第185話『強盗と人質』

 だれだって外国語には、多かれ少なかれ第一言語の訛りが出るもんだ。

 もちろん、言語の習熟度合いにもよるが。


 日本人の話す英語だって、ジャパングリッシュと呼ばれている。

 なぜなら「L」と「R」、「B」と「V」などがうまく使い分けられないから。


 まぁ、正確にいえば「使い分けられなくなった・・・」なのだけれど。

 じつは赤ちゃんのときはすべての言語、すべての発音を聞き分けられるから。


 だが赤ちゃんは非常に合理的で、それ以上に効率的だ。

 判別の必要がないとわかった部分――能力は、労力を削減するために”捨てて”しまうのだ。


 高コストの万能から、低コストの特化型へとシフトさせていくのだ。

 ……とまぁ、そんな現実逃避を考えていても仕方ないな。


《あ~、お待たせして申し訳ないです》


 いつまでも黙ってしまっていても、違和感があるだろう。

 俺はそう店員に返答した。


 しかし、マジか~。

 まさか本当に強盗に脅されている最中だったとは。


 店員が顔面蒼白だったのは、怒る女性客に怯えていたわけではなかった。

 それに中々出てこれなかったのも、裏で脅されていたからだろう。


《支払いはこれで。{通報は必要ですか?}》


 財布を取り出しつつ、外国語で電話しているフリを続ける。

 自然とバックヤードへ続く扉へ向きそうになる視線を、俺は意思の力で押さえつけた。


《お、お支払いは現金・・・・・・・でェすね。わかりましィた》


 どうやら必要らしい。

 店員は訛りのある英語で肯定してくる。


 仕方ない。店を出たらすぐに警察に連絡しよう。

 しかしまさか、こんなことに巻き込まれるとはなぁ……。


{それじゃあ、店を出たらすぐに通報します。もう大丈夫ですから、安心してください}


《……っ》


 店員からわずかに、「ホッ」と緊張がほぐれた雰囲気。

 ただ、俺ひとりで出ていくわけにもいかない。


 同じく居合わせてしまった女性客は、きっとなにも気づいていないだろう。

 できれば一緒に、連れ出しておきたい……と考えていたら、ちょうどよくやって来る。


《あら、まだレジしてたの? ちょっとあなた、遅いんじゃない!?》


《ちがうんです、わたしが電話してただけで! それよりお姉さん、さっきはありがとうございました。お礼にここはわたしが払います》


《やーね! あなたみたいに小さな女の子に奢られるほど、落ちぶれちゃいないわよ!》


《いいから、いいから》


 そんな会話をしながら会計を終える。

 あとはこのまま俺たちふたりで店を出て、通報するだけ……そう、安堵した瞬間だった。



《――お前らぁあああ! そこを動くなぁあああ!》



 男――強盗の声が響いた。

 バックヤードへと続く扉が内側から勢いよく開かれ、目出し帽を被った男が姿を現していた。


 彼の手には拳銃が握られている。

 地獄にでも繋がっていそうな真っ暗の穴が、こちらへ向けられていた。


 は……?

 なんで・・・――!?


《うっ……》


 クソッ、イヤなことも思い出してしまった。

 前世の最後にも見たような光景だ。


 こんなところで死んで、VTuberを見られなくなるなんてゴメンだぞ!

 まだ今日も明日も明後日も、見たい配信があるってのに!


《や、やめて! お願い! 撃たないで! こんな小さな子に銃を向けないで!》


 一番、反応が早かったのは女性客だった。

 彼女は両手を上げながらも、とっさには動けない俺を庇うように立ちふさがっていた。


 店員も「やめてくれ!」と悲鳴のような声をあげつつ、無抵抗をアピールしている。

 俺は遅れて、ふたりのマネをするように手を上げた。


 こういうときに反射的に両手を上げられるのは文化のちがいだろう。

 だからこそ、と思う。


 見るからにアメリカ人なこの女性客にとって、自ら銃口の前に出ることは並大抵の恐怖ではなかったはず。

 それでも俺を守ろうと行動して……なんと勇敢なのだろう。


《全員、そのままゆっくりと壁際へ移動しろ》


 銃で指示され、俺たちは出入り口の扉から引き離された。

 それから、両手は上げたままで膝を着かされる。


 これではイチかバチかで脱出を狙うことも不可能だろう。

 いや、できそうだったとしてもやりたくはないな。


 目出し帽の奥のギョロリとした目は、せわしなくあちこちへと向けられていた。

 とても正常だとは見えない。刺激したら、いったいなにをしでかすかわからない。


《そこの子ども、こっちへ来い》


《ゆ、許してあげて! アタシが代わりになるわ!》


《ダメだ》


《……わたしは大丈夫です》


 言って俺はゆっくりと強盗犯に近づいていく。

 手の届く距離になった瞬間、手に持っていたスマートフォンを取り上げられた。


 チラリと画面を確認したあと、それを床に叩きつけられる。

 ガシャアン! と破砕音が響いた。


《っ……》


 反射的に身体がビクッと震えてしまう。

 しかし不幸中の幸いか、それだけだった。


 電話がフリ・・だったと気づいて、なにか言ってくるんじゃ? 激昂するんじゃ?

 そんな危惧をしていたのだが……リアクションを見るに、気づかなかったのだろうか?


《これで全員を縛れ》


 強盗犯がそう言って、商品棚に並んでいた結束バンドを渡してくる。

 俺が躊躇っていると彼は声を荒らげた。


《早くしろ!》


《やってちょうだい、お嬢ちゃん。アタシたちは平気だから》


《……ごめんなさい》


《あなたはなにも悪くないわ》


 不本意ではあるが、ここで抵抗するほうが危険だろう。

 俺は女性客と店員の親指を、後ろ手に留めていった。


《もっと強くだ!》


《……はい》


 せめて、なるべく緩く……と誤魔化そうとしたが、強盗犯は目ざとかった。

 ずいぶんと神経を尖らせている。


 強盗犯はきちんと拘束されていることを確認すると、女性客の身体をまさぐった。

 彼女は不快そうに眉を寄せたが、グッと堪えた。


 やがてスマートフォンを見つけ出すと、俺のと同様に床へと叩きつけて破壊した。

 店員にそれをしないのは、すでに没収したあとだからだろう。


《こんなものまで持ってやがったか》


 また強盗犯は、自衛のためだろう……その女性客が持っていた拳銃も見つけて取り上げた。

 それを自身の腰へと差す。


《……まったく、最悪の状況ね》


 女性客がポツリと呟くように言った。

 強盗犯は小間使いにする気なのか、俺のことは拘束しなかった。


 そうして俺たちは監禁された。

 あるいは、人質になってしまった。


 今、この中で比較的自由に動けるのは、ただひとり――俺だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る