃げるぅ~!」


「ちがいマス、ワタシのデス! イロハサマ、待ってくだサイ~!」


「……あ~もうっ!」


 いろいろとツッコミたかったが。時間がないので言葉を飲み込んだ。

 俺は早足でゲートへと移動しはじめ……。


「イロハちゃんぅ~! 絶対に同じ高校に進学しようねぇ~! マイたちは、ずっと一緒だからぁ~!」


「そうですイロハサマ、約束デスヨ! あ、でもマイサンは落ちても構いまセンガ」


「なにをぉ~!?」


 俺はそんなやり取りを背中で聞いていた。

 自然と「あはは」と笑みがこぼれる。


 本当に、最後の最後まで騒がしいことだ。

 もしかしたら、俺たちは10年後もずっとこんな調子かもしれないな。


「ま、元気でね」


 俺は振り返らぬままヒラヒラと手を振った……。









 俺たちはこの一時帰国でふたつの約束をした。


 ひとつは同じ高校へ進学すること。

 もうひとつは事務所を立ち上げること。


 そのうちの片方は、想像よりもあっさり叶うことになる。

 そして、もう片方は……。



 ――叶わないことを、このときの俺たちは知らなかった。



   *  *  *


《まったく、おーぐのヤツめ》


 俺はひとり、アパートの廊下を進んでいた。

 いや、正確には空港からここまで送り届けてくれた専属のシークレットサービスも一緒だ。


 しかし、肝心のあんぐおーぐがいない。

 数時間前までは「絶対に迎えに行く!」と張り切っていたらしいのだが……。


《まさか、寝てるだなんて》


《あら。やっぱり、起こしたほうがよかったかしら? 彼女がいないと寂しい?》


《いや、わたしは全然いいんですけどね!? ただ、あとでおーぐに文句を言われそうだなーって!》


《そういうことに、しておきましょうか》


《だからっ……、はぁ~。もういいです》


 むしろ「寝かせておいていい」と言ったのは俺なのに。

 きっと多忙で、疲れが溜まっていたのだろう。そんなところを起こすのはしのびなかった。


《っと。それじゃあ、護衛ありがとうございました。みなさんもゆっくり休んでください。日本までついて来てくださって、お疲れだと思うので》


《アタシたちも旅行を楽しんでたから気にしないで。次も楽しみにしているわ。じゃあね》


 シークレットサービスと部屋の前で別れ、俺はガチャリと扉を開けた。

 それから手探りで、パチっとリビングの電気を点け……。



「――なっ、なぁにやっとるんじゃお前はぁーーーー!?」



 俺は帰宅して早々、叫ぶハメになる。

 そこにあったのは、気持ちよさそうに眠るあんぐおーぐの姿。彼女は俺の……。



 ――下着の山に埋もれていた。



《ムニャムニャ……イロハ、いい匂い……》


 あんぐおーぐはよだれを垂らしながら、寝言をこぼしていた――。

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