第225話『秘密のカンケイ』


 俺とあー姉ぇが揃って風邪を引いた、その日の晩のこと。


 これ以上、患者を増やしては元も子もない。

 というわけで、ベッドはそれぞれ俺とあー姉ぇが使うことになった。


 今ごろ、マイとあんぐおーぐはふたりでリビングのソファで寝ていることだろう。

 つまり、今は自室に俺ひとりなのだが……。


「うう~、眠れない」


 深夜に目が覚めてしまってから、俺はなかなか寝つけずにいた。

 部屋は自分の呼吸音さえこだましそうなほど、シンと静まり返っている。


「はぁ~。俺もずいぶんと毒されたもんだ」


 一昨日まで、寝るときもあんぐおーぐがべったりだった。

 あー姉ぇとマイが来てからは、毎日がドンチャン騒ぎ。


 だから、こんなに静かな環境というのは久しぶりで、それがなんだか逆に落ち着かなかった。

 みんながいるときは「頼むから静かにしてくれ!」と心底から願っていたのに。


 チラリと月明かりで時計を確認して、嘆息する。


「さすがにこの時間はみんな寝てるよなぁ」


 まさか、俺がこんな風に思うときが来るとは。

 こんな……だれか側にいてほしい、だなんて。


「いやいや、これはきっと気の迷いだな」


 風邪を引いて弱気になっているから、だろう。

 そういうときは人が恋しくなるもの。


「……ハッ!? まさか、そういうことか? ASMR配信ってこういうときのためにあったのか!?」


 俺はビガーン! と雷にでも打たれたような気分になる。

 だって、あれほど推しをそばに感じられる配信はほかにない。


 そして、推しがいれば悲しみを感じるヒマもない。

 さすが、VTuberはいつでも俺を答えへと導いてくれる!


「せっかくだし、ここはDL販売されていた秘蔵のシチュエーションボイスを」


 俺はそう、意気揚々とスマートフォンに手を伸ばし……。


 ――カチャリ。


 と、扉の開く音がした。

 俺はとっさに手を引っ込め、寝ているフリをした。


 危ない危ない、ギリギリセーフだ。

 あとすこし遅ければ、「なんでちゃんと休んでないんだ」と注意されてしまうところだった。


 推しにはヒーリング効果があるんだよ!

 って昔から言ってるんだけど、いまだにみんな信じてくれないからなー。


「……」


 足音が近づいてくる。

 おそらくは俺の様子を確認しに来たんだろう。


 ならば、すぐに立ち去るはず。

 長居して風邪が感染ってもいけないし。


 ここは寝たフリでやりすごして、いなくなったらASMRを堪能するとしよう。

 そう考えていたのだが……。


「っ!?」


 ギシっ、とベッドの軋む音がした。

 だれかがベッドにもぐりこんでくる。背を向けている俺に身体を重ねてくる。


「は、ぁ……」


「っ!」


 熱い吐息が首元を撫でた。

 それだけじゃない、スリスリと身体を擦り合わされている。


 え、待って?

 これってもしや、貞操の危機では!?


「イロハ、ちゃん……」


 ささやきが俺の耳元をくすぐっていた。

 ドキっと心臓が跳ねる。


「っ……、~~~~っ、~っ!」


 必死に声を抑えて耐えていたが、何分経っても立ち去ってくれない。

 ……も、もう限界だ!



「こ、こんのっ――人の寝込み襲ってんじゃねえええ!」



「ひゃえっ!?」


 ガバッと身体を起こし、抱き着いてきていたその人物を組み伏せた。

 暗闇の中、俺はその人物を見下ろす。


 月明かりが照らし出したのは、顔を真っ赤に染めた……あー姉ぇだった。


「いったい、なーにやってるのかなー? あー姉ぇ?」


「えっ、あっ!? やっ、これはちがくて!? というかイロハちゃん、いつから起きて!?」


「最初から」


「だ、騙したの~っ!?」


 騙すとはなんだ、人聞きの悪い。

 まったく、マイやあんぐおーぐでも寝込みを襲うことまではしなかったぞ。


 ……非常に残念だ。まさか身内から犯罪者が出てしまうとは。

 彼女にはきちんと反省してもらわないと。


「なにをしようとしてたのか、正直に言って」


「い、イロハちゃん……顔、近っ」


「言って」


「そ、それはその……」



「――部屋でひとりが心細くて甘えてたの~っ!」



「そうでしょう、そうでしょう。寝込みを襲おうと……ん? あれっ!?」


「ね、ねねね寝込み、襲っ!?」


 あー姉ぇは顔を真っ赤にして、アワアワとしていた。

 すさまじくウブな反応だった。


「ええっと、じゃあ身体を撫でまわしてきてたのは?」


「ほぇっ!? それは、その……寝やすい姿勢を探してて」


 ジーっと反応を見るが……。

 どうにも、本当にちがうっぽいぞ?


「ご、ごめん、あー姉ぇ。わたしの心が汚かったみたい」


 というか全部、マイとあんぐおーぐのせいだな! うん!

 彼女らのせいで、ついそっち方面・・・・・だと誤解してしまった。


 けど、そうか。

 あー姉ぇも俺と同じだったのか。


「……いいよ」


「へ?」


 だれにだって、たまにはそういう気分の日がある。

 いつも天真爛漫なあー姉ぇだからこそ、その反動も大きいのかもしれない。だから……。


「いいよ、わたしに甘えても。ただし……」



「――ふたりっきり・・・・・・のときだけ、ね?」



「!?!?!?」


 あー姉ぇにそうささやいてやる。

 さすがに、昨日みたいなことをマイやあんぐおーぐの前でされると、また誤解・・されて面倒なことになりかねないし……俺も含めて。


 だから、ふたりきりのときだけ。

 そういう意味で言ったのだが……。


「ふ、ふたりきり!? あ、あわわっ……キュウウン」


「あー姉ぇ? あー姉ぇえええ~!?」


 あー姉ぇが目を回していた。

 な、なんで急に!? やっぱりまだ体調が……!?


 ドアが開けっぱなしになっていたおかげで、俺の叫びが届いたらしい。

 ドタバタとふたり分の足音が近づいてきた。


「イロハちゃんぅ~!? どどど、どうかしたのぉ~!?」


「イロハ、いったいなにがあっタ!?」


 マイとあんぐおーぐが現れ、そして固まった。

 俺は慌てて助けを求める。


「マイ、おーぐ! よかった来てくれて! じつは、あー姉ぇが急に気を失って!」


「……なんで、お姉ちゃんがイロハちゃんの部屋にいるのぉ~?」


「……というカ、なんでオマエはアネゴを組み敷いてるんダ?」


「あっ」


「イロハちゃんぅ~?」「イ~ロ~ハ~?」


「落ち着け。わたしは病人……ぎゃぁあああ~!?」


 その騒ぎは夜遅くまで続いた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る