第177話『幼女×幼女の事情』

《ほら、おーぐ。朝だよ。起きて》


《んん~、あとちょっとだけ……》


《もうっ》


 アメリカに引っ越してきて1週間とすこし。

 荷解きも終わって、俺たちの生活は安定しつつあった。


《すぐに朝ご飯できるよ。いらないって言うなら、わたしひとりで食べちゃうからね?》


《うっ。イロハの朝ごはん……食べる。今、起きる~》


 あんぐおーぐが寝ぼけ眼をこすりながら、のそりと身体を起こした。

 髪の毛もボサボサだ。


《朝ご飯はちゃんと食べないと、元気でないよ》


《うぅ~、イロハがママみたいなことを言ってくる》


《はいはい。なんでもいいから起きた起きた》


《アイタタタ……昨日のダンスレッスンで、筋肉痛が》


 あんぐおーぐは大手事務所に所属しているだけあって、イベントライブへの出演も多い。

 とくにアメリカの夏はイベントが集中している。


 なにせ夏休みが3か月間近くもあるのだ。

 逆に春休みも冬休みもゴールデンウィークもシルバーウィークもなく、唯一の長期休暇だが。


《昨日はかなりハードだったみたいだね》


 長期休暇に向けて、レッスン量やライブの撮影が増えているようだ。

 俺の場合、イベントへの出演依頼はよくもらうが、ライブはそこまで多くないからなぁ。


《まったく、他人ごとだと思いやがって。そのうち、イロハも地獄を見るんだからな》


《あ~、考えたくない》


《ううっ、動けない~。イロハ、起こして~!》


《あっ、コラ! しがみついてくるな! ……おわっ!?》


 あんぐおーぐの体重を支えきれず、そのままボフンっと一緒にベッドに倒れ込んでしまう。

 彼女は俺を抱き枕にして、二度寝をはじめようとしていた。


《ふわぁ~、イロハも一緒に……》


《甘えるな》


《アイタっ!?》


 軽くチョップしてたしなめる。

 すーぐに調子に乗るから。


 あんぐおーぐが額を押さえた隙に、俺は彼女の腕から脱出する。

 するとなぜか「フフフ」と含み笑いが聞こえてきた。


《なんでチョップされて笑ってるの》


《日本のコメディアンみたいな”ツッコミ”って、こっちじゃ暴力だと見做されることも多い。けど、こういうのなら悪くないなって。なにより”ツッコミ”だと、イロハも遠慮なくボディータッチしてくるんだよなー》


《え!? そうだったっけ?》


《いや~、イロハもワタシに心を開いてくれるようになったな~!》


《べつに、そういうのじゃないけど》


 あんぐおーぐがどことなくニヤついている気がする。

 俺はそっぽを向いて、咳払いで誤魔化した。


《それよりも、ほら! 朝ご飯だから! いくよ!》


《あう~。まだ寝たいのにぃ~》


 言って、俺はあんぐおーぐをベッドから引っ張り起こした。

 そのまま腕を引いて、俺の部屋・・・・からリビングへと連れ出した。


《イロハも、もうワタシが一緒の部屋で寝ててもなにも言わなくなったな》


《言っとくけど、まだ認めたわけじゃないからね? なし崩し的に、そうなっちゃってるだけで》


 いやほんと、どうしてこうなってしまったのか。

 最初にソファで一緒に眠ってしまったのが、分岐点だったように思う。


 それに先日の――アメリカでの初配信が終わったあとの行動もよくなかった。

 慣れない買いものや料理で疲れていたのか、俺たちは連日で一緒に寝落ちしてしまった。


 そして、一緒に寝るのが当たり前みたいになって……なし崩し的に今がある。

 さすがにソファで寝てしまうよりは一緒でもベッドのほうがマシだ、と。


《ほらおーぐ。とりあえずオレンジジュース。あと、たまごの焼きかたは? 炒りたまごスクランブル目玉焼きサニーサイドアップ両面焼きオーバーイージー……》


《オーバーイージーで》


 俺はエプロンを着けると、あんぐおーぐに背を向けてキッチンに立った。

 踏み台を駆使しつつ、朝ご飯を完成させる。


《なんかいいな、こういうの! まるで新婚みたいだ!》


《うっさい。はい、お待ちどう》


 テーブルに完成したワンプレートを並べる。

 パンケーキにエッグにサラダ、それからカリカリに焼いたベーコン……典型的な洋風の朝食だ。


《お~、ウマそう! 今日はイロハ、幼児用・・・のシリアルは食べないんだな》


《それは知らなかったんだから、仕方ないでしょ! 箱のどこにも『幼児用』なんて書いてなかったし!》


 料理対決のとき、俺たちは食材以外にも買い込んでいた。

 その中のひとつがそれ・・だ。


 アメリカのシリアル市場はすさまじい。

 ウォールマーケットにも100種類をゆうに超えるシリアルがズラリと並んでいた。


 俺が「せっかくだから」とその中から、目に留まったひとつをカートに入れた。

 それが、いったいなんの因果だろうか?


 たまたま手に取ったそれが、日本でいうところの”アソパソマソカレー”だったのだ!

 あるいはだからこそ目立っていたのか。


《いや~、懐かしいな~。こっちじゃ、幼少期にはみんなこれを食べるんだぞ。ワタシはもう大人のレディだから卒業してるけどな。でも、買っちゃったんだから食べないともったいないぞ》


《わかってるって。シリアルの話はもういいから。ほらっ》


 ふたりして「「いただきます」」と手を合わせる。

 朝食を口に運ぶ。


 出来栄えは悪くない・・・・

 といっても味付けは、各々で勝手にケチャップやら塩コショウをかけているのだが。


 あんぐおーぐがベーコンにメイプルシロップをかけているのは、じつにらしい・・・な。

 俺は慣れなくて、そのまま食べているが。


《けど、意外だな~。正直、イロハがこんなにもマメに料理するとは》


《……そうだねー》


 俺はのんきに朝食を頬張っているあんぐおーぐに、ジト~とした目を向けていた。

 まったく、だれのせいだと思ってやがる!


 食事を作ったり、一緒のベッドで寝ることを黙認したり……。

 それこそ、俺に似つかわしくもなく料理対決を申し込んだのだって!


 すべて、彼女が理由なのだ!

 彼女こそが俺の言っていた――”事情”そのものなのだから!

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