第218話『バーベキュー日和』


「おっはっよ~~~~!」


 バンっ! と勢いよく扉が開き、あー姉ぇが現れた。

 リビングで雑談していた俺たちは彼女に視線を向ける。


「いやー、最っ高のアメリカの朝だね! にしても、みんなもう起きてただなんて! 早~い!」


「”およう”の間違いだロ」


「まったく、お姉ちゃんがお寝坊なだけでしょぉ~?」


「え~!? そんなことないと思うけどな~? だってほら、まだギリギリ午前だし! セーフ! 早起きできてエラい、あたし!」


 あー姉ぇは寝起きからハイテンションだった。

 なんというか……いつもどおりだな。


 マイとあんぐおーぐはそんな彼女の様子を伺いつつ、小声でやり取りをしていた。

 ずいぶんと真剣な様子だ。


 内容はあー姉ぇについてらしい。

 つい聞こえて・・・・きてしまう。


『アネゴのヤツ、いつもどおりに見えるガ?』


『うぅ~ん。まだ判断は早いかなぁ~?』


 たしかに昨日のがウソみたいに普通だよな。

 肩透かしを食らいつつ、俺もあー姉ぇにあいさつを投げかけた。


「あー姉ぇ、おはよー。時差の影響もあるだろうけど、ちゃんと起きたほうがいいよー。ここで慣らしておかないと、あとがキツいから」


「えっ、あっ、イロハちゃん!? お、おはよう。その、えっと……う、うん。わかった」


 あー姉ぇはボソボソと言葉尻を小さくし、俯いてしまう。

 気まずい沈黙がリビングに満ちた。


『全然、戻ってねーじゃねーカ!? マイ、やっぱりアネゴのヤツ……』


『お姉ちゃんにかぎってそんなぁ~!?』


『ハァ、まったク。厄介なことになったゾ。それもこれモ……』


 まるで責任を押しつけあうように、ひそひそと口論している。

 そんな会話が聞こえ・・・て……「あっ」と気づいた。


 そういえば俺、ふたりに「”読唇”できる」って教えたことあったっけ?

 一応、忠告しておいたほうがいいかも。


「あの~、ふたりとも。もし秘密の話だったら、わたしの視界に入らないように……」



『けどまさか、あのお姉ちゃんが――イロハちゃんに恋しちゃうだなんてぇ~!?』



 んんん~~~~!?!?!?

 俺はバッとあー姉ぇに振り返った。目が合うと、ポっと彼女の頬は赤く染まった。


「ン? イロハ、オマエ今なにか言おうとしたカ?」


「な、なななんでもないよ!?」


「……そうカ?」


 いやいやいや、そんなのありえないだろ!?

 だって、相手はあのあー姉ぇだぞ!?


 けど、あの潤んだ熱っぽい視線……。

 考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってきた。


 滝のように変な汗が噴き出してくる。

 しおらしいと楽だなぁ、なんて言ってる場合じゃなかったー!?


『うぅ~ん。やっぱり今は、もうちょっと様子を見るしかないかもぉ~』


『そうだナ。それニ、そろそろはじめないと時間が足りなくなりそうだシ』


『んんぅ~? なにかする予定なのぉ~?』


 あんぐおーぐは「フッフッフ」と不敵な笑みを浮かべた。

 それから巨大な冷蔵庫の前に立った。


「よく聞ケ、オマエら! せっかくのイベント日だかラ、料理にも気合を入れるゾ! ちょうド、みんなも揃っていることだシ……今日ハ、ワタシがオマエらに本場のバーベキューを教えてやル!」


 開け放たれた冷蔵庫の中には、たっぷりの肉類が詰まっていた。

 マイとあー姉ぇが「おぉ~」と感嘆の声を上げる。


 俺は決めた。

 ……よし! とりあえず、さっきのは聞かなかったことにしよう!


「でもおーぐ、バーベキューってどこでやるの?」


「忘れたのかイロハ? このアパートには共用のバーベキューエリアがあるだロ?」


「あっ、そういえば」


 グリルやテーブルが備えつけになっていた。

 ほかにもジムやプールもあるのだが、使わなさすぎて存在を忘れていた。


「作るのには時間がかかるからナ。すぐにはじめるゾ! オぉー!」


 いつもはインドアなあんぐおーぐが、今回ばかりは張り切っていた。

 もしかしたら、長らく食べてなくてバーベキューに飢えていたのかもしれない。


 あの彼女ですらこうなるとは……。

 アメリカ人のバーベキュー好きは本物らしい。


「じゃあ、お昼ご飯はバーベキューだねー」


「ナニ言ってるんダ? 晩ご飯に決まってるだロ?」


「……えっ」


 いやいや、きっとなにかの聞き間違えだろう。

 いつもズボラ飯しか作っていないあんぐおーぐが、まさかそんな。


「あの~、おーぐ? ちなみにそのバーベキューって、作るのに何時間かかる想定?」


「ン~。まぁだいたイ……」



「――”5時間”くらいだナ!」



 俺は逃げ出した。

 しかし、回り込まれてしまった。


 勢い余って、あんぐおーぐの胸元にぽふんっとぶつかってしまう。

 逃がさない、とばかりに彼女がぎゅーっと抱き絞めてくる。


「イロハ~、これから楽しくなるゾ~!」


「ぴ、ぴえっ……」


 恐怖のあまり、俺ののどから変な声が漏れた。

 こんなにうれしくないハグは人生ではじめてだった――。


   *  *  *


 俺たちはそれぞれ、食材や調理器具を両手に抱えて部屋を出た。


 結局、あんぐおーぐに押し切られてしまった。

 アメリカ人のバーベキューに対する情熱、いったいどうなってるんだ……。


《あっ》


 と、ちょうどそこで、アパートのほかの住人と鉢合わせる。

 進行方向が同じなので、歩きながらあいさつを交わす。


《こんにちはー》


《やぁ、イロハちゃんたち。今日はずいぶんとにぎやかだね》


「イロハちゃん、お知り合いぃ~?」


「そうそう、同じくこのアパートに住んでるパパさん」


 巨躯の男性を前に、マイは俺の背中にすこし隠れながら尋ねてくる。

 こっちの人ってみんな大きいから、初対面だと怯んじゃうのわかるなー。


「ちょっと意外かもぉ~。イロハちゃんもそういう、ご近所付きあいしてるんだねぇ~」


「うーん、そういうわけでもないんだけど。ほら、アメリカだと人とすれちがったとき、あいさつしないほうが不自然になっちゃうから」


 さらにいえば、こっちでいうところの”あいさつ”とは軽い雑談のことだ。

 必然的に、多少は仲良くもなる。


《そちらは日本から来たお友だちかな?》


「わーお! グレートビッグメーン! ハロー!」


「オイっ、アネゴ!?」


 あー姉ぇが思ったことをストレートに口にしていた。

 どうやら平常運転に戻った様子だ。俺が声をかけないかぎりはいつもどおりらしい。


《す、スマン。うちのアネゴが……》


《はっはっは、気にしてないさ! ”独立記念日おめでとうハッピー・フォース”》


《あぁ、”ハッピー・フォース”だな》


 そうか、今日は7月”4日”だから……。

 あんぐおーぐたちはアメリカ人同士、今日限定のあいさつを交わしていた。


《ところで、キミたちが運んでいるそれって?》


《あぁ、今日はそこのバーベキューエリアで料理をしようと思って》


《そうだったのかい? それはまいったなぁ》


 アパートのエントランスを抜けて外に出る。

 バーベキューエリアが視界に入って、気づく。


《じつはちょうど今、ボクたち一家も利用していて》


 すでにバーベキューグリルからは煙が上がっていた。

 彼の奥さんと子どもが楽しそうに準備をしている真っ最中だった。


《そうだ、せっかくだし……キミたちも一緒にどうだい?》


 唐突に異文化交流会がはじまろうとしていた――。

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