第123話『合法マッサージ』

 病室の出入り口に立っている母親を見た瞬間、俺の顔からサーっと血の気が引いた。

 ……あっ、ヤバ!?


「あっ、え~っと。お母さん、元気~?」


 恐る恐る、声をかけてみる。

 いったい、どれほど怒らせてしまっているか想像もつかない。


 作ってくれていたご飯も食べず、薬も飲まず……。

 あげくの果てに、またムリをして倒れて病院だ。


「イロハ、あんたぁあああっ……!」


「ひぃいいい!? ごめんなさぁああああああい!?」


 俺は反射的にビクッと防御態勢を取った。

 しかし……。


「あれ?」


 いつまで経っても、怒声もゲンコツも飛んでこない。

 恐る恐る、掲げた腕の合間から片目でちらりと様子をうかがった。


 すると、母親は静かにポロポロと涙を零していた。

 それからとてもやさしく俺を抱き寄せた。


「お母さん?」


「無事で、よかった」


 ぽたり、ぽたりと母親の流す涙が俺の顔に降ってきた。

 それがなんだか、すごく温かくて。


「……あれ? あれ?」


 ポロポロと自分の目からも、勝手に大粒の涙がこぼれだす。

 止めようとするのだが、ちっともコントロールが利かない。


「なんだ、これ……なんで涙、止まらな……ひっく、うっ」


「いいのよ、イロハ。怖かったわね、よくがんばったわね。あんたは生きてる。ちゃんと生きてるから。だから――もう大丈夫」


「うっ、うぁっ……うあぁあああぅあああっ!」


 涙が、慟哭が止まらない。

 今さら気づいた。


 そうだ、記憶を取り戻してわかったが……この人は本当に・・・俺の母親なんだ。

 そして、俺は今ほっとしてるんだ。安心してるんだ。


「ずっと、ずっと怖くて……わたしっ」


「イロハぢゃぁ~ん!」「イロハちゃんっ……!」「イロハぁ~っ!」


 マイ、あー姉ぇ、あんぐおーぐの3人も俺の涙につられたらしい。

 再び号泣して、抱き着いてくる。


「もう、大丈夫だからね……!」


 母親が「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。

 ようやく実感が伴ってくる。


 あぁそっか、俺――本当に生き残ったんだ。


   *  *  *


 その後、俺は医者から検査を受けた。

 並行して、涙で真っ赤になった目を擦りつつ、現状についての説明を聞く。


「えっ!? わたし、1週間寝てたんですか!?」


「えぇ。筋力もずいぶんと衰えているでしょうから、ムリはしないでくださいね。一般的には1週間寝たきりが続いた場合、筋肉が10%~20%も減少するといわれてますから」


 そうか、まさか1週間……うん?

 これって長いのか? 短いのか?


 正直、さっぱりわからん。

 しかし、間違いないことがひとつだけあった。


 それは、その期間に行われた生配信を見逃した、ということ。

 きぃいいいっ、悔じいぃいいい!


「ほらっ、イロハ。ずっと、みんながお世話をしてくれてたんだからね。ちゃんとお礼言っておきなさい」


 母親にそう促される。

 とくにあんぐおーぐなんて、そのためにわざわざアメリカから飛んできたという。


「空港もまだ再開してないかラ、特別にプライベートジェットを飛ばしてもらってだナ……」


「さすがにそこまでしなくても!? まだ停戦から1週間だろ!? 情勢も落ち着いてないでしょ!?」


「そういう心配ハ、まずジブンの身体をなんとかしてから言うんだナ。けど、少なくともママは『行け』『むしろ行かなきゃ殺す』『私の分も恩義を返して来い』って感じで、全面バックアップだったゾ」


「あ~、そっか」


 次期大統領にずいぶんと大きな貸しを作ったもんだ。

 そう納得していると、マイも横で「うんうん」と頷いていた。


「さすがおーぐさんだよねぇ~! イロハちゃんの身体に合法的に触れる機会は、絶対に逃がさないというかぁ~? お世話って、寝ているイロハちゃんのマッサージとか、ストレッチのお手伝いだからぁ~」


「っ!? おーぐ、お前……このヘンタイ」


「バッ、チガウ!? ワタシはそんな邪な気持ちなんてなかったゾ!? ホントだからナ!? ……オイ! ワタシから距離を取ろうとするナ!?」


 俺は自分の身体を守るように抱き、スススっと後退した。

 まったく、油断もスキもねーな。


「マイ~!? オマエぇ~!?」


「ピ~ヒョロ~。だってイロハちゃんはマイのなのに、おーぐさんは『そんなんじゃない』とか言いながら好き好きオーラ全開で割り込んでくるんだもんぅ~」


「なっ、好き好きオーラぁっ!? そっ、そんなの出してねーシ!? それを言うなラ、イロハのヤツがワタシのこと好きすぎみたいナ? って、べつにいいだろそんなこト! そもそもイロハはマイのものじゃないんだかラ!」


「なにをぉ~!?」


「んだコラー!?」


 マイとあんぐおーぐがメンチを切りあっていた。

 あれー? ふたりって前から、そんなに仲悪かったっけ? 呼びかたまで変わってるし。


 一緒に夏祭り行ったころとか、そんなことなかったはずなんだけど。

 この1週間で、なにか敵対するようになった理由でもあったのだろうか?


「まぁ、どうでもいいけどさ。マイっていっつもだれかといがみ合ってる気がするなー。なんでか知らないけど、そういうのやめたほうがいいよ?」


「だれのせいだと思ってるのぉ~!? イロハちゃんがあっちこっちで、新しい女を作るからだよぅ~!?」


「わたし!? いや、そんな人聞きの悪い」


 と、そこへ新たな勢力が参戦してくる。

 手を上げて、話に割って入ったのはあー姉ぇだった。


「ちなみにあたしはマッサージだけじゃなく、イロハちゃんのお母さんに頼まれておしめ・・・も代えてあげたぜっ!」


「「「!?!?!?」」」


 ちょっ、どういうことだそれ!?

 いや、待て。そういえば、やけに下半身がゴワゴワすると思ったら……俺、おしめしてるぅ!?


「お母さん!? あー姉ぇにおしめの交換頼んじゃったの!?」


「え? そうよ? いざというとき、やっぱり頼りになるわね~」


「お母さぁあああん!?」


 俺は崩れ落ちた。

 年ごろの女の子に、なんてことをされてしまったんだ……。


 クリスマスの件といい、毎回あきらかに頼む相手を間違えてんだよぉおおお!

 ほんと勘弁してくれぇえええ!


「あの~、ごほん。そろそろいいですか? イロハちゃんの現状について、続きをお話したいのですが」


 医者がこめかみに青筋を立てて、にっこりと笑顔を見せていた。

 ヒィっ!? ごめんなさいぃいいい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る