第155話『日本のお風呂』

《”ぐるるる……どーもゾンビです”。あんぐおーぐです!》


>>やぁ、おーぐ(米)

>>昨日は引っ越し作業お疲れさま!(米)

>>日本へようこそー!


 あんぐおーぐが日本に引っ越してきた翌日。

 彼女の新居にて、配信が開始されていた。


《まず、みんなにとても大事なお知らせがある。じつはワタシに、毎日お風呂を入れてくれるガールフレンドができたんだ》


>>え、ついにイロハと付き合ったの!?(米)

>>おめでとう、おーぐ!(米)

>>結婚式にはぜひ俺たちも呼んでくれ(米)


《おいコラ。おーぐ、聞こえてたからね? わたしが飲みものを取りに行ってる間に、なーに先に配信開始して、誤解を生むようなこと言ってくれてるの?》


>>ウワサをすれば嫁? 旦那? が来たぞ!(米)

>>さすが同棲してるだけあって、駆けつけるのが早い(米)

>>イロハロ~


《はーい、イロハロ~。”わたしの言葉よあなたに届け”。翻訳少女イロハで~す。あと一応言っとくけど、まだ同棲はしてないからね?》


 コメント欄が「まだ」という言葉にまたしても反応しているが、これ以上付き合ってられるか!

 みんな、アメリカ留学のことわかってる上で言ってきてるんだもんな。


 俺は嘆息しながら、あんぐおーぐのとなり……持参したノートパソコンの前に座った。

 それから、ジト~っと彼女に視線を向ける。


《彼女、ねぇ?》


《い、いや。だって本当のことだし! ワタシの彼女は毎日、ボタンひとつでお湯を準備して、かわいい声で「お風呂が沸きました」って言ってくれるんだぞ!》


《ただの給湯器じゃねーか!》


《「ただの」じゃないし! イロハたちは当たり前だと思ってるかもしれないけど、マジで日本のお風呂ってスゴイんだからな!?》


 あんぐおーぐにお風呂の良さを熱く語られる。

 俺はそのあまりの熱に「お、おう」とたじろいだ。


 それだけ日本とアメリカのお風呂事情がちがうってことなんだろう。

 向こうじゃ湯船に浸かるのは、どちらかというと”スパ”に近いらしいし。


 当然、温度やお湯の量をワンボタンで調節してくれる機能なんて、自宅の風呂にはついてない。

 お湯が湧いた、とお知らせしてくれることもない。


《いやマジ、日本人の”バスルーム”に対するこだわりは異常》


《わかったわかった。けど、はしゃぎすぎて、なんでもかんでもボタンを押すのはやめてね》


《うっ!?》


>>いったいなにをやらかしたんだ?(米)

>>素直に白状したまえ、おーぐ(米)

>>ボタンがあったらとりあえず押すって、あいかわらず行動原理がガキだな(米)


《うるさい、うるさい! じゃあ、オマエら知ってたのか!? 日本の風呂に『緊急ボタン』がついてるって! 押したら、緊急隊員に連絡が繋がっちゃうって!》


>>ししし知ってるし?(米)

>>お、おーぐと一緒にしないで欲しいね、まったく!(米)

>>そんなの俺らの地元じゃ常識さ(米)


《オマエらの地元もアメリカだろーが!》


《日本だからって必ずしも、その機能がついてるわけじゃないんだけどね》


 ただ、あんぐおーぐが引っ越してきたこのマンションはなかなかの高級賃貸だ。

 彼女の事情を考えれば当然のことではあるが。


 ファーストファミリーがホワイトハウスを出て暮らす、と軽くニュースになっていたくらいだし。

 防犯と、それから防音のことを考えると、どうしても選択肢はかぎられてくる。


《間違って押しちゃったのが、わたしがいるときでよかったよ》


《けど、イロハに裸見られた~!》


《わたしだけで済んでよかったね?》


 昨日の晩、みんなで引っ越しパーティーをしたあと、俺はあんぐおーぐの家に泊まった。

 彼女曰く「日本でいきなり、ひとりきりは不安だから」と。


 さすがにそう言われると断りづらい。

 それに今日ならみんなもいるし……。


 と思って了承したのにコイツ!

 あー姉ぇとマイはちゃっかり追い返してやがった!


 で、俺は帰るタイミングを見失ってしまった。

 結局、順番で風呂に入ることになったのだが、彼女は間違って緊急ボタンを押し……。


《ほんと、昨日はビックリしたよ。いきなり大きな音が鳴り響いて、なにごとかと思って浴室に駆けつけたんだけど。そしたら、風呂場からパニックになったおーぐが飛び出してきて》


《わ~っ!? 忘れろ!? イロハのヘンタイ!》


《なんでそうなる!?》


 むしろ、こっちのほうこそ気まずかったんだが!?

 抱き着かれて、服もビショビショになって……そういうのはリアクションに困るんだ!


《なんにせよ、わたしが急いで『取消ボタン』を押さなければ、どうなっていたことか。緊急隊員が駆けつけて、社会的に死……にはしないか》


 その前に、あんぐおーぐのシークレットサービスが殺到していたことだろう。

 同じ階の部屋に待機している、という話だし。


>>引っ越し早々、楽しそうだな(米)

>>イロハ、ひとりじゃおーぐが心配だから頼んだぞ(米)

>>ちなみに、荷ほどきはもう全部終わったのかい?(米)


《いや、じつはまだ全然なんだよなー。家具も届いてないのがあったりして、今は洗濯すらできないぞ。逆に乾燥だけなら、風呂場でできるんだけどな》


 あんぐおーぐは「な? 日本のバスルーム多機能すぎるだろ!」とドヤっているが、俺からするとまったく笑いごとではない。

 足りないものが多すぎるのだ。


 とりあえず今は、真っ先にインターネット環境と配信機材まわりだけ整えた状態。

 で、まだ用意できてない家具の中には致命的なものもあって……。


《昨日の晩「布団、届くの明日だった」って言われたときは、本気で帰ろうと思った》


《そ、それは本当にスマンかった。いやでも、ちょっと肌寒い中で、ああしてふたりで身を寄せながら眠るってのも、そう悪くは……あっ、イヤなんでもないです》


 俺がギロリと睨むと、あんぐおーぐは目を逸らした。

 ほんと、これからの生活が思いやられるな。

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