第121話『おつかれーたー、ありげーたー』
俺は歌とともに記憶を遡っていった。
何十、何百というこれまでの人生が奔流となって俺を襲う。
それはまるで荒波のようだった。
意識が何度も飛びそうになる。
そんな中での命綱は歌だった。歌だけが道しるべだった。
いつかの俺はアメリカ人で、いつかの俺は韓国人で、いつかの俺はまた日本人で……。
あぁ、そうだったのか。
ふと、納得が胸中を支配した。
そういえばいつだったか思ったことがあった。
”ブレスユー”の翻訳がやけに古いんじゃないか、と。
現代においてそれは「神のご加護を」ではなく「お大事に」くらいが適切だ。
くしゃみがペストの初期症状としてメジャーだったのは今は昔の話。
しかし、いつかの時代を生きていた俺にとっては、その表現が適切だったのではないだろうか?
それで、つい
……ははっ、こんなこと今さら気づいてもだな。
俺はそう自嘲するように笑った。
終着点が見えてきていた。
辿り着いた果てにあったのは……。
――神話の時代。
それはバベルの塔が倒壊する以前のお話。
かつて人類は、すべての大地において同じ言葉と同じ言語を用いていた。
この光景が現実に過去にあったことなのか、俺が見ている妄想なのかはわからない。
けれど、しっくりきていた。俺はずっとこの言語を話していたんだ、と。
――”リンガフランカ”。
一にして全たる言語。今は失われし起源たる共通語。
俺は今までそれを英語や韓国語、そして日本語へと翻訳して使っていたのだ。
……あぁ、もうすぐ終わる。
最期の瞬間が近づいていた。
音楽は最高潮の盛り上がりを見せ、俺は最後のサビを歌いあげる。
今の俺ならばすべてを語れる気がした。
すべてが聞こえ、すべてが読める気がした。
過去も、現在も……そして未来も。
俺たちがどこから生まれ、どこへ帰るのかも。
そうだ……!
あのときもそうだった。
前世で俺はあの瞬間、銃で頭を撃ち抜かれて死んだ。
そして、あるべき場所へと帰るはずだった。
そのとき――”天使”を見た。
今だからこそ気づける。
あそこに
前世の俺にイロハというVTuberの記憶はなかった。
つまり、あの時点で今の
そして、転生後の行動によって、世界は変化した。
にもかかわらず俺はソレを目撃している。
つまり、前世の最期で見た天使の正体とは、まさか……。
本物?
そのとき、俺は”声”を聞いた。
お前は……。
――カミサマ?
なぜかそんな言葉が頭に浮かんだ。
その声はどこか満足気に、なにかを言った気がした。
俺はただ願った。
想いを込めて歌い、言葉を届けんとする。
俺はこの世界が好きだ。
VTuberが好きだ。
この世界からVTuberを奪わないでくれ!
欲しけりゃ、俺の命だって好きなだけくれてやる!
けど……それでも絶対にこれだけは、あっちゃあいけないんだ。
お国問題に巻き込まれてVTuberが配信できなくなる、なんてことだけは絶対に許せない!
テメェの願いを叶えて、世界を救ってやる!
だから、代わりに俺の願いも叶えやがれ!
――俺の推しを救え! VTuberを救いやがれぇえええ!
俺は叫ぶように歌い……そして、曲が終わった。
世界は静寂に包まれていた。
「……イロハちゃん」
マイの声で俺は現実に帰ってきた。
俺にはもう答える力も残されていなかった。
「……イロハちゃん!」
マイがさらに強く俺を呼ぶ。
その声には喜色と、そして涙まじりの嗚咽があった。
「見てっ、イロハちゃん……ニュースが! 世界が!」
そんなこと言われたって、なにも見えないよ。
けれど、ボリュームを上げられたニュースの音声は耳に入ってきた。
『緊急速報です。先ほど、ロシアがウクライナへの停戦を申し入れ、ウクライナがそれを承諾いたしました。繰り返します、先ほど、ロシアとウクライナが停戦しました! 戦争が止まったのです! これによって第3次世界大戦は回避されたと多くの専門家が述べており――!』
アナウンサーだろう人が、ひどく興奮した様子でそう話していた。
そうか、これまでずっと停戦を突っぱねていたあのウクライナが……。
「それに、こっちも!」
耳元にひんやりとした固いものを押し当てられる。
あれ? ヘッドフォンはどこへいったんだろう? マイが外したのだろうか?
押し当てられたソレから声が聞こえてきた。
『イロハさん、ありがとう。各地で次々と、核ミサイルを保持していた部隊が投降をはじめたそうです。我が国の部隊も現地へ到着したとのこと。ありがとう……本当にありがとう。あなたのおかげで間に合いました。――世界は救われたのです!』
あんぐおーぐの母親の声だった。
どうやら耳元にあるコレはスマートフォンだったらしい。
いつの間に着信があったんだろう? それとも通話が繋がりっぱなしだったのか。
全然、気づかなかった。
けど……そうか、間に合ったのか。
よかった。これでようやくVTuberが――俺の推したちが、心置きなく配信できるようになるだろう。
「イロハちゃん……ねぇ、イロハちゃん……!」
マイが俺の身体を揺さぶっている。
うるさいよマイ、そんなに耳元で叫ばなくたって聞こえてるってば。
「――イロハちゃんっ、マイっ! 救急車呼んだから! イロハちゃん、ちょっとのガマンだからね! すぐにお医者さんが診てくれるから!」
あれ? あー姉ぇの声がする。
わざわざ戻ってきてくれたのか。
《イロハ! バカ、オマエひとりで死んだら絶対に許さないからな! オマエが来るべきはアメリカだろ!? なに勝手に天国に行こうとしてるんだ! だから……起きろ!》
あんぐおーぐの声も聞こえる。
そちらとも通話が繋がっているらしい。
でも、もうなにも見えなかった。
……あーあ、またこうなっちまったな。
前世の最期と同じだ。
まだまだ、もっと、VTuberの行く末を見ていたかったのに。
けど、不思議だな。
あのときとはちがって、そんなに悪くない気分だ。
最期に聞いているのがダミ声ではないからだろうか?
彼女たち――推したちの声を最期に聞けているからだろうか?
……配信。
そうだ、忘れてた。
俺はまだ配信中だった。
視聴者へ、最後に締めのあいさつをしないと。
そういえば、これがバズったところから俺のVTuber生活がはじまったんだっけ?
最初は恥ずかしかったのだが、今はもう言わないと落ち着かなくなってしまった。
こんな状況で言うには、あまりにギャグっぽすぎるかもしれないが。
案外、それくらいで俺にはちょうどいいのかも。
ほら、いくよ。
みんな一緒に……!
――おつかれーたー、ありげーたー!
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