第182話『開発協力』
《イロハ、会いたかったわ!》
《わたしも!》
俺はコンビニの駐車場で、とある女性と抱き合っていた。
もちろん
《い、イロハが浮気してるぅううう!?》
背後であんぐおーぐの悲鳴が響いた。
あーもう、「車内で待ってて」って言ったのに。
《こら、人聞きの悪い言いかたをするな。というか、浮気って……だれがだ!》
《イロハはワタシのなのに》
《確認しておくけどわたしたち、べつに付き合ってないよね?》
《浮気者はみんなそう言うんだー!》
あんぐおーぐは「うわーん!」と大げさに泣いてアピールしてくる。
面倒くさいのは放っておいて、俺はその女性と言葉を交わした。
《改めて、はじめまして》
《こちらこそ。こうして直接、イロハと顔を合わせられて光栄よ》
《そんな。それと迎えもありがとうね。わざわざ来てもらっちゃって》
《お安い御用よ。そもそも、お願いしたのはこちらだもの》
実際に会うのははじめてだが、オンライン上ではすでに長い付き合いだ。
あんぐおーぐは俺たちの親し気なやり取りを見て、目を白黒させていた。
《な、なぁイロハ。本当にだれなんだ? いったいどういう知り合いなんだ!? VTuber……なワケはないか。だとしたらイロハが会おうとするはずはないし》
《はじめまして。イロハの一番の
《!?!?!? イロハ~!? ど、どういうことか説明しろ~!?》
《あ~》
女性は茶目っ気のある笑みを浮かべている。
これは完全に、あんぐおーぐをからかって遊んでいるな。
まったく、やめて欲しいもんだ。
拗ねると面倒くさいんだぞ。
《おーぐ、こちらはめちゃくちゃ優秀なエンジニアさんで……》
《こういうときは元ゴーゴル社員、って名乗ることにしてるわ。みんなにはこれがわかりやすいみたいだし》
《え、そうだったんですか? ゴーゴルってあの?
《そうそう》
《知りませんでした。すごっ……。どうして転職を?》
《だって普通の会社勤めって飽きちゃうんだもん。毎日同じことの繰り返し》
あ、あの天下のゴーゴルを「普通の会社」呼ばわりとは。
俺には口が裂けても言えないセリフだ。
《最初にコンタクトを取ったのがノーベル平和賞をもらった直後だから……イロハとは、かれこれ半年くらいの
《そう、だったのか》
あんぐおーぐはポツリと呟いた。
よかった、あくまでビジネスパートナーであることが伝わって……。
《そんなまさか、イロハがそんなにも昔からこの泥棒猫と付き合っていただなんて!》
《なんでそうなる!?》
《でも、今そう言ってただろ!? いずれは結婚して夫婦になりたいって!》
《言ってない言ってない》
《イロハとは今でこそただの(ビジネス)パートナーだけど、いずれは口説き落としてうちの
《誤解しか生まない表現やめてもらえる!?》
《イロハのアホー! バカー! 女たらし~! ドライブデートなんて、ワタシもしたことないのに~!?》
あんぐおーぐに掴みかかられて、ガクガクと揺さぶられる。
俺は「どうどう」と、彼女をなだめながら説明する。
《ちがうからね? 今日はおーぐ忙しいっていう話だったでしょ? かといって、ひとりで出かけるのも危ないし。それで送迎を引き受けてくれたってだけ。向こうに着いたらほかにも人はいるから》
《まさか、浮気相手はひとりじゃないのか!?》
《なにも話を聞いてないな!? はぁ、もういいや。とりあえず、ここまで送ってくれてありがとう》
自宅であるアパートからここまではすこし距離があった。
俺はレッスンに出かけるあんぐおーぐの車に同乗して、この待ち合わせ場所まで来たのだ。
女性にアパートまで直接迎えに来てもらってもよかったのかもしれないが。
信頼できる人物だとわかってはいても、あそこはひとりじゃなくあんぐおーぐとの……ふたりの家だから。
一応、VIPへの配慮というやつだ。
住所を不必要に拡散する必要もあるまい。
《アシに使うだけ使って、いらなくなったらポイ……》
《オイ》
《イロハ、せめてワタシの護衛のひとりを連れていけ。浮気しないか監視させる!》
《シークレットサービスを私的に利用しようとするな!》
《けど本当に、もしイロハになにかあったら……》
冗談めかしているが、あんぐおーぐの心配は本気のようだった。
俺はちょっとだけ考えて、マジメに答えた。
《彼女らはあくまであんぐおーぐの護衛が仕事でしょ? そういうことさせていいの?》
《そ、それは……》
シークレットサービスの主はあんぐおーぐではなく、その母親だ。
そちらから許可を得るのが筋。
なにより、本来の護衛をおろそかにして守り損ねました、ではシャレにならない。
それに業務外のことを命じるのも、彼女らに失礼だろう。
《というわけだから、ひとりで大丈夫。おーぐもそろそろ時間でしょ》
《ううっ。でも……》
《ほら、行った行った》
ぐいぐいとあんぐおーぐの背中を押して、車に押し込んだ。
じゃないと、いつまでもグズってそうだったから。
シークレットサービスの人が気を利かせて、すぐに車を発進させてくれる。
彼女は、遠ざかりながらも叫んでいた。
《イロハ~! なにかあったら絶対、すぐに連絡するんだぞ~!? 絶対だからな~!?》
あんぐおーぐは見えなくなるまで、後部座席の窓から身を乗り出してこちらに手を振り続けていた。
あーもう、危ないな。
《それじゃあイロハ、私たちも行きましょうか》
《はい、ぜひ》
俺も女性の……じつにアメリカらしいゴツい車に乗り込んだ。
エンジンをかけながら女性が話しかけてくる。
《じつをいうとね、正直、まさか本当に来てくれるだなんて思っていなかったわ》
《来るよ。だって、これがわたしの”やりたいこと”に一番近かったから》
《あら、VTuberのついでじゃなかったの?》
《もちろん、VTuberのためだよ。これも》
《ふふっ、そうね。あなたはそういう子よね》
俺は窓の外を眺めながら思い出していた。
もうずいぶんと昔に感じる……あんぐおーぐと最初に顔を合わせた日のことを。
お泊まりした夜、俺たちは話し合った。
そして俺は自分の「やりたいこと」を見つけたのだ。
そうしてたどり着いた先こそ――”自然言語処理”を取り扱っている非営利法人だった。
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