第223話『インデペンデンス・デイ』


 俺は夜闇の中、あー姉ぇに覆いかぶさっていた。


「え、えっと。どうかしたの?」


「バカっ! 頭を上げるな!」


 まだ、彼女は自分に命の危機が迫っていることがわかっていないらしい。

 無防備に身体を起こそうとしたあー姉ぇを、俺はグッと地面に押さえつけた。


 彼女の反応は苛立ちを覚えそうなほどに鈍かった。

 だが、それを責めることはできない。


 だって俺が最初、発砲に居合わせたときの反応もこんなものだったから。

 日本で生きてきた以上、銃の恐怖は”知らなくて普通”なのだ。


「あー姉ぇ、わたしの言うとおりにして。わかった?」


「……は、はひ」


 俺は至近距離からあー姉ぇをまっすぐに見つめて、告げる。

 最悪、自分がどうなったっていい……推しだけは、必ず守り抜く。


 状況はわからずとも、そんな真剣な思いは通じたらしい。

 彼女はコクコクと頷いてくれた。


 俺はホッとして、少しだけ笑みをこぼす。


「ありがとう。あー姉ぇは、わたしが必ず守るよ」


「……っ!」


 あー姉ぇがなぜか、ドキッと身体を跳ねさせていた。

 それよりも……考えろ。


 発砲音はいったいどちらから聞こえた?

 ……ダメだ、思い出せない。


 完全に油断していた。

 まったく、「このあたりは治安がいい」って話はどうなったんだよ!


 撃ったやつの目的は?

 相手はまだ近くにいるのか?


「時間を稼がないと」


 俺たちに必要なのはほんの数分だけ。

 それさえ乗り越えれば、近くに控えているシークレットサービスが解決してくれるはずだから。


 だから、大事なのは今どうするか。

 俺は耳をすます。


 ……次の発砲音や、周囲に足音は聞こえない。

 俺は決断した。


「あー姉ぇ、合図したら移動するから」


「う、うん」


「3……2……1……、今! こっち!」


 あー姉ぇの腕を引いて立ち上がり、そのままふたりで走り出す。

 建物の陰へと滑り込んだ。


「はぁっ、はぁっ……」


 荒い息を吐きながら、俺はあー姉ぇをグイっと壁に押しつけ、しゃがむように隠れる。

 彼女を覆い隠すように、自分の身体を密着させる。


 もし発砲されたとしても、なるべく彼女には当たらないように。

 ただ、俺と彼女では体格の差が大きく……こんなときばかりは、小さなこの身が恨めしい。


「あ、あのイロハちゃん」


「黙って。このまま動かず、ジッとして」


「ひゃ、ひゃいっ……」


 息を潜める。俺は神経を張り詰めさせていた。

 そして……。


 ――パン!


 2度目のそれが聞こえたのは、俺たちの背後からだった。

 同時にマズルフラッシュだろう閃光が瞬いていた。


「しまっ……!?」


 どうやら俺は犯人から逃げるつもりで、逆に近づいてしまったらしい。

 俺はハッと振り返り、音の発生源へと視線を向けた。



 ――夜空に、一輪の花が咲いていた。



 ていうか、花火だった。

 俺はそれをポカンと眺めていた。


「ん? んんん!? あれ、もしかしてさっきまでの全部……」


 俺の勘違いぃ~!?

 いやいや、でもアメリカで花火なんて今まで一度も見たことがないぞ!?


 だれだって、こんなの発砲音と勘違いするに決まってる。

 今ごろ、シークレットサービスだって大慌てのはず……。


「……」


 しかし、待てど暮らせどだれも来ない。

 ということはもしかして、本当に……?


「あぁっ!?」


 まさか、そういうことか?

 あんぐおーぐが言っていた「今日しかできないことがある」って……。


 それってもしかして、1年で独立記念日だけは花火をしてもいいってことなのでは!?

 銃声と誤解しかねないから、普段は禁止されているが……今日だけはそれができる、ということなのでは!?


 耳をすましていると、娘ちゃんのきゃっきゃという声が聞こえてきた。


《ちょっと、アナタ。もうはじめちゃってたの?》


《あぁ、すまない。この子が「どうしても」って聞かなくて、数発だけ先にね》


《まだイロハちゃんたちが戻っていないでしょう? 甘やかしちゃダメよ》


 そんなパパさん夫婦の会話も聞こえてきた。

 その間も、夜空にパンッ、パンッと小さな打ち上げ花火が断続的に咲いている。


 そういえば手持ち花火が主流なのは日本だけなんだっけ?

 海外じゃあ、個人でやるときも打ち上げ花火が基本だと聞いたことがあるような。


「はぁ~、なーんだ! ごめん、あー姉ぇ。わたしの勘違いだったみた、い……」


 そう向き合ってから気づいた。

 あー姉ぇが潤んだ瞳でこちらに視線を向けていた。


 手はギュッと胸元で握りしめられ、その肩は小さく震えている。

 ……ちょっと考えて、俺は今の状況を整理した。


 俺は彼女を壁に押さえつけ、逃げられないように覆いかぶさっている。

 というか、まるで壁ドンみたいな構図だ。


「……あ、あれっ?」


 ひとことで表すとそれは、なんというか。

 まるで俺があー姉ぇに、強引にキスを迫っているようにしか見えなくて……。


「ご、ごめんっ、あー姉ぇ! そんなつもりじゃっ!?」


 慌てて身体を離そうとしたが、あー姉ぇの手がきゅっと服の裾を掴んでいた。

 中腰になっている俺を、彼女が見上げながら言う。


「い、いいよ……イロハちゃんに、なら」


「えっ」


 言って、あー姉ぇはゆっくりと目を閉じた。

 彼女のおとがいがまるでせがむように、ツンと突き出されていた。


 服の裾を摘まんでいないほうの手は、やさしく俺の胸元に添えられていた。

 熱い……彼女の体温がその触れた部分を通して伝わってくる。


 花火がパン! と咲いた。

 鮮やかな光が、あー姉ぇの赤らんだ顔を照らす。


「……あー、姉ぇ」


 あー姉ぇは驚くほどに美しく、そして健気だった。

 やけに自分の呼吸音や、心臓の音がうるさかった――。

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