第122話『アフター・ザ・ヒーロー』

 窓から差し込む光。

 それからツンと鼻を突く消毒薬の匂い。


「――ここ、は?」


 目を覚まし、呟く。

 まだ頭がぼんやりとしていた。


「うっ……」


 ベッドから身体を起こすだけでも一苦労だった。

 ゆっくりとあたりを見渡す。


 白一色に統一された、清潔感のある空間。

 どこかの病院の一室のようだった。


「俺? わたし? ……えっと、あれ?」


 記憶が混乱しているのか、うまく思い出せない。

 いったいなんで、こんなところで眠っているんだろう?


 フラつきながらベッドから立ち上がる。

 動こうとして、腕に点滴が刺さっていることに気づく。


 いったいどれだけの間、眠っていたんだろう?

 手足にうまく、力が入らなかった。


 点滴スタンドを杖代わりにして身体を支える。

 カラカラと音を鳴らしながら、部屋の出入り口へと向かった。


 と、その途中でなにかが視界の端を動いた。

 ビックリした。が、よく見るとただの鏡だった。


 そこに自分の姿が映り込んでいる。

 鏡の中の自分と目が合った。


 ……あ。

 その姿を見た瞬間、の意識はようやく明瞭さを取り戻した。


「ななななんで俺、女の子になって――いや、それで合ってるわ!?」


 そうだ! そうだった!

 俺は転生してイロハという名前の女児になって、それで世界を救って……あれっ!?


「俺、生きてる!?」


 え、なんで? 死んだはずじゃ!?

 世界を救うために、あきらかに限界を超えて無茶をしたのに。


 頭なんて、脳みそが熱でドロっドロに溶けてた、といわれても納得できるほどの熱を持っていた。

 しかし今は、それもさっぱりだ。


 けれど、後遺症もなにもないなんて、本当にそんなうまい話があるだろうか?

 それにさっきから、なにかずっと違和感がある。


「まさか、すでに記憶が欠落してたりしないよな!? VTuberのこと忘れたりしてないよな!? よし、推しの名前を順番に思い出してみよう。一番最初、VTuberの火付け役になったのがオヤビンでしょ? それで次に有名になったのが5人の四天王で……」


 え? 5人なのに四天王だなんて、記憶が混乱してるって?

 いや、それはこれで合ってるんだよ!


 そんなことだれかに言い訳しながら指折り確認していると、ガララと病室の扉が外側から開かれた。

 続いて、パサッとなにかが床に落ちる音が聞こえた。


 視線を向けるとそこには、両手で口を押さえ目を丸くした女の子が立っている。

 足元には花束が転がり、その花弁の何枚かが宙を舞っていた。


「……イロハ、ちゃん?」


 まるで時間が停止したみたいな静寂。

 俺はどうリアクションするべきか困った。それで……。


「えーっと? あっ、おはよう――マイ」


 口をついて出たのは、いつかの通学路で俺が最初に交わしたあいさつ。

 けれど今は、はっきりと彼女の名前を呼べる。


「イロハちゃんぅうううぅ~っ!」


「どわっ!? ちょっ、病人! 病人だからわたし! もうちょっとやさしく! 点滴刺さってるから!」


「びえぇえええぇ~ん! イロハぢゃんぅ~~~~!」


「あ~もう。……はい、よしよし。心配かけてごめんね」


 すごい力で、マイに抱きしめられてしまう。

 俺はやさしくその頭を撫でてやった。


 彼女の大きな泣き声に誘われてか、足音がふたつ近づいてくる。

 マイに続いて現れたのは……。


「マイちゃん!」


「マイっ!」


 あー姉ぇと、あんぐおーぐだった。

 ふたりは俺を見て一瞬、驚いたような表情で固まる。


「えーっと、”イロハロ~”。なんちゃって? あっ、ちょっ……!? ふたりまで!?」


 俺がおどけてあいさつすると、ふたりは堰を切ったように涙を流し、そして抱き着いてきた。

 泣き声が三重奏になってしまう。


「ぐ、ぐえぇっ……! ちょっ、さすがに3人は苦しいんだがっ!?」


「イロハちゃん、もうっ……ムチャしてっ!」


「イロハ……オマエ、このっ……バカ! 大バカ! 心配かけやがっテ! これは罰ダ! だから、しばらくはおとなしくワタシたちに抱かれてロ!」


 どうやら、しばらくはこの状況を甘んじて受け入れるしかなさそうだ。

 ずいぶんと心配をかけてしまったようだし、仕方ない。


「はぁ、わかったよ。……あっ、でもVTuberの配信見ながらでもいいよねっ! 多分、めっちゃアーカイブ溜まってると思うんだよ! それに、あのときは大勢の人が歌動画も出してたし」


「「「……」」」


「あ、あれ? どうしたの3人とも? なんか顔、怖いんだけど。さっきまで泣いてたじゃん!? 感動ムードだったじゃん!? えっ、ちょっ、離しっ……だれか助けてぇえええ!」


「イロハちゃんぅ~!」「イロハちゃ~ん?」「イ~ロ~ハ~!」


「ひぃいいい~!?」


 そうして俺は目を覚まして早々、めちゃくちゃ怒られた。

 なぜ倒れるまでムチャをしたのか、延々と説教された。


 ……あのー。一応、俺、世界救ったと思うんですけど?

 それなのに、おかしくない!? むしろ褒められてもいいよねぇ!?


「「「それとこれとは話がべつ!」」」


「ううっ……!」


「あのー、感動? の再会のところ悪いんだけれど、そろそろ検査させてもらってもいいかな?」


 やってきた医者の先生がそう口を挟むまで、説教は続いた。

 ありがとう先生、やっぱりあんたは俺の救世主だ!


「イロハちゃんにはボクからもお説教がありますからね」


「あれぇーーーー!?」


「どうしてまた、こんなムチャをしたのかな? それに薬もきちんと飲むよう、言っていたよね?」


「アッ、ハイ」


 この先生だが、いつだったかもお世話になった俺の担当医だ。

 ……うん、そら怒るわな! ごめんなさい!


「あと、一番怒っている人がまだそこにいるからね?」


「えっ?」


 医者に指差されて振り返る。

 病室の出入り口に、息を切らし肩を上下させている母親が立っていた。


 ――あっ、ヤバ!?


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