第220話『「いってきます」のキス』
「イロハちゃんぅ~、助けてぇ~!」
「マイ」
「イロハちゃん……!」
「犬が人間の言葉を使っちゃダメでしょ」
「うぇえええ~!?」
子どもに付き合ってやるのも俺たち大人の仕事だろう。
まぁ、俺の場合はべつに犬だろうが言葉がわかるのだけれど。
「くぅ~ん! くぅ~ん!」
「……あー。おーよしよし」
「!?!?!?」
鳴いているマイの頭をワシワシと撫でてやる。
役割どおり犬扱いしただけなのだが、なぜかマイが興奮し出す。
「きゅぅ~ん、ごろごろぉ~。……うぇへへぇ~。マイ、イロハちゃんの犬にならなってもいいかもぉ~」
ボソッと言ったマイに「それでいいのか」と呆れる。
と、俺の服の裾をちまっとつまんで、恥ずかし気にあー姉ぇが言ってきた。
「だ、ダーリン……」
「え、えっと……ハイ、ハニー」
「「……」」
思わず、ジッと見つめ合ってしまう。
《パパとママ、ラブラブだ~!》
《ちっ、ちがっ!?》
俺まで恥ずかしくなってしまって、バッと顔を逸らした。
クソッ……なんだこれは。相手はあのガサツなあー姉ぇなのに!
《ママはね~、ごはんをつくるんだよ~。はいっ》
「ええっと、これでいいかなー?」
あー姉ぇが渡されたおままごと道具片手に、料理のフリをする。
演技でよかった、本当に。
俺も一度、バレンタインデーにあー姉ぇの手作りを食べて地獄を見ているからな。
もしも彼女の旦那になったら、きっと毎日大変……。
「って、いやいや」
さっきから、あきらかに思考がおかしな方向へと流されている。
あー姉ぇが変なせいで、こっちまで調子がくるってきた。
「ごはんできたよー。……は、はいダーリン。あーん」
「あ、あーん」
「わ、わんぅ~!? わぅ~ん!」
マイが必死に吠えて、俺たちの妨害をしようとしている。
だが娘ちゃんの要望だから仕方ない。
それにこれはあくまで演技……。
ただの演技だから……。
《パパはねー、ごはんをたべたらおしごとにいくんだよー》
《ほっ。そ、そっか~。じゃあ、いってきまーす》
これでようやく解放される。
そう思ったとき、娘ちゃんが特大の爆弾をぶっこんだ。
《こら、ダメでしょパパ! まだ「いってきます」のチューしてないでしょ!》
《ちゅ、ちゅう~!?》
「ど、どうかしたのイロハちゃ……ダーリン? その、キスって聞こえてきたんだけど」
「えっ、あっ、やっ!? そ、それは」
「わ、わんぅ~~~~!?」
「キス」と聞いてマイも慌てだす。
な、なんでこんなことに!?
《はーやーくー!》
ぐいぐいと娘ちゃんに背中を押され、あー姉ぇと向き合う。
あー姉ぇも顔を真っ赤にして、アタフタとしていた。
「いったい、どうすれば……って、あーもう!」
ガシガシと髪をかいて、あー姉ぇを正面から見据える。
なんか1周まわって腹が立ってきた。
なんで俺がVTuber以外のことで、こんなに脳のリソースを割かなくちゃいけないんだ。
これはただのおままごとなんだから、悩んでいるほうが変だろ。
「あー姉ぇ、動くなよ」
「ひゃ、ひゃいっ……んぐっ!?」
俺はあー姉ぇの襟元を掴むと、グイっと引き下ろした。
不意打ちだったからか、あっさりと彼女の顔が接近してきて……。
――ちゅっ。
「ぎゃわぉ~~~~ん!?」
マイの悲鳴がアメリカの空に響いた。
俺は用が済んだあー姉ぇを、トンっと押し返した。
「なっ、なっ……!?」
彼女はたたらを踏むと、ヘロヘロと腰から崩れ落ちた。
真っ赤な顔で、ぽけーっと自分の口元を押さえている。
俺は自分の口元を拭いながら、娘ちゃんに言う。
《これでいいでしょ?》
《うん! パパ、かっこよかった~! いってらっしゃ~い! あと犬、うるさい》
娘ちゃんからオーケーをもらって、俺はその場をあとにした。
そのままおままごとから離脱して、パパさんたちのいるテーブルへと戻る。
《うぅ~、疲れた~》
《すまないね、うちの娘の相手をしてもらって》
《というかオマエら、なにやってたんだ? 急にマイが叫びだすから、ビックリしたぞ》
《ん? あ~……娘ちゃんに、ちょっとファンサービスをね》
俺はそう言って「ちゅっ」と口先で音を鳴らして、投げキッスをして見せる。
考えてみれば、おままごとなんだから本気でキスする必要もない。
だから、さっきのもあー姉ぇの顔の近くでキスのマネをしただけ。
まぁ、まわりから……とくに犬のフリで、しゃがんでいたマイからどう見えていたかは知らないが。
《ふぅん? よくわかんないけど、それよりバーベキューについて……》
《おい、話を流すな》
バーベキューについてあんぐおーぐが語りはじめる。
こいつ、こっちの苦労も知らないで肉に夢中になってやがるな?
《おーぐ……次、娘ちゃんに呼ばれたらときは、そっちの番だからね》
恨みがましい視線を向け、飲みかけだったジュースに口をつけた。
と、そういえばパパさんも同じものを飲んでいたな。
《パパさんは、お酒を飲まないんですか?》
《イロハ、アメリカじゃあ公共の場での飲酒は違法だぞ》
《あ、そっか》
お花見しながら、あるいはビーチでお酒を飲めるのは日本特有。
かと思いきや、パパさんが「いや」と否定する。
《一応、ここのバーベキューエリアはプライベートに入るから、飲酒してもいいそうだよ。ただ、ウチの妻が酒に厳しくてね。尻に敷かれているボクはいいなりってわけさ》
《ちょっと。それじゃあ、まるでアタシが恐いみたいじゃないの》
《おっと、ウチの妻は地獄耳でもあるんだった》
《はぁ~。そんなこというと、このポテトサラダはあげないわよ》
《もちろん、ジョークさ。愛してるよ、マイワイフ》
《アタシもよ》
べつのテーブルでサイドディッシュを作っていた奥さんが、大皿を持って現れる。
ふたりは俺たちの目も気にせず、仲直りのキスをしていた。
《イロハ、ワタシたちもケンカしたときは次から……》
《だまらっしゃい》
これを見て娘ちゃんは育ったわけか。
どうりで、と俺は納得した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます