第201話『インターバル』
《つ~か~れ~た~》
俺はボフッと自宅のソファに倒れ込んだ。
その脇にあんぐおーぐが座り、頭を撫でてくる。
《イロハ、”おつかれーたー”だな》
《本当にだよ。結局、なんだかんだ4時間くらいかかったし》
ギネス記録の審査1日目は無事に終了した。
進行自体は非常にスムーズだったし、とくに詰まるところもなかったのだが……それでも、これだ。
《けど、本当にすごいなオマエ。今日だけでいったい何ヶ国語しゃべったんだ?》
《30ヶ国語だね。正直、ちょっとカウントするのがズルいような言語もあったけど》
《ズル?》
《たとえば、インドネシア語とマレー語とか、だね。このふたつって、ほとんど違いがないんだよ》
《へぇ~》
それこそ、インドネシア人が使ったらインドネシア語になるし、マレーシア人が使ったらマレー語になる、といわれるほど。
そのままで普通に通じてしまう。
《正直、方言にもほど近い。まぁ、それを言い出すと、そもそも言語と方言に差なんてないんだけど》
《えっ、そうなのか?》
《そうだねー。一般的には、相互理解――50%以上伝わるかどうかが言語と方言の境界だ、なんて言われるけど……そのあたりって明確な基準があるわけじゃなくて、グラデーションだし》
それに今の理屈で行くと、インドネシア語とマレー語は方言という扱いになってしまう。
だが、現実はそうなってはいない。
一方で日本語における津軽弁は、ほとんどの日本人に伝わらない。
フランス語しゃべってるの? と勘違いされてしまうありさま。
なのにべつの言語ではなく方言という扱いになっている。
だからかもしれないな、ユネスコで言語と方言が区別されていないのは。
ほかにも使用者の数が多いなら言語で、少なければ方言だとか……。
ようするに「諸説ある」ってやつだ。
《ただ、最近は世界から方言そのものが減ってきているけどね》
日本の方言だって、いくつも
方言だけじゃない。少数言語などの多くも絶滅の危機に瀕している。
意思疎通しやすくなったとよろこぶべきなのか、あるいは文化が失われたと嘆くべきなのか。
それは俺にはわからない。
だが自然に、あるいは
日本でもかつて過激に方言を規制していた時期がある。
そのとき使われていたのが『方言札』。
学校で方言を使うと、これを首からぶら下げさせられるのだ。
そして、ほかに方言を使った人を見つけたら、今度はその人に札を押しつけることができる。
そうやって方言を規制した。
いやこれ、絶対にイジメ起こっただろ。
と、俺はその話をはじめて聞いたときに思ったが、それはともかく。
俺は感じていた。
古代に分岐していった世界中の言語の数々が……あるいは、世界中のあちこちで生まれた言語が今、統一されつつあることを。
《もしかしたら、今よりずっと未来の人類は……あるいは超文明にまで発展した宇宙人は、たったひとつにまで収束した言語で意思疎通するような世界を生きているのかもね》
《きゅ、急に難しい話をするなっ》
《えぇ……? そんな拒否反応を示さなくても》
たんにロマンを語っただけなのだが。
未来のVTuberはどうなってるかなーとか、宇宙人にもVTuberがいるのかなー、とか。
《おーぐってこういう話、ほんと苦手だよね。あとは算数とかも。引き算や掛け算ですらよく間違えるし》
《それについてはオマエら日本人、というかアジア人が得意すぎるだけだ! ……ま、まぁワタシ自身も? 一般的なアメリカ人より? ちょーっとだけニガテかもしれないが》
《自覚あったんだ。なんというか典型的な”文系”って感じ。もちろん、親の影響も強いんだろうけど》
《文系、ってなんだ?》
《あっ、そうか。アメリカにはないんだっけ。というか日本だけが特殊なのか》
俺もアメリカの高校に留学するにあたって、多少の知識を仕入れさせられている。
本来、学問はそのすべてが『科学』の配下に存在するのだ。というか体系化された知識を科学と呼ぶわけで。
《えーっと、日本じゃ科学の5系統のうち、自然科学・応用科学・形式科学が得意な人を理系、社会科学・人文科学が得意な人を文系って呼ぶ……みたいな?》
《なんだそれ。変な話だな。
《うっ、そう言われると反論が難しいんだけど。まぁ、昔はそれが必要だったみたいだよ》
工学と法学に長けた人材の育成が急務であった。
そこで学問を二分し、もう片方を切り捨てさせることでスピードアップを狙ったのだとか。
そう考えると、この区分にも納得がいく。
まぁ、現代においてはほとんど形骸化してしまっているが。
《こういうカテゴライズはよくなかったね》
理系だから~がニガテ、文系だから~がニガテなんて言い訳には意味がない。
本来それらに区別はなく、ただの思い込みにすぎないのだから。
……まぁ、理論派と感覚派はいるけれども。
ボトムアップ思考とトップダウン思考と言い換えてもいいが。
なんにせよ、すべての学問は科学の一種であり、それは言語だって例外ではない。
すなわち……。
――この世に生まれ落ちた人類がもっとも最初に学ぶ科学こそ、言語なのだ。
《ん~、イロハの話は正直、ムズかしくてよくわかんなかったが》
《おい》
《でも、アレだな。だれとでも言葉が通じる世界って、まるで天国みたいだな》
《……え?》
《どうかしたのか?》
《あ~、いや。それは、なかなかおもしろい見解だなって》
そう言った俺の脳裏にはあのときの記憶が思い起こされていた。
バベルの景色や天使の姿、神さまの声。
今となっては現実に見たのか、それとも極限状態の脳が見せた錯覚だったのか。
俺にはわからない。
* * *
そして――審査2日目がはじまった。
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