第172話『生まれながらの”言語チート”』

「なんでわかるんダ!? オマエあのあト、悔しくてこっそり調べたんだロ!」


「いやいや、知らないって! たんに”ワンちゃんドギー”だからそうかなー、って思っただけで」


 あんぐおーぐから出された問題にあっさりと正解してしまう。

 俺の言語方面での察しのよさは、まぁちょっとズルかもしれないが。


 しかし、彼女の災難はそれだけでは終わらなかった。

 アメリカ勢がコメントで一斉にツッコミを入れていたのだ。


>>へー、アレってドギーバッグとも呼ぶんだ(米)

>>オレも10年ぶりくらいに聞いたわ(米)

>>おーぐ、それもう死語だよ(米)


「エっ? なに言ってるんダ? 普通に使うだロ?」


「おーぐ……?」


>>ボクはたんに”容器ボックス”としか言わないな(米)

>>あるいは”持ち帰り容器トゥ・ゴー・ボックス”とか?(米)

>>おーぐってもしかして結構、年齢が……?


「イヤイヤ!? ちがうからナ!? ワタシのママが普通に言ってたかラ!」


「じゃあおーぐ、レストランでドヤ顔して死語を言ってたってこと? もしかしなくてもそれ、めっちゃ恥ずかしいことしてたんじゃ」


「言うナぁあああ~!?」


 あんぐおーぐが耳を塞いで身悶えする。

 まぁ地域差や、世代差もかなりあるだろうけどね。


 今思うと、対応してくれた店員のおばちゃんも一瞬「ん?」という顔をしていたような?

 もし、あれが若い店員だったら通じていなかったかも。


「ウウっ、イロハのせいで恥かいたゾ」


「自業自得でしょうが」


「ちがうシ! イロハのクセに珍しク、そんな簡単な単語も知らなかったのが悪イ!」


「……あぁ、なるほど」


 あんぐおーぐに言われて、俺は気がついた。

 むしろ”ドギーバッグ”が死語ではなかったとしたら、俺がその言葉を知らないはずはないのだ。


 だって映画やテレビ、ネットで同じシチュエーションを一度も見たことがないとは考えにくいから。

 そして、一度でも見聞きしていたなら、あとは俺の”能力”の範疇だ。


 『持ち帰り』という文化があることを忘れたり、覚えていなかったりは起こりうる。

 けれど『ドギーバッグ』という単語自体を忘れることは、俺にかぎっては絶対にありえないのだ。


>>儚い夢だったな、おーぐ(米)

>>けれど、イロハちゃんでも知らない言葉とかあるんだな

>>なんでも知ってるような気がしてたw


「あはは。いくらわたしでも、はじめて聞いた言葉はどうしようもないよ。知っている言語とかなら、ある程度の推測はできなくもないけど」


「そういうものなのカ?」


「そうだね。たとえば”ガヴァガイ問題”ってのがある」


 言って、俺はひとつ例を挙げた。

 ある種の思考実験だ。


「言葉の通じない原住民がウサギを指して『ガヴァガイ』と言ったとしよう。そのとき、ガヴァガイとはいったいなにを意味すると思う?」


「……? そんなのウサギに決まってるだロ?」


「正解は”わからない”だよ」


 これだけでは単語の意味を特定することは不可能だ。

 決して、ガヴァガイ=ウサギとはならない。


「なんでだヨ! そんなの見ればわかるだロ!」


「それがそうともかぎらない。だって考えてもみてよ。わたしがウサギを指して『動物』って言ったとして、それって間違ってる?」


「た、たしかニ」


「あるいは『これ』かもしれないし、『かわいい』かもしれないし、『食べたい』かもしれないし、『白い』かもしれないし、『よく跳ねる』かもしれない」


 特徴を挙げはじめれば、キリがない。

 たったひとつの物でも、言語化してみれば大量の要素を持ち合わせているとわかる。


「それに、そもそもウサギじゃなくて、空気や指自体を示している可能性だって存在する」


「そんなこと言い出したら”なんでもあり”じゃねーカ」


「そうなんだよ、なんでもありうるの! 可能性はほぼ無限。だから特定なんて不可能なの。それが答え」


>>こう聞くと本当に言葉の重要性を痛感する

>>じゃあ、宇宙人が現れたとしても意思疎通はできなさそう

>>最低限の共通言語や共通認識は、絶対に必要なんだな


「その、はずなんだけどね~」


「ン? まだなにかあるのカ?」


「じつは反例が存在するの。具体的には……じゃあ、赤ちゃんはいったいどうやって言葉の意味を特定してるの? っていう話」


「たしかニ!? ていうカ、赤ちゃんスゴすぎないカ!?」


 おそらくは無意識に、試行回数から共通点を見出しているのだろうとは思う。

 けれどそれこそ、すべての人類には……。



 ――生まれながら・・・・・・にして”言語チート”が備わっているんじゃないか?



 そう思えるほどの、すさまじい能力だ。

 だからこそというべきか、一方でこんな話もある。


 母親が、出張の多い父親のことを「これがパパだよ」と写真で説明していたら……。

 あらゆる写真を「パパ」と呼ぶようになってしまった、みたいな。


「まぁ、いずれにしても1度聞いただけじゃ、わたしにもわからない言葉は多いってこと」


「なるほどナ~」


>>そっか、イロハちゃんでも知らないものは知らないのかー

>>俺も赤さんを見習って外国語を勉強するか

>>いつか、イロハちゃんが知らない言葉を探す回とかやってみたいな


「とまぁ、脱線もそこそこにしてアメリカへ来たときの話をしちゃう?」


「そうだっタ。忘れてタ!」


「じゃあ、まずは……そうだね、引っ越し前。わたしが”領事館”に呼ばれたところから話そうか――」

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