第226話『天王山』
「イロハちゃん、元気になったし配信しよう配信っ」
「おわっ、あー姉ぇ!? 引っ付いてくるな!」?
数日後、すっかり元気になったあー姉ぇがリビングで俺に絡んできていた。
そんな彼女に、マイとあんぐおーぐが呆れた視線を向けている。
「なんていうか、すっかり元通りって感じだねぇ~」
「そうだナー。結局、ワタシたちの心配は杞憂だったってわけだナ」
そう、風邪も治ってあー姉ぇとの関係も元通りになっていた――
俺はダラダラと内心で汗を流していた。
「イロハちゃんっ、どうしたの~?」
「あ、あはは」
あー姉ぇがコロコロとした笑みで問いかけてくる。
俺は苦笑いでそれを誤魔化す。
マイとあんぐおーぐからは見えない場所で、あー姉ぇが俺に指を絡めてきていた。
それは、いわゆる恋人つなぎというやつで……。
「……えへへ、イロハちゃん。ちょっと恥ずかしいけど、こういうのも楽しいねっ」
ボソッとあー姉ぇが俺の耳元でささやき、頬を染めてはにかんだ。
こっそり付き合ってるカップルかっ!
な、なんだこれは!?
俺が思ってた「ふたりきりなら、甘えていい」と全然ちがうんだが!?
「ちょっとお姉ちゃんぅ~! イロハちゃんと近すぎぃ~!」
「はーいっ。もう、マイは厳しいな~」
あー姉ぇが笑って、俺から離れた。
スルリと繋いでいた手がほどかれる。彼女の熱が手から逃げていく。
「……あっ」
なぜか声がこぼれてしまった。
いや、べつに名残惜しいだなんて思ってないが!? ないったら、ないが!?
そんな俺へあー姉ぇがこっそりウインクしてくる。
まるで、「またあとでね」とでもいう風に。
「ていうかアネゴ、またイロハに怒られても知らないゾ。言っただロ、この時間帯は日本勢の配信があるっテ。うるさくしてたラ、まタ……」
「……べつに、いいけど。ちょっとくらいなら、騒がしくしても」
「「!?!?!?」」
マイとあんぐおーぐが、驚いた表情で見てくる。
それから、ずずいっと俺へ迫ってきた。
「え? な、なに?」
「いいい、イロハちゃんがデレたぁ~~~~!?」
「ど、どうしたんだオマエ!? やっぱリ、まだ熱があるんじゃないカ!?」
「なっ!? ち、ちがうから!?」
「いやぁ~、でもぉ~」
「ナ~?」
マイとあんぐおーぐが顔を見合わせて、頷き合っている。
これくらいで「デレた」とか言われるほど、俺は普段ツンケンしてないだろ!?
むしろ、ものすごーく寛大な心を持ってやってたと思うし。
うん。全部、コイツらの日頃の行いのせいだな。
「ちょっと、ふたりとも失礼じゃない!? ただ、わたしは……その、リビングっていう共有スペースで『静かにして』って強制するのも変かなって。ただ、そう思っただけで!」
うるさければ、自分の部屋に行けばいいだけだ。
あそこは静かでひとりきりなのだから。まぁどうせ、だれかがついて来るんだろうけど。
「あ、そうだイロハ。パパさんガ『風邪が治ったなら、シューティングレンジに行くのはいつがいいか教えてくれ』って言ってたゾ」
「うっ、そうだなぁ」
「シューティングレンジ?」
あー姉ぇが首を傾げる。コイツ、まだ勘違いしてたのか。
お前のせいで行くハメになったというのに。
「アネゴ、シューティングレンジっていうのはだナ~」
あんぐおーぐが説明をはじめる。
そのとき、ゾワッと非常にイヤな予感がした。
「ま、待っておーぐ! その話は……!?」
「『シューティング』って、そういう意味だったの~!? そんなの……めちゃくちゃおもしろそうじゃん!? よし、決めた! だったらせっかくだし、それも動画を撮って企画にしちゃおう!」
あー姉ぇの目がキラキラと輝いていた。
あんぐおーぐが遅れて「あっ」と声を出す。
「す、スマン、イロハ」
「いや、おーぐのせいじゃないよ。遅かれ早かれこうなってた気もするし」
それから企画の簡単な打ち合わせがはじまる。
マイも俺の予定なんかを確認してくれていて……。
「ていうか、手伝っといてもらってなんだけど、マイってこんなことしてていいの?」
「ほぇ~? なんの話ぃ~?」
「だって、今は中3の夏でしょ? 『夏は受験の天王山』『夏を制する者は受験を制す』なんて言われるくらいなんだし。アメリカで夏を過ごすのはいいとしても、勉強はしないといけないんじゃ?」
「うぐぅ~っ!?」
マイが攻撃を受けたようなジェスチャーをして、崩れ落ちた。
あっ、これ……ヤバそうだぞ?
「ででで、でもイロハちゃんだって全然勉強してないしぃ~」
「イヤ、イロハだけは絶対に参考にしちゃダメだロ」
「だ、だよねぇ~。……はぁ~。一応、学校のタブレットを持っては来てるけどぉ~」
あんぐおーぐのド正論にマイがさらにダウンする。
まぁ、俺は言語チートの影響が大きいし……仮になかったとしても、だ。
「やっぱり勉強には個人差があるからね。同じだけやったからといって、同じ成果が出るわけじゃないし」
「世の中のヤツは、イロハほどはっきり向き不向きが分かれてるわけじゃないけどナ」
「あはは……。まぁ、だからこそ学校があるっていうか。学生ってのは自分に合った学習方法とか、あるいは努力の仕方を模索する期間でもあるから」
「お~! イロハちゃん、まるで先生みたいっ! ……あっ、そうだ!」
うわ出た、あー姉ぇの「そうだ」!?
こういうときは、大抵ロクでもないことになるのだが……。
「風邪も治ったし、これから毎晩、マイとイロハちゃんは部屋でふたりきりなわけでしょ? だったら、イロハちゃんに勉強を見てもらえばいいんじゃないかなっ!」
「え」
「さしずめ、”翻訳少女イロハ”改め……”家庭教師イロハ”だねっ!」
「いいいイロハちゃんにあーんなことやこーんなことを手取り足取りぃ~!? ぜぜぜ、ぜひお願いしますぅ~、イロハちゃん先生ぇ~!」
「勝手にわたしを先生扱いするなー!?」
と叫んだものの、俺にはマイにスケジュール管理を手伝ってもらっている負い目があるわけで。
そしてなにより、発案者があー姉ぇなわけで。
結局、断り切れず俺は毎晩、マイの家庭教師をすることになった。
そのかたわらで、企画も着実に進行しており……。
* * *
……数日後。
俺はすさまじい振動と騒音に苛まれていた。
「どうしてこうなった。……いやほんと、どうしてこうなった~!?」
俺はなぜか迷彩服を纏い、
――
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