第90話『核を撃ったのはだれ?』


《はじめまして。そこのバカ娘の母です》


 俺はその女性の貫禄とオーラに思わず怯んだ。

 ただそこに立っているだけなのになんという存在感だろう。


 身に着けているものひとつひとつからも品を感じた。

 あんぐおーぐが委縮してしまう気持ちがよくわかる。


《この度は娘の――》


《ま、待ってママ! あの、名前は……その》


《言いたいことは端的に、はっきりと》


《ご、ごめんなさい》


《謝罪はいりません》


《ごめ……ちが、えっと、イロハとは本名でやりとり、してなくて、その》


 ふたりの関係性が透けて見える。

 しかしあんぐおーぐは怯えつつも、勇気を出して母親と対峙していた。


 そうか、俺のためか。

 俺が「推しの本名を知りたくない」と言っていたから。


《わかりました》


《……ほっ》


《イロハさん。この度は娘を助けてくださって、ありがとうございました。また、未成年であるあなたを巻き込んでしまったこと、とても心苦しく思います》


《いえ、わたしはべつに》


《混乱が落ち着くまで、我が家で生活していただいて構いません。今はまだ慌ただしいですから、正式な謝礼はまた後日、改めて用意させていただきます》


《そんな! いただけないです!》


《遠慮は日本の文化ですね》


《そうじゃなくて――なんで友だちを助けただけなのに、あなたから謝礼をもらわないといけないんですか?》


《い、イロハ!?》


 瞬間、「あ」と声が出た。

 室温が一気に下がったような錯覚がした。


 いや、そんな言いかたするつもりじゃ!?

 「友だち助けただけなんで気にしなくていいですよー」くらいのニュアンスだったのに!


 あんぐおーぐが顔を青ざめさせ、アタフタとしている。

 俺も似たような顔をしているだろう。


 相手は次期大統領候補だぞ!?

 なんて失礼なことを!


《す、すいません! 今のはちがくて、そんなつもりじゃ》


 あんぐおーぐの母親が口を開きかけたそのとき、扉がノックされた。

 顔を覗かせたのはスーツ姿の男性だった。彼女の付き人だろうか?


 あんぐおーぐの母親を呼んでいる。

 二、三のやりとりを経て、彼女が嘆息した。


《イロハさん、お話の続きは改めて》


 パタン、と扉が閉まり、部屋には俺とあんぐおーぐだけになる。

 瞬間、ふたりして「「はぁ~っ」」と大きく息を吐いた。


《イロハ、オマエもう少しで殺されるところだったぞ!?》


《は、はは……そんな大げさな》


 けれど実際、厳しそうな女性だった。

 それ以上に礼儀正しい人でもあったが。


 自分に厳しく、そして子どもにも厳しく。

 頭が良く、なにが正しいかわかるからこそ、そうなってしまうのかもしれない。


 あんぐおーぐがそれに耐えきれず、逃げ出した気持ちもわかる。

 俺だってムリだ。毎日たった5時間MyTubeを見ることすら許してくれないだろうなぁ。


《けどホント、イロハが無事でよかったよ。今後は急に運動をやめたりせず、ちゃんとクールダウンしろってさ。一気に血圧が下がっちゃうから》


《うっ、気をつけるよ。で、結局なんでわたしここにいるの?》


《あぁ、じつは……》


 あんぐおーぐは俺が倒れてからの一連のできごとを教えてくれた。


 ひとまずの混乱が収まったあと、医療スタッフが俺のことを診てくれたという。

 そこで命に別状がないことがわかった、と。


 しかし、医務室へと運んだのはいいものの、なかなか目を覚まさなかった。

 念のため病院へ連れて行こうとしたのだが……。


《避難しようとした人の押し合いへし合いで怪我した人がたくさん詰めかけていて、とても診てもらえるような状況じゃなかったんだ。そんなときに……》


 ちょうど現れたのが母親の使いだった。

 曰く《今すぐ実家に帰って来い》と。


 どこからかあんぐおーぐが狙われたことを聞いたらしい。

 そして、あんぐおーぐは了承する交換条件として、俺やあー姉ぇの同行とプライベートドクターによる診察を頼んだのだとか。


《そうだったのか……ごほっ、ごほっ》


《ほら、水だ。ゆっくり飲め。で、診断だけど……ただ寝てるだけ、だとさ。正直、言われたときはオマエの顔をブン殴ってやろうかと思ったぞ》


《気絶じゃなかったの!?》


《それはおそらく最初だけ、だってさ。まぁ、疲れが溜まってたんだろ》


《す、すまん》


《とはいえまさか、丸1日以上も寝続けるとは思わなかったけどな》


《そんなに!?》


 よく見ると、あんぐおーぐの目の下にはクマができている。

 俺の腕からは点滴が伸びているし、服装も変わっていた。


《……うぅっ、イロハぁ~っ!》


《お、おーぐっ!?》


 あんぐおーぐが身を乗り出し、飛びついてくる。

 彼女は顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。


《巻き込んでゴメン。助けてくれてありがとう。無事でよかった》


《あーっと……、ん》


 俺はすこし照れながら、ポンとあんぐおーぐの頭を軽く撫でるように、抱き返した。

 これはなんというか……。


 ファンとしても、ひとりの成人男性としてもいろいろと問題のあるシチュエーションだな!?

 けど、まぁいいか。友だちが泣いているときくらいは。友だちとして接しても。


《うぅ~、ぐすん。悪い、取り乱した。で、この1日……というか2日間にいろいろと状況も変わったんだ。それを説明させてくれ》


《あぁ、頼んだ》

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