第217話『恋の三叉路』


「どうしたの、あー姉ぇ? そんな、しおらしくして。なんか変だよ?」


「ふぇっ!? そそそ、そんなことないけど!?」


「というか重い」


 いつまでも俺に覆いかぶさっているあー姉ぇを、押し返す。

 彼女はバッと跳ねるように身体を起こして、なぜか地面に正座した。


「アネゴ、大丈夫カ!?」


「お姉ちゃん、無事ぃ~っ!? イロハちゃんも巻き込まれてないぃ~!?」


 事態に気づいて、あんぐおーぐとマイも駆け寄ってくる。

 それから様子のおかしいあー姉ぇを見て、ふたりも首を傾げた。


「アネゴはいったいどうしたんダ?」


「さぁ? わたしにもわかんない。事故に遭いかけてビックリしたのかも?」


「うぅ~ん、お姉ちゃんはそんなタマじゃないと思うけどなぁ~」


「みみみ、みんなこそどうしたの!? べつにあたしは普通だけどっ!?」


 俺たちは顔を見合わせて頷いた。

 「やっぱりおかしい」と。


「イヤ、今はそれよりモ……なんださっきの車ハ! 絶対に許せないゾ!」


 同感だ。あきらかな危険運転だった。

 だが……。


「あー姉ぇもあー姉ぇだよ! ちゃんと確認してから渡らないと危ないでしょ!?」


 俺はそう、さっきの説教の続きをする。

 たしかに、歩行者信号が青であること確認して渡っていた。だが、それだけでは不十分。


「車道のほうをチェックしてなかったでしょ? 忘れたの? アメリカじゃあ――”赤信号でも右折できる”んだよ!? わたしが気づいてなかったら、どうなっていたことか! ……本当に無事でよかった」


「……ご、ごめんなさい」


「お姉ちゃんが普通に謝ってるぅ~っ!?」


 シュンとしたあー姉ぇを見て、マイが愕然としていた。

 俺も、こうも素直だと調子が狂う。


 叱ったこっちが罪悪感を覚え……ん?

 ちょんちょん、とあんぐおーぐに袖を引っ張られて、振り返る。


「イロハ、ちょっと待テ。たしかにそのとおりなんだガ、1個訂正ダ」


「訂正ってなにを?」


「たしかにアメリカじゃア、赤信号でも自動車は右折してイイ。だガ、一部例外があるんダ。それがまさに今、ワタシたちがいるこのニューヨークダ。この街じゃあ赤信号での右折が禁止されてル」


「えっ、そうだったの!?」


「ハァ~。こういう……言語や、VTuberに関係ない知識でなラ、簡単に勝てるんだけどナ」


 あんぐおーぐはそう嘆息しつつ言う。

 それは仕方ないだろう。だれだって自分の興味がわかないことは覚えられないもんだ。


「でも、てことは」


「そうダ、今の車は普通に信号無視ダ。フフフ、このワタシを怒らせてタダで済むと思うなヨ?」


「うわぁ~」


 俺はあんぐおーぐの笑みに大統領の面影を見た。

 あの親にしてこの子あり、か。この親子だけは絶対に敵に回したくないな。


 だが、今ばかりは頼もしい。

 俺も推しのひとりが危険にさらされて、かなり頭に来ていた。


「オイ、オマエら。さっきの車ノ……」


 そう、あんぐおーぐがシークレットサービスたちに指示を出しに行く。

 すでに人数が減っているところを見るに、何人かが追跡しているのかも。


 さっきの運転手も自業自得とはいえ、相手が悪かったな。

 ご愁傷さまだ。


「ごめん。あー姉ぇは悪くなかったみたい」


「う、ううん。今、叱ってくれなかったら、ほかで同じ失敗をしてたかもだし。こっちこそありがとうっていうか。え、えへへ……」


「ヒぃ~っ!? お、お姉ちゃんが素直すぎて気持ち悪いぃ~!」


 マイがもはや恐怖さえ滲ませて声で叫んでいた。

 俺も違和感しかない、のだが……ふと気づく。


 あれ? べつにあー姉ぇが大人しくたってなにも困らないのでは?

 というかむしろ、トラブルがなくて都合がいいのでは?


「……よしっ! ほら、あー姉ぇ。雨の中、いつまで地面に座ってるの?」


 あー姉ぇに手を差し伸べる。

 彼女は「う、うん」と頷きながらも、なぜかなかなか手を掴んでこない。


「あーもう、遅い!」


 俺は半ば強引に、ガシッとあー姉ぇの手を掴んで引っ張った。

 男らしい行動……といっても、実際には筋力が足りないので、ポーズだけなのだが。


 しかし、その行動がまたなにか彼女の琴線に触れたらしい。


「は、はいっ……」


 あー姉ぇは顔を真っ赤にして俯いていた。

 わからない。よくはわからないが……これはいける!


 彼女がいきなりこうなった理由は不明だ。

 だが、これからのアメリカ生活、もしや俺の平穏を守り切れるのでは!?


「飛行機の時間もあるし、そろそろ帰ろっか。ほら行くよ、あー姉ぇ」


「う、うん」


 俺はあー姉ぇの手をグイっと引っ張って歩き出す。

 あー姉ぇはコクリと恥ずかしがるように頷き、ついて来る。


「……まさか。いやでも、お姉ちゃんにかぎって……うぅ~ん」


 そんなあー姉ぇの様子をマイはじぃ~っと観察していた――。


   *  *  *


 そして、翌日。

 独立記念日の朝が訪れていた。


「んんっ……、まぶしい」


 陽ざしが顔にかかって目が覚める。

 窓の外は、予報どおりの快晴だった。


「って、うわっ!? なにこのカオスな状況!?」


 のそりと身体を起こし、あたりを見渡して気づく。

 俺の部屋のベッドに、全員が転がっていた。


「あぁ、いや。そうだった。昨日は帰ったあと……」


 国内とはいえ、アメリカは巨大だ。

 帰宅したのは夜遅く。というか、もはや明けがただった。


 一応、飛行機の中でも眠ったが、それで十分に疲れが取れるわけもなし。

 さすがのあー姉ぇも日本からアメリカ、さらに国内線での往復は堪えたらしい。


 俺たちは崩れ落ちるように、みんな仲良く同じベッドで眠ってしまった。

 まったく、これじゃあ部屋割りした意味がな……うん?


「って、みんな仲良く・・・・・・!?」


 俺は驚きのまなざしをあー姉ぇへと向ける。

 あの寝相が最悪……いや、災厄レベルの彼女がスヤスヤと静かに寝息を立てていた。

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