第115話『逃走or闘争』

《核がバラまかれている、ってどういうことですか!?》


 俺は思わず大声が出てしまう。

 あんぐおーぐの母親が電話越しに放った言葉は、到底信じがたいものだった。。


《だって、選挙でママさんが勝ったことで、ロシアに対して核による報復を行うって未来は回避されたんですよね!? 第3次世界大戦は起きないんですよね!?》


《えぇ、アメリカが・・・・・ロシアに核攻撃を行うことはほぼ回避できたと言っていい。けれど、選挙での敗北をトリガーとして、ヤツらはべつの作戦を発動させていた》


 あんぐおーぐの母親は「正確には”すでに裏で進行していた作戦”だけどね」と付け足す。

 俺はその言い回しにすこし違和感を覚えた。


《べつの……”作戦”ですか? それって、ただ核をバラまいただけではないんですか?》


《えぇ、そうよ。ヤツらは自分たちで戦争のトリガーを引けないと知って――”他人にトリガーを引かせる”ことにした》


《それは、どういう》


 イマイチ、俺がピンと来てなかったことを察したのだろう。

 あんぐおーぐの母親が「もっとわかりやすく言いましょうか」と続ける。


《ヤツらは、ウクライナや紛争の絶えない地域の中小国へ核を横流しして、自分たち自身の手で報復――いえ、復讐・・する機会を与えることにしたのよ》


《なっ!?》


《もちろん、そんなものはただの名目だけれどね。撃たされる・・・側はいいように使われているだけ。けれど、そんなことは彼ら自身には関係がない。元からの核保有国も、そのとき・・・・に合わせて準備をはじめてしまっている》


 俺はなぜか直感していた。

 このままでは彼らは本当にトリガーを引く、と。


 立場上、使わざるを得ない、使ったほうが有利になる、といった理由もある。

 だがそれ以上に、復讐心は、憎悪は、怒りは……理性や論理なんてものを軽く超越するからだ。


 アメリカも核兵器を他国に提供シェアリングしている。

 だが今回のこの件は、どう考えてもそんな”核共有”なんて甘いシロモノじゃあないだろう。


《核兵器の出所は、ロシアほかいくつかの核保有国だとみられているわ。私たちも察知して、現大統領を中心にしてすぐさま対処に動いたけれど、このままいくと間に合わない可能性が高い》


《そん、な》


《だからイロハさん――アメリカに逃げてきなさい》


《……え?》


《あのときの約束を果たしましょう。イロハさんに、娘を救ってもらった恩を返します。言ったでしょう? 「お礼はまた後日、改めて」と》


 それは、あんぐおーぐの実家で目を覚ましたときに交わした言葉。

 まさか覚えていただなんて。


 と同時に理解する。こんな機密情報を明かしたのは、この誘いのためか。

 もちろん、世界を救ってくれた相手に対する礼儀もあったのだろうが、こっちが一番の理由だろう。


《今後、日本が苦しい状況に追い込まれるのは間違いないわ》


 日本はロシアの隣国だ。

 地理的に非常に危うい位置にある。


 今後”核を撃ってもいい世界”になってしまったとき、核を持たない国は一方的に食われるだろう。

 そして、日本ほど裕福で……にも関わらず核を持たない国はない。


 核戦争が本格化すれば、真っ先に標的にされてもおかしくない。

 日本だってこれまでの歴史で、いろんな国から恨みを買っているのだから。


 だから、日本を捨てて逃げて来い、と。

 アメリカ国内であれば守れるから、と。


《とくに日本は核シェルターもありませんから》


 そういえば、あんぐおーぐが「このまま日本に帰らずアメリカにいろよ」と誘ってきたときにも言われたな。

 日本は核シェルターの数が異様に少ない、と。


 アメリカでの人口あたりの核シェルター普及率は82%だそうだ。

 対して日本は0.02%。

 世界にはスイスやイスラエルなど、100%の国もあるというのに。


《チャーター便を手配しているので、すぐに指示した場所まで来てください。じきにアメリカも自国のことで手一杯になりますから、そうなる前に。ただしこの件はくれぐれも……》


 あんぐおーぐの母親の言葉は、俺の頭上を飛んで行った。

 頭がうまく回らない。言われていることがよく理解できない。


 代わりに、ぐるぐると後悔が入り混じった思考だけが頭の中を巡っていた。

 どうして、なんで、こうなったんだろう?

 俺たちは世界を救ったんじゃなかったのか?


《しっかりしなさい! ……よく聞いて。決して、この状況はあなたのせいじゃない》


 あんぐおーぐの母親が、俺を叱りつけた。


《あなたは間違いなく世界を救った。この状況は……あなたの健闘をムダにしてしまったのは、私たちよ。あなたはなにも悪くない。そもそも、どこのだれが戦争の責任を子どもに押し付けられるというの?》


《……でも》


《私たちの脇が甘かった。相手がここまでなりふり構わないほど、追いつめられていると気づけなかった。だから――あなたはだれに・・・負い目を感じることなく、逃げてもいい》


 その言葉を聞いて、俺はハッとした。

 ……”だれに”?


《ま、待ってください! 逃げるって、それじゃあ――”みんな”はどうなるんですか!?》


《お母さまのことですか? ご家族も一緒で構いません。あとは親しい数名くらいであれば同乗できます。慣れないアメリカでの生活になりますが、私が最大限のサポートをしましょう》


《ちがう、そうじゃない!》


 俺が言っているみんなってのは日本中の――そして、世界中のVTuberたちのことだ!

 あぁ、そうだ……そうじゃないか!


 俺は決して、逃げられない。

 逃げるという選択肢では、彼女たち全員を救うことができない!


《わたしは、みんなを置いてなんていけない!》


《けど、あの子が悲しむわ》


《っ!》


《私はこれまで母親らしいことができなかった。その分、今あの子にできるかぎりのことをしてあげたい。あの子にとって一番大切な友だちを――あなたを助けようとするのは、間違っているかしら?》


《……それ、でもっ!》


 俺はまっすぐに前を、パソコンのモニターを見つめていた。

 まだ、できることが存在するはずだ。そして……。


《”あんぐおーぐ”なら、ここで逃げたりはしない!》


 ファンを幻滅させることなんて、やっちゃあいけないだろ?

 すくなくとも俺が知るVTuberたちは逃げない。


 きっと俺があんぐおーぐでも、同じ選択をするはずだ。

 けれど俺にはそこまで勇気がないから、おどけるように付け足した。


《それに、こっちには集めたグッズがいっぱい残ってるんです。もったいなくて、それを捨てられないっ》


 あんぐおーぐの母親は「そう」とだけ答えた。

 それは、まるでまぶしいものでも見たような声音だった。



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