第129話『エクスキューズミー』

 あんぐおーぐの母親からの電話。

 俺はあんぐおーぐに通訳してもらって、言葉を交わしていた。


『改めてありがとう、イロハさん。あなたのおかげで世界大戦は回避された』


「いえ、わたしはそんな。VTuberやファンたち、みんなのおかげです」


 改めて、礼を述べられる。

 すぐに話は本題へと入った。


『それで、イロハさん。あなたが倒れたあとのことだけれど』


 聞くと、無事に核兵器を回収したり、あるいは自発的に発射が取りやめられたそうだ。

 これで世界に平和が戻った……。


『――と、そう話は単純ではないわ』


「どういうことですか?」


『本当にすべての核兵器が回収できたかわからない。悪魔の証明よ。それに戦争の火種が消えたわけでもない』


「……! そう、ですよね」


『戦争の終わりは、物語のエンディングみたいにきれいではないから』


 考えもしなかった。

 俺はもう全部、解決したみたいに思っていた。


『ごめんなさいね、怖がらせるようなことを言って。とはいえあなたのおかげで、今は世界全体がある種の自粛・・モードになっているし、当分は大丈夫だと思うわ』


「当分、ですか?」


『えぇ。当分、よ』


 きっと本当の意味では、戦争に終わりなんて存在しないのだろう。

 ”平和とは、戦争と戦争の間の準備期間である”とは、だれの言葉だったっけ。


『たとえば、今回の件の中心にいたウクライナ。あの国はこれから苦しくなるわね』


「戦争が終わったのにですか」


『戦争が終わったからこそよ。悪化した情勢や、破壊された土地、失われた人命が返ってくるわけじゃないから。それに避難した国民が戻ってくるのにも時間がかかる』


 たしかに、俺が避難した側の人間なら安全が確保されてから帰りたいと思うだろう。

 けれど、この状況じゃいつになるかわからない。


『戦争が終わったことで、打ち切られる支援も多い。クリミア半島という不凍港も失った。ロシアからの賠償があるとはいえ、経済的にも非常に厳しい時期が続くでしょうね』


「そうですか」


『まだあるわよ。今のところは大丈夫だけれど、いずれはウクライナ自身が新たな火種を生む可能性もある。たとえば、死の商人として国が生まれ変わるかもしれない』


「どういう意味ですか?」


『このまま国が困窮すれば、やがては我が国から提供されていた兵器のコピー品を作って商売をはじめることだって考えられる、という話よ。あくまで可能性のひとつだけれどね』


「なっ、なんとかならないんですか!?」


『私たちもできることはするわ。けれど、あくまで自国の利益と国民のためになるなら、という前提での話。すくなくとも今回の一件で、ウクライナのNATO入りが許可されることは当分なくなったでしょうし』


「あの、でもそれって”今は”ですよね? あなたが大統領になれば……」


『いいえ。私が大統領になっても、きっと許可しないでしょうね』


「見捨てるんですかっ!?」


 俺は思わず、語気を強めてしまった。

 通訳してくれていたあんぐおーぐが不安そうな視線をこちらへ向ける。


 わかってる。彼女が悪いわけじゃない。

 それでも感情が抑えきれなかっただけだ。


 これでは、それこそNATOがウクライナを使い捨てただけだ。

 ロシアの国力を削るための道具として。


『私は大人よ。もちろん立場が変われば、物事の優先順位も入れ替えるし、言葉・・も使い分ける。だから、言いたいことは言えるうちに言っておくべきね。私も……あなたも』


 そうか、この人はわざと……。

 俺は気づいた。あんぐおーぐの母親が、あえて冷たい言葉を選んでいたことを。


 彼女も大統領になれば、今みたいに自由に話せることもなくなるのだ。

 それに、正直に思ったことを言葉にしていいのは子どもの特権。

 

「確認なんですが、今日、電話してきたのって現状報告だけが目的ですか?」


『あぁ、そういえば……結局、あなたにはまだお礼・・ができていませんでしたね。世界を救った英雄さん?』


「ではひとつ、お願いを聞いてくれますか?」


『もちろん。ワガママもまた子どもの特権よ』


「それじゃあ――」


   *  *  *


「本気なのぉ~、イロハちゃん? ひとりで歩いて帰るってぇ~」


「うん。ちょっと散歩したい気分でさ」


 今日は俺の退院日だ。

 看護師さんたちに見送られたあと、俺はタクシーの前で足を止めていた。


「な、ナぁ……本当に大丈夫なのカ?」


「うん、もう体調もバッチリだし」


「そっちじゃなくテ。……うガぁ~っ! 日本は女の子がひとりで歩いてても大丈夫だってわかってるけド、それでもムズムズすルぅ~!」


「あはは。大通りだし、まだ昼間だっての。心配性だなぁ~」


 俺は肩を竦めて、不安そうなふたりに苦笑した。

 それから、ちょっと怒っている様子の母親に言う。


「大丈夫だよ、お母さん。なんかあったらすぐに電話するし」


「お母さんは心配なんてしてないわよ? ただ、あんたの聞き分けのなさに呆れてるだけ」


「ごめんごめん。っと、後ろつっかえてるし、もう行って」


「はぁ……。運転手さん、出してください」


「イロハちゃん、すぐ帰ってきてねぇ~?」


「イロハ、ちゃんと帰って来いヨ!」


 ドアが閉まり、タクシーが走り去っていく。

 俺は「ばいば~い」と3人を見送った。


「んんぅ~っ!」


 大きく背伸びして、それからゆっくりと歩きだす。

 そういえば、こうしてひとりになるのは久しぶりだ。


 いつの間にか、冬も終わりが近づいている。

 春の訪れとともに鳥や虫の鳴き声や、枝葉の擦れる音が奏でられていた。


 今となっては、ただの環境音にしか聞こえないそれら。

 しかし、悪くない。


 耳に心地よい、と思った。

 そういえばこうした音を純粋に楽しむのなんて、前世含めて何年振りかわからない。


 戦争と同じだ。

 そこにずっとあって、けれど意識を向けなければ気づけない――”無意識”の奥にあったもの。


「まぁ、それとこれとはべつ! 結局、VTuberの歌を聞いちゃうんだけどな!」


 だれかに言い訳でもするように声に出し、俺はスマートフォンを取り出した。

 そのとき、背後から声がかかった。






《――あの・・すいません・・・・・


 新時代の足音は、すぐそこにまで迫っていた――。

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