第221話『ラビットホールに落ちるな』


 仲睦まじいアメリカ人夫婦を見ながら思う。

 これがカルチャーギャップか、と。


《アメリカ人ってそういうの、人前だとか気にしないよね》


《そうだな。日本と比べると、みんな開けっぴろげだ。……ワタシも子供のころ、友だちの家に遊びに行ったら、となりの部屋から”真っ最中”の音が聞こえてくることあったし》


《うぇっ!?》


《しかも事後、タオル1枚で平然と室内を歩き回ってたぞ。さすがにアレはちょっと面食らったけどな》


 あんぐおーぐがすこし恥ずかしかしそうに言っている。

 そ、それは……いいのか?


《そういうのって、子どもがいないタイミングでするんじゃないの?》


《うーん。けど、いないタイミングっていつだ?》


《えーっと》


 言われてみると、世の子どもがいるご家庭はどのタイミングで子作りをしているんだろう?

 仕事が終わるより学校が終わるほうが早いだろうし、休日も……。


《アメリカじゃあ、子どもだけで遊びに行くことってまずないからな》


《……言われてみると》


《イロハちゃん、逆に日本の夫婦はいつイチャイチャするんだい?》


《えっ!? えーっと、いつですかね? ……ら、ラブホテルに行ったときとか?》


《ラブホテル?》


《えっと、そういうことをする専用の部屋があって、そこを借りてとか》


《そんなのがあるのかい? 日本人は天才だな! ボクたちも日本に行く機会があったら、ぜひ利用しよう》


 子どもの前で堂々とそういう話をするなよ!?

 とツッコみたいところだが、この場にいるのは成人だけだし……まぁいいか。


 しかし本当に、子作りやそれに関する話題を”センシティブ”だとは感じていないんだな。

 そもそも、センシティブという表現が正しいかもわからないが


 ただ、なんとなく……日本のほうが圧倒的に少子化の早い理由が、わかった気がしなくもない。

 というか今、イヤなことに気づいてしまった。


 そういえば日本って、土曜日授業がなくなった時期と少子化が加速した時期が一致しているような……。

 いや、これ以上を考えるのはやめておこう。


《じゃあ、現実的には子どもが寝たあと、なのかな?》


《かもなー。ワタシも物心つくころには、部屋にひとりで寝かされてたし》


《さすが、おーぐママは厳しいね》


《べつに普通じゃないかい? うちの娘もとっくにひとり寝させているよ。いつまでも親と一緒に寝ていたら、子どもの自立心が育たず良くないからね》


《なるほど、そういう考えかたもあるんですか》


 これもまたカルチャーギャップだな。

 日本だとむしろ、親子で川の字になって寝ることが良いとされているし。


《まぁ、本当のところはなにが正しいのかわからないけれどね》


 自立か愛着か、どちらも一長一短だ。

 もしかしたら、アメリカにはホームレスが多く、日本にはひきこもりが多いっていう差も……案外、こういうところからきているのかもしれない。


《結局は自分がなにを選ぶのか、よ。アタシもダンナに酒は禁止させてるけど、大麻マリファナは許してるし》


《え゛っ》


《お酒は人に迷惑をかけちゃうけど、マリファナなら自分のストレス発散になるだけでしょう? アルコールより依存性も低いし。もちろん、なにごともやりすぎはダメだけれどね?》


 そっか、こっちじゃ合法だもんな。

 日本人である俺としてはどうしても、ドラッグという名前だけでひどく恐ろしいもののように感じてしまうが。


《けど、イロハは――”ラビットホールに落ちるな”よ》


《うん?》


《足を踏み外すなよ、って意味だ。こっちのハイスクールで誘われても、吸うなよ》


《あはは、吸わない吸わない》


《ま、だろうな。オマエはそういうの興味ないだろうし。というか、海外だろうと日本人が大麻を吸うのは違法だしな。日本の法律が適用されるから》


《えっ、そうなの!?》


《あぁ。だから、海外だからってハメを外しすぎるなよ》


《了解。まぁわたしは推しのぬいぐるみに、推しの出している香水をつけて吸ってるし。そっちのほうが100万倍キマるから……大麻を吸うことはないかな!》


《それはそれでどうなんだ!?》


《なるほど、日本人は”萌え”を吸うのか。やはりクレイジー……》


《オイ、イロハ!? オマエのせいで日本がすさまじい誤解を受けてるんだが!?》


 たしかに、アレもやりすぎるとダメになるもんなー。

 うん。やっぱり、なにごともほどほどが一番だよな! 


《でも、このあたりは治安もいいし、学校でそんな誘いをされることも少ないだろうけどね。ここは本当にいいところだよ。多少、値は張るが、金で安全を買えるなら安いもんだ》


《アタシたちが一軒家を買った場所は、ちょっと失敗だったものね》


《そういえば、家族でアパート住みって珍しいよな》


《そうなの?》


《あぁ。たしかに、ここのアパートの部屋はかなり広いけどな。でも、アメリカじゃあひとり暮らしでも一軒家に住んでる人のほうが多いんじゃないか?》


 アメリカって本当に大きいな。

 そう聞くと、たしかにパパさんたちはレアケースだ。


《なにかあったのか?》


《じつは、家を買ったあとで、近くにギャングが増えてしまってね》


《そういうのって本当にあるんですね》


《まぁ、運が悪かったね。家が売れ次第、新しい一軒家を買って引っ越す予定だよ》


《そうだ、アナタ。それで思い出したんだけれど、今度、アタシをシューティングレンジに連れて行ってくれない? そろそろ、練習しておきたくって》


《あぁ、そうだね。ここは安全だが、次またどうなるかもわからないし》


 そんなやり取りを聞いて、俺は目からウロコが落ちた。

 そっか。当たり前だけど、アメリカ人ならだれでも銃をうまく扱えるわけじゃないんだ。


《いざというときに、銃の撃ちかたを忘れていて子どもを守れませんでした、なんてのはゴメンだもの》


 シューティングレンジを俺は”趣味”の領分だと思っていたのだが、必ずしもそうではないらしい。

 自衛のための、いわば予行演習の場でもあるようだ。


 日本では地震に備えて、防犯グッズを用意して、避難訓練を行う。

 同様に、アメリカでは強盗に対抗するため、銃を用意して、射撃訓練を行うのだろう。


《ん? もしかして興味があるのかい? よければ今度、キミたちも一緒に来るかい?》


 誘われて気づく。

 そういえば俺、アメリカにいるのに射撃って一度もやったことなかったな。

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