第125話『チート能力のゆくえ』

 あのとき、俺がなにを願ったのか。

 それは……。


 ――VTuberを救いやがれ!


「そっか、気づかなかった」


 願った人たちの中に、いつの間にか俺自身も含まれていたんだ。

 もうとっくの昔に、俺もまただれかにとっての”推し”になっていたんだ。


「……俺もVTuberのひとり、か」


「”ひとり”ねぇ~? ふっふっふ~。それはどうだろ~っ?」


「なんだよ、あー姉ぇ」


 あー姉ぇが意味深に笑う。

 それを問いただすよりも先に、医者が口を開いた。


「よし、会話も問題ないみたいだし、検査はこれでおしまい。ただ、筋肉も胃も衰えてるから体力が回復するまではこのままウチに入院してもらって、異常がなければ退院という形にしようか」


「あっ、はい。ありがとうございました」


「いえいえ。それではお大事に」


 そのまま検査を終えた医者が病室を去っていった。

 俺はそれをベッドの上から見送ったあと、「で?」とあー姉ぇに視線を向ける。


「さっきのはどういう意味だよ?」


「どうもこうもないよ。もうイロハちゃんは『VTuberのひとり』で収まる器じゃないって話。なんたって、イロハちゃんは……VTuberを代表する・・・・ひとりになっちゃったんだから!」


 ノートパソコンを開いて見せられる。

 そこに映ったのは、イロハ、イロハ、イロハ……俺のことを取り上げた記事ばかり。


「は、はいぃいいいっ!?」


 そして、『翻訳少女イロハ』のチャンネル登録者数が異常なほど伸びている。

 トゥイッターのフォロワー数もケタが変わってしまっていた。


「な、なんじゃこりゃぁあああ!?」


「まァ、アレだけのことをしたんダ。当然の結果だナ!」


 あんぐおーぐが自慢気に鼻を鳴らした。

 なんでお前がドヤ顔してるんだよ……って、そうじゃなくて!?


「望んでない! こんなのわたし望んでないからぁ!?」


「まぁ、受け入れるしかないナ。それに、ほら見ロ。みんなイロハにスッゴク感謝してるゾ」


 過去の配信のコメント欄や、SNSのリプライを見せられる。

 そこにはさまざまな言語で書き込みがされていた。


「……ぁ」


「イロハ、オマエが世界を救ったんダ」


 それから、俺が意識を失ってから1週間で世界がどうなったのかを聞いた。

 まず、ウクライナとロシアについて。


「まァ、痛み分けって感じだナ」


 結局、核の発射元は不明……あいまいなままで落ち着いたらしい。

 しかし、ロシアはべつの名目でウクライナへの賠償を支払うことになったそう。


 それと並行してロシアの大統領が辞任を発表したそうだ。

 ……正直、それは予想外だった。


 自分の地位を守るために戦争している、とまで言われてた人なのに。

 と、ここまで聞くとロシアのひとり負けに見えるが、実際はそうではない。


 ウクライナもまたロシアに一部の領土が奪われたままになった。

 ロシア風にいうならば”取り返した”だけれど。


「ウクライナがよく受け入れたもんだ。それがイヤだからって戦争を継続してたのに」


「ナニ言ってんダ、オマエのせいだろうガ。メディアじゃ美談にされてるゾ。日本人のオマエが言ったから、停戦は成ったっテ」


「なんじゃそりゃ?」


 意味がわからず眉をひそめた。

 あんぐおーぐは「だっテ」と続けた。


「日本だって似たような立場なんだロ?」


 たしかに、日本もまた北方領土をロシアに不法占拠されている。

 ロシア風にいうなら”すでに自国の領土”だそうだが。


 それが今回のウクライナ侵攻における、クリミア半島の件に近いと言えなくもないのだと。

 で、次は我が身なのに日本人・・・はそれよりも世界平和を優先した……と、そういうことになっているらしい。


「うわ~、こうやって歴史は作られるんだなぁ」


 都合がいいというか、なんというか。

 俺たちが当初、同じ日本人からもボロクソに叩かれてたのは、なかったことになっていた。


「よしっ! じゃあ、イロハちゃんも目も覚めたことだし……はいっ、これ。みんなに『もう大丈夫だよー!』って言って、安心させてあげて!」


「……」


 あー姉ぇから、俺はスマートフォンを受け取った。

 と同時に、あんぐおーぐもボソッと俺の耳元で囁いた。


「あとでチョットいいカ? ママが『電話して欲しい』って言ってるんダ」


 俺は……受け取ったスマートフォンをそのまま伏せた。

 そして、ふたりに対してゆっくりと首を横へ振る。


「大事な話があるんだ」


「どうしたの、イロハちゃん?」「なんダ、イロハ?」


 薄々、勘づいてはいた。

 脳の異常が治っている、と言われたときにはそんな気がしていた。


 そして、パソコンの画面を見せられたときに確信した。


「わたしは世界のみんなに応えられない。おーぐママとも電話はできない」


「どうして?」「なんでだヨ?」


「わたしは――VTuber活動を休止しようと思ってる」


 瞬間、俺はあんぐおーぐに襟元を掴みあげられていた。

 興奮した彼女が、怒りのあまり母国語で至近距離から怒鳴りつけてくる。


「ワット↑←★※●□!!!!」


「おーぐ」


「イロハ、アーユー●□※←★!?」


「ごめん……おーぐ、わからない」


「アァン!?」


「わたしにはもう、おーぐがなにを言っているのかわからないんだ。わたしはもう――外国語を聞き取れないし、読むこともできない」


「……エ?」


 あんぐおーぐの手から力が抜けた。

 するりと服が逃げ、俺の上半身はパタリとベッドに落ちた。


 ……そう、俺はあのチートじみた翻訳能力を失っていた。

 ずっと覚えていた違和感はそれだった。


 ずっとあたりが静かなのだ。

 あれだけうるさかった虫の声も聞こえなくなっていた。


 イヤホンなしでも世界は静寂を保っている。

 そしてなによりも俺は今、翻訳というフィルターを介さずに日本語を使っていた――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る